第7話 紅蓮と燃えるは我が魂

「なんというか、ご愁傷様しゅうしょうさまで……」

 セツナが、いかにも焼け出されてきたばかりの人々を前に沈痛な面持ちになったのは、中天にあったはずの太陽がわずかに傾きかけた頃合だった。

 森の外へ無事に抜け出すことに成功したのは、少し前のことだ。

 獣道を進んだのは、正解だった。皇魔おうま遭遇そうぐうするようなこともなければ、なにか問題に直面することもなかった。

 多少なりとも時間はかかったし、足も疲れたが、それくらいだ。

 森の外には、広大な天地がその眩いばかりの輝きを見せつけるかのように横たわっていた。澄んだ空気と穏やかな風は、森の中では考えられないほどに清々すがすがしかった。地平の果てまで続く大地に圧倒され、遥か頭上を埋め尽くすあざやかな群青ぐんじょうに息を呑む。生まれ育った街の閉塞感へいそくかんとはまったく異なる開放感に、セツナの気分も晴れた。

 なにもかもが目新しかった。

 目に映るすべてが輝いて見えたのだ。

 青空も、太陽も、雲も、草も木も、石ころさえも、異世界らしさがあるように感じられた。

 なにもかもが、神秘と幻想に満ちている。

 そして、セツナは、その頃には、自分を召喚し、放置したアズマリア=アルテマックスのことなど、毛ほども考えなくなっていた。

 そのまま歩いていると、道に出た。

 この世界に住む人々によって作られた道だろう。

 その道は、セツナが召喚された森の脇を通っていたのだ。セツナはそれを街道と認識したものの、特別綺麗に舗装ほそうされているわけではなかった。ただ草が刈り取られ、地肌が剥きだしているだけだ。しかし、長期間に渡って道行く人々に踏まれ続けたのであろう地面には、雑草もほとんど見当たらなかった。

 獣道とは比べるべくもないくらいには、立派な街道だ。

 道の両脇に奇妙な形状の石柱が点在していることも、セツナがその道を街道と見定めた理由の一つだ。ガードレールなどとはまた違うのだが、街道と平原の境界線の役割を果たしているように思えたのだ。

 その街道の石柱の前に、彼らは固まっていた。数十人の老若男女である。焼け焦げたひとたち、という表現はあながち間違いではない。端的に過ぎるが、セツナのわずかばかりの語彙ごいでは、それ以外に彼らを表現する方法はなかった。

 この世界の人間と対面するのは、アズマリア=アルテマックス以外では初めてだった。

 しかし、これといった緊張はない。アズマリアに言葉が通じたのだ。なにも心配はいらないような気がした。

 と、そこまで考えて疑問に思ったのは、ここが異世界だという事実である。

 見知らぬ人種と見知らぬ言語で成り立っているはずの世界の住人は、なぜかセツナの言語を理解し、セツナもまた、この世界の言葉を理解できていた。

 セツナが使っているのは日本語だったし、アズマリアが用いていたのも日本語だった。意思疎通いしそつうに問題がないのはいいのだが、なにかに落ちない。

 かといって、考え込んでいる場合でもなかった。

 釈然しゃくぜんとしないまま、セツナは、彼らに声をかけていた。

 なぜ、あんな風に話しかけたのか、セツナ自身理解していなかった。彼らの様子があまりにも悲惨ひさんだったからだろうか。だとしても、もっとほかに掛ける言葉もあっただろうに。後悔こうかいしたところで、取り戻せるものはなにもない。

「……きみのほうこそだいじょうぶか?」

 しかし、初老の男性が、こちら以上に痛々しそうに言葉を返してきたのは予想外だった。中肉中背ちゅうにくちゅうぜい、これといった特徴とくちょうのない老人だ。彼の全身を包む衣服は焼け焦げ、火災にでもった直後のように見える。

 その老人だけではない。

 老人の背後に隠れた男の子も、こちらを興味深げにこちらを見る女性も、疲れきったようにうなだれる青年も、ひとりを除いて、だれもが火災現場から逃げ出してきたかのようだった。

「あ、あー……」

 老人にいわれてから、セツナは自分の状態を思い返した。皇魔との戦闘で制服はぼろぼろになっていたし、左太腿には包帯を巻いていた。確かに、見ようによってはこちらのほうが悲惨なのかもしれない。

 太腿の痛みはだいぶ和らいではいるものの、完治したわけではない。常に疼いていたし、歩くたびに響いた。だが、耐えられないほどではない。

 ここまで歩いてこられたのが、その証左だ。

「おれはだいじょうぶです」

「とてもそうは見えんが……」

 心配そうな顔をしている老人の言葉に、セツナは、心が洗われる想いがした。

 老人たちこそ大変な状況に見えるというのに、突然話しかけてきた見知らぬ男の身を案じている。優しい人だと想った。

 そして、言葉が通じていることを再確認する。

 日本語で会話しているのだ。どういう原理なのかさっぱりわからなかったし、もしかすると、この世界のこの地域では日本語が通用するのかもしれないとも考えたりした。

「おれのことは心配しないでください。さっきだって皇魔を退治してきたんですから」

 老人の心配を吹き飛ばすためにいったのだが、ちょっとした騒ぎになってしまった。といっても、セツナに食いついてくるわけではない。

「皇魔を……?」

「子供がか?」

「武器もないのにどうやって」

「嘘でしょ?」

 身を寄せ合ってささやきあっている人々の姿に、セツナは戸惑うしかなかった。皇魔のことなど、いうべきではなかったのだろう。

 この世界に住み着いた、異世界の魔物ども。この世界の住人にとっては、やはり恐るべきものなのかもしれない。

 黒き矛の前ではただの雑魚でも、普通の人間には脅威きょういになりうる。

 セツナ自身、殺されかけたという事実を思い出し、肝が冷えた。

「本当なのかね?」

「えーと……はい。嘘じゃないです」

「きみが嘘を付いているようにも見えんが、いまいち信じられんな」

 老人はそういうと、屈託くったくなく笑った。途端に人の良い顔になる。

 セツナもつられて顔をほころばせたが、周囲の人々の様子にすぐ真顔になった。焼け出されてきたひとたちに外傷らしい外傷は見受けられない。服や髪が焦げている程度だ。しかし、その目には恐怖が揺れている。

