第15話 レオンガンド・レイ=ガンディア

「きみのことは聞いているよ、セツナ=カミヤ」

「えっ!?」

 ガンディア国王と名乗った青年がセツナに向かって話しかけてきたのは、彼が静かな決意表明を終えた直後のことだ。

 知っているものなど数えるほどしかいないはずの自分の名を告げられて、セツナは、驚くよりほかはなかった。

 朝日を浴びる石の山の墓標ぼひょうを背後にしたレオンガンド・レイ=ガンディアの姿は、まるで後光でも差しているかのようであり、持ち前の端正な容姿や溢れんばかりの気品と相俟あいまって、極めて幻想的な光景を作り出していた。

「もぐりの武装召喚師ぶそうしょうかんしということも、ランカイン=ビューネルを打ちのめしたという話も、ね」

 彼は、微笑びしょうを浮かべていた。

 親しげな、あるいは、警戒心を抱かせまいとする配慮はいりょの如きその表情は、慈愛じあいに満ちた聖人君子せいじんkんしの顔つきに違いなかった。

 もっとも、表情ひとつで聖人か悪人かなどわかるはずもなければ、初対面の男が微笑んでくることほど警戒すべき事柄はないかもしれないが。

 セツナは、レオンガンドのみならず、周囲にも注意を払うことにした。

 カランの中心を意味する交差点には、いまのところ、セツナとレオンガンドふたりだけだった。しかし、必ずしも安堵あんどはできない。

 レオンガンドが、どこかに人数を配しているかもしれない。なんといってもこの国の王様なのだ。なにを考え、なにを望み、なにを求めてここにいるのか、セツナには想像もつかない。いや、そもそも、国王という話すら本当かどうか。

 なにもわからないからこそ、最悪の事態を想定しておくのも悪くはないはずだ。

 ひとり納得して、セツナは、彼の言葉を反芻はんすうするように問うた。

「ランカイン=ビューネル? ランスなんとかじゃありませんでした?」

「偽名だよ。ランス=ビレインというのはね。本当の名は、ランカイン=ビューネル。その家名が示す通り、ザルワーンの五竜氏族ごりゅうしぞくに連なる男だ」

「いや、当然のように言われても困るんですけど……まったくわかんないです」

 セツナが心底困惑の表情を浮かべると、レオンガンドは、思い出したように言ってきた。

「ああ、そういえば、きみはガンディアの人間じゃあなかったんだったね」

「ええ、そうっすけど……それが、なにか?」

 微妙な言葉を返しながら、セツナは、彼の目を見た。碧玉へきぎょくの如き瞳は、あまりにも美しく、しかしながら凍てついた湖面のように見えることもあった。感情が読めない。

「ベルの報告書を見た限りでは、要領を得ないことが多くてね。だから、直接いに来たんだよ」

「はあ?」

「きみは、ザルワーンの鬼子おにごランカインを打倒だとうするほどの人材だよ? これを放って置くなんてのは、職務怠慢しょくむたいまんといわれても仕方がないんじゃない?」

 問いかけられて、セツナは、ただ疑問符を浮かべるだけだった。レオンガンドの言葉は一々要領を得ないのだ。

 言わんとしていることはわかる。それは理解できるのだが、しかし。

「えーと……あなたは確か、ガンディアの王様なんですよね?」

「うん。そうだよ。半年前に崩御なされた先王に代わり、いま、このガンディアの国主を務めている。うつけとの評判だがね」

「……王様が直接勧誘なんてするんです?」

 セツナは、自嘲気味につぶやくレオンガンドの顔を見つめながら、素直に想ったことをぶつけてみた。

 すると、レオンガンドは、目をぱちくりとさせた。予想外の質問だったのかもしれない。

 セツナにしてみれば、当然の疑問を口にしたに過ぎなかった。驚かれるようなことを尋ねた覚えはない。

「しないよ」

 それは、そうだろう。

 セツナは、レオンガンドのあっさりとした返答に満足した。至極当然の、納得のいく答えだった。一国の主たるものが、おいそれと動けるはずがない。

 しかも、相手はどこの馬の骨ともわからない人間なのだ。国王みずから逢いに行こうとすれば、周りの者たちが全力で制止するはずである。。

「あれ? じゃあ、なんで?」

 セツナは、突如として歩き始めたレオンガンドを目で追いながら、小首を傾げた。自由の利かない身分であるはずの王様が、どうして、目の前に居るのだろう。

 カランの大火で命を落とした人々への慰霊に訪れるにしても、国主ならば、それ相応のやり方なり何なりがあるはずである。

 お忍びで来る必要がない。

 やはり、本物の王様などではないのではないか。

 セツナの中に疑問が膨れ上がってくる。

「この国は――」

 レオンガンドが、セツナの目の前を横切った。冷ややかな言葉が、セツナの耳朶じだに飛び込んでくる。

「ガンディアは、あまりにも弱い。脆弱ぜいじゃくな兵士、惰弱だじゃくな将、虚弱きょじゃくな文官、無能むのうなものたち――英傑えいけつの誉れ高き先王の存在がなければ、この国の領土は、片っ端から蹂躙じゅうりんされ、食い尽くされていただろうね。歴史には、ガンディアという小国が存在した事実さえも残らなかったかもしれない」

