第11話 駄目っぽい

 気づくと、セツナの眼前には荒涼こうりょうたる大地が広がっていた。

 草木一本生えておらず、生き物の気配は微塵みじんも感じられなかった。吹き抜ける風は寒々しく、青ざめた空が頭上を覆い尽くしている。

 流れる雲はまばらで、太陽は見当たらない。

「世界の果てか?」

 彼はぽつりとつぶやいて、すぐさま苦笑した。荒野は、地平の果てまで続いているようだった。つまり、ここは果てではない。

「死んだのかな? おれ……」

 あまり実感はなかった。

 瀕死ひんしの重傷を負ったのは確かだ。記憶に間違いがなければ、全身に大火傷おおやけどを負ったはずだった。それは、生物にとって致命的なダメージに違いなく、死の宣告に等しいように思われた。

 とはいえ、それもまた素人考えに過ぎない。

 浅はかな、医療の心得も持たない子供の戯言たわごとだった。しかし、全身を焼かれたセツナの実感としては、死んだとしても、なんらおかしくはない気がする。

「だとしたら、地獄だよな?」

 つぶやいて、セツナは、軽く肩をすくめた。ため息をつく。

 悪人の末路は地獄に決まっているが、果たして、本当に地獄や天国といったものが存在するのだろうか。もし実在するのだとしても、異世界に召喚されたものの魂は、どうやって地獄や天国に辿り着くのだろう。

 命を終えたものは、召喚の役目を果たしたということになるのだろうか。

「異世界……か」

 セツナは、みずからの両手を見下ろした。紅蓮ぐれんの炎に焼かれたはずの素肌に傷痕ひとつ見当たらないのは、ここが現実とは乖離かいりした世界であることの証明に他ならないのではないか。

 現実の続きならば、両手はみにくく焼けただれているはずだ。目を背けたくなるほどに。

 手を握り、拳を作る。その感覚は、極めて現実感を伴うものだったが。

「……?」

 ふと、妙な気配を感じて、セツナは顔を上げた。視線の先、荒れ果て、死に絶えたような大地に、なにか黒々としたものが突き立っていた。

 絶望的なまでの禍々しさを秘めた漆黒の物体は、長柄の武器のようだった。長い穂部ほぶを持ち、その刃は鈍い光を放っている。長大な柄の先、石突には宝石が埋め込まれており、それもまた、淡い輝きを発していた。

 黒き矛。

 セツナの召喚武装しょうかんぶそう

「おまえは、どうしておれの召喚に応じたんだ?」

 しかし、セツナの問いは、突然の暴風に掻き消された。強烈な突風は、彼の視界を激しく揺さぶり、歪めていく。それはもはや強風などというものではなかった。ただただ猛烈な大気の奔流ほんりゅう

 セツナは、抗うことも許されなかった。

 意識が、消し飛ぶ――。




「――!?」

 激痛とともにまぶたを抉じ開けざるを得なかったセツナの視界に飛び込んできたのは、くりっとした愛らしい目だった。

 とても心配そうな少女の顔が、すぐ目の前にあったのだ。透き通るような青い瞳には、セツナのひどくやつれた顔が映りこんでいた。

「あ!」

 不意に、少女が、表情を綻ばせた。その喜びに満ちた顔は、まるで天使の微笑びしょうのように思えた。

 どう考えても自分に向けられるべき表情ではないとセツナは考えたが、しかし、そんな思索しさくは即座に消滅してしまった。

 意識を覚醒させた激痛と同種の痛みが、全身に悲鳴を上げさせたからだ。激流のように押し寄せる痛みは、情け容赦ようしゃなく、セツナの体中を駆け巡っている。

「気がついたの! お兄ちゃん、気がついた!」

 少女が、セツナの頭に響くほどの大声をあげたのは、接近しすぎていた顔面を離してからではあった。しかしながら、彼女の声がセツナの頭の中できんきんと反響するのは、少女が叫ぶことに全身全霊を注いだからに違いない。

 物凄ものすごい大声だった。

「ぐうううう」

 セツナは、体中を走り回る激痛と、頭の中を反響する高音のふたつに挟撃きょうげきされて、悶絶もんぜつしそうになっていた。目には涙さえ浮かべながらも、一方で、この物凄まじい痛みが生きている実感だという事実に気づいて、セツナは、はっとした。

(生きてる……?)

