第17話 青年王の切り札

 マルダールは、王都ガンディオン北東に位置する都市である。

 その規模はガンディオンに次ぐほどのものであり、かつてはガンディアの中核を成す都市として活気に満ち溢れていたという。

 しかし、昨今の情勢は、王都に次ぐ大都市から殷賑いんしん喧騒けんそうを消し去っていくものだった。

 諸国に名だたる英傑えいけつだった先王せんおうの死が、ガンディアという小さな国にもたらした衝撃は、それはそれは物凄ものすさまじいものだったらそお。

 それには、第一王子であり正当なる王位継承者であったレオンガンドの人望の無さにも一因があり、レオンガンドが王位を継げば国が滅びると公言してはばからないものも多かったそうだ。

 そして、そういった連中の吹聴ふいちょうする噂というものも、必ずしも馬鹿にできないものだ。

 火のないところに煙は立たない、とは、よくいったものである。

 先王の死は、レオンガンドが王位を継ぐために毒殺したからだという根も葉もない馬鹿げた噂もあれば、レオンガンドは酒色しゅしょくを好み、夜な夜な宴を開いては大騒ぎをしているといった、ある程度の真実味を帯びたものまで、様々な流言るげんがガンディア国内のみならず、周辺諸国にまで飛び交っていた。

 元より声望せいぼうのなかったレオンガンドの人気は、これによって地の底まで落ちていったのだとか。

 そんな次第しだい

 セツナは、果たして自分の選択が正しかったのかどうか、不安を抱き始めていた。

 もっとも、いまさらだということもわかっている。

 いまさらなにを言ったところで、どうしようもない。

 決めてしまったのだ。

 マルダールに来てしまったのだ。

 そう、セツナは現在、城塞都市の異名を持つマルダールの巨大な正門の前にいた。

 すぐ目の前にはレオンガンド・レイ=ガンディアの気品に満ちた姿があり、セツナの右隣には、旅装りょそうに身を包んだファリア=ベルファリアがいる。

 カランを出発し、馬車に揺られ続けること数日。

 決して快適とは言い難い道中ではあったが、セツナにはるものも多かった。

 レオンガンドとファリアの口から語られた数多の情報は、完全に把握できたとは言い切れないものの、間違いなくセツナにとっては大きな収穫しゅうかくだったはずだ。

 この世界についてはおろか、この国についてもなにひとつ知らないセツナには、ほんのちょっとした情報でも有り難かったのだ。

 中でも、ガンディアの現状と、その周囲を取り巻く情勢の悪化に関する話は、レオンガンドの微笑を多少でも曇らせるほどのものであり、それはセツナが乗ってしまった船がいまにも沈みかけた泥舟どろぶねであるかのような印象を与えた。

 故にセツナは、高くそびえ立つ堅牢な城壁にも、どこか脆そうな印象を抱かざるを得なかった。

 そんなセツナの心境を察したのか、レオンガンドがさり気なく尋ねてきた。

「不安かい?」

「そりゃあまあ……」

「あっはっは。きみは正直でいいね」

 快活に笑う青年王の反応を受けて、セツナは、ファリアに目を向けた。

 深緑ふかみどり外套がいとうを纏った彼女は、こちらの視線に気づくと、軽く微笑を返してきた。ファリアの微笑みは、セツナの不安をある程度は払拭ふっしょくしてくれる。

 寄る辺なきセツナには、なにかと親身になってくれるファリアだけが頼りだった。


 話は、数日前にまでさかのぼらなくてはならない。

 早朝のカランの大通りでの立ち話を早々に切り上げた三人は、なんとはなしにセツナが寝室同然に使用していたテントへと脚を運んだのだ。

 そこでレオンガンドが提案してきたのが、彼のマルダール行きにセツナが同行するという話だった。

「おれも? どうして?」

 セツナは、簡素かんそな寝台にまるで玉座の如く厳かに座る青年王の提案に、驚きと興奮を覚えながらも、それとなく問い返した。

 それは、願ってもない申し出だった。

 目的も目標もなければ、当てとなるものすらないのだ。ただやみくもにこの異世界を放浪するなど、考えただけで眩暈めまいがする。

 なんの予備知識もなしに未知の世界を歩き回るなど、正気の沙汰さたではない。

 セツナは、未開の大陸を探索する冒険家などではないのだ。

 ファリアたちには武装召喚師と認識されてはいるものの、彼個人の考えとしては未だにただの学生に過ぎない。

 確かに力はある。

 しかし、それはセツナにとって大きすぎる力だったし、扱い切れるものかどうかも不明だった。

「きみは記憶喪失なんだろう? 自分がなぜガンディアにいるのか、なにを目的としているのかさえ忘れてしまったんだろう?」

 青年王のまなざしに、いたずらっぽい輝きが潜んでいるのが、セツナにもわかった。こちらの考えなどお見通しだとでも言いたげなその表情に、セツナは、曖昧にうなずくしかなかった。