 深いうれいを帯びた声音は、朝焼けの空の下、滔々とうとうと流れる大河ように紡がれていく。

「先王は、その類まれなる叡智えいちと驚くほどの行動力、有り余る豊富な資金を最大限に駆使して、国土を守り抜いた。わずかな領土を護り切ったんだ。けれど、それだけだ。領土を護るだけで、精一杯だった。王ひとりが死に物狂いで働いたところで、ごく少数の有能な部下たちが血と汗を流したところで、できることなどたかが知れている」

 通りに沿って南へと進み出したレオンガンドの後を追いながら、セツナは、軽く頭痛を覚え始めていた。この頭の痛みが本格的なものになる前になんとかしなければ、大変なことになりそうだった。

 セツナの頭の中が、だ。

「そして、この弱小国家を率いた英傑が病に倒れたとき、ガンディアの未来は閉ざされた。偉大なる指導者が倒れたのだ。国土を維持することさえかなわなくなってしまった。ガンディアが未だに国家としての体裁を保っていられるのは、同盟を結ぶミオン、ルシオン両国のおかげなんだよ」

 セツナは、レオンガンドの語る言葉の内容をある程度は理解しながらも、すべてを把握することなど、最初から諦めていた。半ば寝惚ねぼけたままの頭では、彼の長たらしい言葉の意味を完全に理解することは、土台無理な話だったのだ。

「……いや、まあ、話は大体わかりましたけど」

 セツナは適当に告げると、レオンガンドの目の前に飛び出した。進行を妨げられて驚く青年王に、問う。

「で、本題は……なんなんです?」

「言っただろう? ベルの報告書じゃ要領を得なかったって。直接逢って、確かめたかったんだ。きみが、どこからきたのか。なんのためにガンディアに訪れたのか。アズマリア=アルテマックスとはどのような関わりがあるのか」

 さっきまでとは一転、青年王の瞳には怜悧れいりな光が灯り、そのまなざしは、さながら獲物を逃すまいとする猟師のように鋭く、セツナは、一瞬射竦いすくめられかけた。そして、悟る。

 レオンガンドは、本物の王様だが、ただの王様などではない。

 無論、それはセツナの貧困な発想から来る王様像に比較しての話に他ならない。

 セツナの脳裏のうりに描かれた王というのは、有体ありていに言えば、ありがちなファンタジーそのものであり、現実の国主に対して失礼極まりない想像の産物だ。

「だから、記憶喪失なんですって!」

 と、セツナは叫びながら、我ながらなんと情けない言い訳をしているのだろうと思った。

 本当のことを話すことはできないような気がした。

 異世界から召喚されました、といって、だれが信じてくれるというのだろう。

 奇異の目で見られるだけならまだしも、時と場合によっては、拘束される可能性だってありうるのではないか。それどころか、どのような目に遭うのか、皆目見当もつかない。

 セツナの豊かな想像力が導き出した結論が、それだ。

「そうなのかい? 記憶喪失の割には、ちゃんと答えてくれたみたいだけど」

「ああ、それは、その……」

 国王を前に、あの質問の答えが適当だとは、さすがに言えなかった。

 セツナは、ファリア=ベルファリアの度重なる執拗なまでの質問の嵐に対して、当初こそ真面目に答えていたものの、そのうち嫌気が差して、極めて適当かつ曖昧あいまいな答えを返すようになっていたのだ。

 姓名、年齢、性別――数え切れない質問のうち、正確に答えられたのは数えるほどしかない。出身地や国籍についても散々質問されたが、それもなんとかはぐらかしていた。日本だの宇津川市うつがわしだの言えるはずがない。

 適当な答えも思いつかなかった。

 当然だ。

 この世界に関する知識などなにひとつないのだ。国名や地域など、出任せで言えるようなものではないだろう。

 武装召喚術をだれに学んだのか、という問いには、なんとなくアズマリア=アルテマックスと答えたのだが、それはどうやら大いなる過ちだったらしい。

「まあ、きみの出自についてはおいおい聞くとしよう。いま一番興味深いのは、きみとアズマリア=アルテマックスとの関係についてだからね」

(やっぱり……)

 セツナは、至極当然の成り行きに肩を落としかけた。しかし、落胆している場合でもない。

 国王がなんの目的もなくセツナに逢いに来ることなど、あるはずがなかった。そんなことは百も承知である。

 なにか、目的があるのだ。

 一国の王ともあろうものが、護衛もつけず、単身カランにまでやってくるなど、常識外れにもほどがある。それほどまでに重大な目的を秘めて、青年王は、この焼け落ちた街まで来たのだろう。