 視野一杯に広がるのは、白い天井だった。いや、それは天井と言い切れるほど確かな代物には見えなかった。見るからに強度のなさそうな布地の天蓋てんがい。天幕の中にいる。

 セツナは、自分の置かれている状況が、なんとなくわかりかけてきていた。

(助かったのか、おれ)

 どうやら、その通りらしかった。

 全身を掻き毟りたくなるような痛みの中では、首を動かし、視線を巡らせるだけで一苦労だった。苦痛にうめきながら、それでもなんとかして、天井に向けて固定されていた視線を動かしていく。

 セツナの思った通り天幕の中らしかった。

 張り巡らされた天幕の中の空間は、決して狭くはない。もちろん、広いと言えるほどの空間もなかったが。セツナひとりに宛がわれたのだとしたら、十分すぎるほどの空間があった。

 特に、なにがあるわけでもない。剥き出しの地面に置かれた寝台の上に、セツナは寝かされているらしい。四方は布製の覆いで囲われており、四つ角には簡素な柱が立てられていた。覆いは、地面に固定されてもいないのだろう。時より吹き抜ける風に捲れて、外の様子が垣間見えた。

 もっとも、風に揺れる覆いの隙間に覗いたのは、別の天幕の覆いでしかなかったが。

(そうか。そうだな)

 セツナは、ひとり納得して、暗澹あんたんたる気分になった。とはいえ、激痛が、沈んでいく心を強引にでも引き上げてしまうのだが。

(なにもかも、燃え尽きたんだ……)

 ひとも街も、なにもかも。

 あの男ひとりの手にかかり、カランは地獄と化した。

 男の杖が放った炎によって、紅蓮の炎に包まれ、焼き尽くされたのだ。

 セツナが到着したのは、ほとんどのものが燃やされた後だった。

 遅すぎたのだ。

 なにもかもが、遅すぎた。

(……ちくしょう)

 セツナは、口惜しさに歯噛はがみしたものの、つぎの瞬間、自嘲じちょうとともに笑うしかなかった。もっと早く辿り着いたところで、どうだというのだろう。あの男の放火のすべてを防げたとでも考えているのだろうか。

 そんなことはありえない。

 断定とともに、セツナは、苦い顔をした。

 あの男の炎を完全に防ぐことなど、できるはずがなかった。そもそも、街が燃えていなければ、男の存在を認知することもなかったはずだ。あんな場所で、高笑いでもしていなければ、見過ごしていたのではないか。

 そして、男が街に火を放っていなければ、セツナが矛を向けることはなかった。

(なんだ……?)

 セツナは、いくつかの足音がこのテントに近づいてくるのを認めて、首をそちらに向けた。

 一方で彼は、全身の激痛が静まる気配もなければ、わずかでも和らぐような兆候すら感じられないことに、軽く絶望すら抱きかけていた。それはどうやら、火傷の痛みではないようにも思えるのだが、果たして。

 不意に、天幕が開けられたかと思うと、さっきの少女が勢いよく飛び込んできた。

「お兄ちゃん、もうだいじょうぶなの!」

 少女が、満面の笑顔で告げてきた言葉の意味が理解できず、セツナは、首を捻ろうとしてやめた。体をちょっとでも動かすと、痛みが激しさを増すのだ。

「ここは一応病室ということになっているはずよ、エリナ。大声を出しちゃ駄目じゃない」

 春風のような声とともにテントの中に入ってきたのは、若い女性だった。少女の無作法ぶさほうにあきれたような、それでいて慈しみが感じられる声音は、セツナの耳朶じだにも心地よく響く。

 その女性は、やや青みを帯びた黒髪に、エメラルドグリーンの瞳を持っていた。どこか理知的に見えるのは、赤い縁の眼鏡のおかげというわけでもない。彼女自身の持つ空気なのだろう。

 華奢な肢体を包むのは、女性特有の凹凸を強調するような衣服だった。黒と赤を基調とした、どこか暗い印象を与える装束。

「ごめんなさい!」

「ふふ」

 彼女が笑ったのは、少女が結局、大声を抑えることができないからだろう。なにか興奮でもしているのだろうか。かくいうセツナは、その女性に目を奪われてはいたが。

 セツナが女の肢体に見とれていると、少女が小首を傾げた。その仕草もまた、大層可愛らしいものではあった。しかし、セツナの心を射止めるようなものでもない。そしてそれは致し方ないことなのだ。セツナは、年下の少女に興味を持てなかった。

(いや、そういうことではなくて、だな)

 心の中で状況を整理するようにつぶやいて、セツナは、少しばかり深呼吸した。女の登場に取り乱しすぎた己を恥じたのだ。冷静さを取り戻すために、空気を吸い、吐く。すると、肺が痛んだ。悲鳴を上げたくなるほどの痛みだった。

 しかしそれ以上に痛いのは、女性の不思議そうなまなざしだ。

「だいじょうぶですか?」

「え、ああ、うん。だ、だいじょうぶですとも!」

 こちらの様子がおかしかったからだろう――幾分心配そうな彼女の表情に、セツナは、無理やり笑顔を作って見せた。引きった表情を笑顔というのなら、やはりそれは立派な笑顔だったはずだ。自分に言い聞かせて、セツナは、胸中で拳を握った。だいじょうぶ、いける。

 とは、いえ。

「ぐ、ぎあああああああああああああああ――」

 セツナは、絶叫した。

 無理に笑顔を作ったことが原因なのか、想像を絶するほどの痛みとなってセツナの全身を駆け抜けたのだ。

「駄目っぽいの!」

 寝台の上で突っ伏したセツナに追い討ちをかけたのは、エリナという少女の一言だった。

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