「そうデスケド……」

(ばれるよなぁ……そりゃ)

 セツナは、多少後ろめたい気持ちになりながら、ちらりとファリアの様子を伺った。

 彼女は、やれやれとでも思ったのか、小さk肩を竦めていた。無論、ファリアにも嘘の証言であることなど見破られているに違いない。

 精度の低い嘘だ。

 見破られないほうが、どうかしているのではないか。

 そもそも、セツナが記憶喪失をかたる必要があったのか、どうか。

 セツナは、単純に、自分が異世界から召喚された存在であるという事実が露見するのはよくないと考えたのだ。

 いや、そんなことを言っても、記憶喪失という証言同様、信じられなかったかもしれない。

 なんにせよ、セツナとしては、その場をやり過ごすためだけについたでまかせ、他意も悪意もなかった。

 とはいえ、セツナには、自分がなぜガンディアにいるのか、なにを目的としているのかなど、皆目見当かいもくけんとうもつかないのは事実であった。

 たまたま召喚されたのがこの国の小さな森の中だった。ただそれだけのことなのだが、なにかしら意味があるのかもしれない。

 アズマリアは、なにもいってはくれなかった。だからこそ、真意を隠していたとしても、不思議ではないのだ。

「だったら、おれの元に来ればいい。記憶が戻るまでの間で良い。目的を思い出すまでの間で良いんだ。おれの元で、ランカインを倒したその力を振るってくれないか。きみのその力は、とても頼もしいものだ」

 レオンガンドの口から紡がれたその言葉は、セツナの耳朶じだに心地よく響き、そして、瞬く間に心に浸透しんとうしていった。

 それは、つぎの瞬間、爆発的な熱量を帯びてセツナの魂を揺さぶった。鮮烈な光が、彼の意識を染め上げていくかのようだ。

(なんだ……!?)

 湧き上がる感情の奔流ほんりゅうに戸惑いながらも、セツナは、目の前の青年王のまなざしから目をらせない自分に気づいていた。力強い視線だった。決して口からでまかせで言っているのではない、そう確信させるほどに純粋な目。

 セツナは、はたと、理解した。

(そうか。そうだよな)

 自分が何故ここまでの感動を覚えているのか、その原因を認識しながらも、しかし、体を震わせる激情の波を止める手立てばかりは思いつきもしない。レオンガンドと目と目を合わせたまま、歓喜の激流に身を委ねるしかないのだ。

 歓喜。

 そう、それは間違いなく、彼にとって大いなる喜びだった。

「ガンディアの新生に、きみの力を貸してほしい」

「はい……!」

 レオンガンドの申し出に、セツナは、感極まって上ずった声を発したのだった。


 さて、マルダール。

 三人が正門前で馬車から降りたのには、わけがある。

 普段ならば馬車ごと正門から入れるというのだが、マルダールはここのところ、常軌じょうきを逸した厳戒態勢けいかいたいせいを取っており、荷物検査やらなにやらで、馬車から降りざるを得なかったのだ。

 もっとも、乗車していたのが国王だと気づいた門番の兵士たちは、見ているこっちが気の毒なほど恐縮していたが。

 そして、馬車の検査に時間を取られるのを嫌ったレオンガンドの提案で、マルダール市内を歩いていくことになったのだ。

 厳戒態勢極まりない正門を通り抜け、城塞都市マルダールへと足を踏み入れたセツナは、城壁内に満ちた緊迫した空気に息をするのも忘れるくらいだった。

 マルダールは、カランとは比べものにならないほど大きな都市だった。

 分厚く巨大な城壁に四方を囲まれ、内側には、やはり城砦を想起させる堅固けんごな建物が立ち並んでいる。通りを行き交うのは、ほとんどが武装した兵士たちであり、だれもが殺気立っているように見受けられるのは、決して気のせいなどではないだろう。