 表向きには、死者への慰霊いれいであり遺族への弔問ちょうもんとでも言うつもりなのかもしれない。

 だが、本当のところ、彼の用件は、だ。

「きみは、アズマリア=アルテマックスに武装召喚術を学んだそうだね? どこで彼女と知り合ったんだい? いや、それよりも、いま彼女はどこにいるんだ?」

 アズマリア=アルテマックス――セツナをこの世界に召喚した張本人たる彼女の名は、口に出すべきではなかったのだ。と、セツナが激しく後悔したのは、いまではなく、ファリアによる質問攻めに遭っている最中のことである。

 アズマリアの名を出した途端、ファリアの態度が豹変ひょうへんしたのには驚いたものだ。

 その変化は、結果的に、彼女の中のセツナの印象を少なからず良いものに変えたようではあったのだが、それにしても、その直後の彼女の興奮振りは、いま思い出しても泣きたくなるほどの凄まじさだったのだ。

「えーと……」

 セツナは、答えを探すようにして視線を虚空にさ迷わせた。視界を埋め尽くす――こともなく広がるのは、猛火に焼かれ、黒く焦がされた町並みであり、そのどこを探しても、青年王の満足すべき答えなど見つかるはずもなかった。

 もちろん、セツナが、彼の期待に応える必要はない。知らない、と正直に返答すればいいだけだった。

 実際問題、アズマリアの居場所などわかるはずもない。いつの間にか消えていたのだ。探そうとしたところで、その手がかりさえもない。そして、探す気力もない。

「アズマリア=アルテマックス。大陸召喚師協会創設者のひとりにして、竜殺し、空を渡るもの、紅き魔人まじん降魔ごうま魔女まじょ災禍さいかの化身――数多あまたの二つ名でおそれられる伝説の武装召喚師。そんな人物がこの国に来ているというのなら、是非とも逢わなければならない。たったひとりで、一国の命運を変えうるのは、彼女か戦鬼せんきグレフくらいのものだろう?」

「は、はあ……」

 レオンガンドに同意を求められて、セツナは、生返事なまへんじを浮かべるしかなかった。間の抜けた表情にだけはなるまいと無駄な努力を試みつつ、きらきらと輝く青年王の少年染みたまなざしから逃れるようにして、顔を背けた。

 人っ子ひとりいない通りには、顔を出し始めたばかりの朝日が差し込み、ささやかに輝き始めていた。続いて空を仰ぐと、これまた、朝焼けに燃え上がる天からは夜の闇が一掃されていた。

 アズマリア=アルテマックスの数多の異名については、セツナは、ファリアから耳に蛸ができるほど聞かされていた。それこそ、嫌になるくらいに。

 青年王が口にした以上の二つ名。一度聞いただけでは覚えられそうもない複雑なものから簡単なものまで、ファリア曰く、覚えているだけで百以上の異名があるという。

 アズマリア=アルテマックスは、それほどの大人物なのだ。

 セツナにとっては、まさに災厄以外のなにものでもないのだが、といって心の底から憎むような相手でもなかった。彼女の言に従えば、召喚に応じたのはセツナ自身の意志であり、彼女を恨むのはお門違いも甚だしいということになる。

 とはいえ、アズマリアこそがセツナがここにいることの元凶には違いなく、そういう意味では、彼女に逢いたいのはセツナも同じだった。

 セツナは、空を流れる雲の一群を呆然ぼうぜんと眺めていた。

 風に流れる雲のようなものだ、と想ったのだ。無論、アズマリアのことである。彼女は、風に吹かれて飛んでいく雲のように取り留めのない存在なのではないか。

 ふと、セツナは、耳をそばだてた。

 どたどたと、物凄い足音がこちらに向かって近づいてくるのがわかったのだ。静まり返った廃墟の如き街の中では、ひとひとりの靴音さえも大きく響いていた。

(なんだ?)

 セツナは、視線を前方に戻して、はっとなった。

「セツナ!」

 鬼のような形相のファリア=ベルファリアが、セツナ目掛けて、想像を絶するほどの速度で接近してくるのが見えたのだ。土煙を上げながら走り来るその姿に、恐怖を抱かないものなどいないだろう。

 実際、セツナは、彼女のあまりの剣幕に腰を抜かしかけたのだ。

「勝手に抜け出しちゃ駄目だってあれほど……って!?」

 そして、セツナに詰め寄ってきたファリアもまた、腰を抜かしかけたに違いなかった。セツナの眼前に生まれた驚愕に満ちた表情から、それと知れる。

 彼女にそれほどの衝撃と驚きをもたらしたのは、他ならぬ、

「やあ、ベル。元気そうでなによりだね」

 ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディア、そのひとだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る