 いまにも戦争が始まりそうな雰囲気だった。

「ここは最前線だから、ねえ」

 レオンガンドの言葉の意味を理解して、セツナは、息が詰まりそうなこの空気にも納得する思いだった。

 馬車の中で聞かされた話でもある。

 このマルダールを城塞に作り変えらざるを得なかったのも、それが原因なのだ。

 マルダールのさらに北には、かつて、ガンディアの北門といわれ、北からの侵攻を長年に渡って防いできたバルサー要塞があった。

 その要塞がある限り、ガンディアは、北に隣接するログナー、そしてその背後に控えるザルワーンの脅威から、辛くも国土を護り続けることができた。

 その要塞がログナー軍の猛攻にさらされて陥落かんらくしたのは、先王の死からわずか十日後のことだったという。

「その要塞を奪還する、と?」

「でなければ、この国は終わりよ」

 セツナの問いに答えたのは、ファリアではなかった。鋭く研ぎ澄まされた刃物のような声音は、すぐ頭上から降ってきたものだった。

 正門から続く大きな通りの脇に立ち並ぶ石造りの建物、その屋根の上にその女は立っていた。毅然きぜんと、こちらを見下ろしている。

「ガンディアのうつけはうつけのまま生涯を終え、ルシオンに売られたうら若き姫君ひめぎみは、哀れ、衆愚しゅうぐ物笑ものわらいに曝される――」

 若い女だった。年のころは、ファリアと変わらないか、彼女よりも一つ二つ年下だろうか。黄金の頭髪は風に揺れてきらきらと輝き、透明感のある白い肌は、女ならば嫉妬しっと憧憬しょうけいを抱かざるを得ないほどに美しい。

 やや鋭角的な双眸そうぼうを縁取る深い睫も、碧玉へきぎょく見紛みまがうような瞳も、彼女の美貌びぼうを形作る一要素に過ぎない。

 言うなれば、美女である。欠点を上げる必要も無いほどに美女である。とにかく、美女なのだ。

 彼女は、細身の長躯を白銀の軽装鎧けいそうよろいで包み込んでおり、腰には剣を帯びていた。

「――こういう筋書すじがきは嫌です」

 きっぱりと、彼女は告げた。その気の強そうなまなざしは、レオンガンドに向けられている。

 ふと、セツナは、彼女の美貌としか言い表せない顔立ちがだれかと似ているような気がして、眉根を寄せた。もっとも、答えはすぐに明示されたのだが。

「だから、勝つのさ」

 レオンガンドの声音に込められた決意は固く、傍で聞いているだけのセツナでさえも、その想いを新たにするほどだった。

 しかし、屋根上の女には、まったくもって効果が無かったようだった。

「どうやって? いまのままでは勝ち目が薄いことは兄上もご存知のはず。我らルシオン白聖騎士隊はくせいきしたいが参戦しただけでは、到底埋めようのない戦力差ですよ? ログナーの背後にはザルワーンがいることをお忘れですか?」

 冷ややかな、それでいて理路整然りろせいぜんとした彼女の言葉に含まれた違和感に、セツナは、なぜか慄然とした。

(兄……上!?)

 それはつまり、屋根上の女が、レオンガンドの妹ということだ。

 その事実になぜ衝撃を覚えたのかは自分でも理解できなかったが、ともかく、セツナは、彼女と青年王の顔を何度も何度も見比べて、胸中で納得したのだった。

 瓜二つ、というのは言い過ぎではないだろう。

 それくらいにそっくりであり、まるで一卵性双生児のようですらあったが、しかしながら年が離れているのは見た目にも明白である。

此度こたびの戦、ザルワーンが出てくるとは思えないな」

「なぜです?」

「……リノン」

 レオンガンドがため息混じりにつぶやく姿を見るのは、セツナは初めてだった。リノンというらしい気の強い妹を、持て余しているのかもしれない。

 彼女は、射るようなまなざしでレオンガンドだけを見据みすえていた。

「なんです?」

「立ち話もなんだし、中で話そう。セツナもベルも困ってる」

 セツナたちを指し示したレオンガンドの様子に、リノンの視線がわずかに動いた。拍子ひょうしに、どこか凍てついていた表情が和らぐ。

「あら、ファリアじゃない」

「お久しぶりです。リノン様」

「ほんと、久しぶりよね。でも、元気そうで安心したわ」

 リノンがファリアがいることを心底喜んでいるのが、傍目はためにもよくわかった。

 先ほどまでの刺々しさが消えてなくなり、柔らかい雰囲気が生まれている。その喜びをたたえた瞳が、セツナに向けられた。

「あなたは?」

 当然の疑問に答えたのは、セツナではなかった。

「彼はセツナ=カミヤ。武装召喚師にして、我らが切り札だ」

 レオンガンドの大声は、リノンを驚かせただけではなく、マルダールの正門付近を行き交う兵士たちの注目を集めるに至った。

 なにより、セツナは、驚愕のあまり、情けなくも叫び声を上げるしかなかったのだ。

「ええーっ!?」

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