 とてつもなく恐ろしい目に遭ったのだろう、と、想像できる。

「ところで、なにがあったんですか?」

「それは……」

 セツナの問いに、老人は、ただ視線を落とした。答えたくないのだろう。いや、思い出したくもなかったのかもしれない。相手の感情も考えずに尋ねてしまったことを強く後悔する。

 聞くべきではなかった。

 辛いことを思い出させてしまったかもしれない。

「街が燃えたの!」

 叫ぶようにいってきたのは、見た目十歳足らずの少女だった。さっきまでは母親らしき女性の背後から恐る恐るといった様子でこちらを覗いていたのだが、いつの間にかセツナの足元にまで近づいてきていた。

「突然ね、真っ赤に燃えちゃったの!」

 セツナは、目線を少女に合わせるために屈んだ。少女は、恐怖に表情を強張こわばらせながらも、懸命けんめいに訴えてきていた。

 燃える街の光景を思い出しているのかもしれない。瞳が揺れている。胸が苦しくなった。人々を包んだ恐怖は、こんな小さな子供の心に深く影を落としている。

「街が燃えた?」

 セツナは、反芻はんすうするようにつぶやいた。少女は、いまにも泣き出しそうになりながらも、強い意志でそれを堪えている。そして、セツナを見つめている。セツナに訴えてきた理由はわからない。

 しかし、セツナの心に響くものがあった。

「この子の言う通りさ。おれたちの街が燃やされたんだ。理由なんて知らないし、そんなことはどうだっていいが、街が焼かれたんだよ!」

「犯人は男よ。あれは武装召喚師ぶそうしょうかんしに違いないわ……」

「ぼくのおうちも燃やされちゃった……」

 口々に紡がれるひとびとの悲嘆ひたんを聞いて、セツナは、静かに立ち上がった。嗚咽おえるを漏らし始めた少女の頭を撫でようとして、やめる。見ず知らずの人間に触れられたら、余計に恐怖を与えるかもしれない。

 すると、少女に歩み寄った女性が、彼女を抱きしめた。母親なのかもしれない。強くも優しい包容だった。

 セツナは、視線を目の前の老人に戻した。

「身ひとつで逃げ出してきたんだよ。あのままカランに留まってもいられないのでね……わたしらはクレブールにでも行くつもりなんだ」

「カラン? クレブール?」

「あんた、クレブールから来たんじゃないのか? 南から来たように思えたが」

「ええ、まあ、その、その通りです」

 どう答えればいいのかわからず、セツナは適当に相槌あいづちを打った。本当のことは話せないだろう。話しても信じてもらえないか、頭がおかしいと思われるのが落ちだ。

 せっかく人に会えたのだ。

 そんなことで繋がりを失いたくない。

 老人の話から、この街道の南にクレブールという街があるということがわかる。つまりカランという街はこの道の北に位置するのだろう。

 そして、カランは男によって焼かれた。男は、武装召喚師。武装召喚。セツナやアズマリアと同じ、召喚武装の使い手に違いない。

 セツナは、母親の腕の中で泣きじゃくる少女の姿を見た。

 いままで彼女の精神に張り詰めていた緊張の糸が切れたのかもしれない。泣き声は、心に突き刺さるようだった。手を握りしめる。爪が手の平に刺さっていくが、構いはしない。血の味が舌の上に広がった。唇を噛み切っていた。

 それは、どういう感情なのだろう。

 怒りか。

 それとも、義憤ぎふんとでもいうべきものなのか。

 そんなものが自分の中に存在していることに驚く。そんな人間だったのかと、自分の中の新しい一面を発見する想いだった。

 少女の恐怖を拭い去ってあげたかった。

 そう想うと、いても立ってもいられなくなった。

 目的地は、決まった。

「どうした? 本当にだいじょうぶか? きみ……」

 こちらの異変に気づいたのか、目の前の老人が気遣うように声をかけてきた。

「ええ、だいじょうぶですよ」

 セツナは、笑顔を浮かべたが、目は笑っていなかったかもしれない。そういう余裕はなかった。

 老人の気分を害さないように視線を巡らせ、ふと、気づく。焼かれた街から逃げ出してきた一団の中で、ひとりだけ、違和感を放つ女性がいた。

 石柱の元に隠れるように座り込んだその女性は、ただひとり、炎に巻かれた様子もなければ、悲壮感もなかった。艶やかな黒髪が美しい。

 拍子ひょうしに、その女性がこちらを見た。視線が交錯する。灰色の瞳には、感情らしい感情も見受けられなかったが。

 一瞬、女性が愕然がくぜんとしたような表情になった。が、それは錯覚だったのかもしれない。つぎの瞬間には、女性はにこやかな微笑でこちらの視線に応えていた。絵になるような微笑みだった。

 セツナは、特に疑問も抱かずに軽く会釈えしゃくをすると、老人に視線を戻した。

「いろいろ聞かせてくれて、ありがとうございました」

「ん……?」

 老人の要領を得ないというような表情に、セツナは、内心苦笑を浮かべた。仕方がないだろう。こちらのことはなにも話していないのだ。そして、それでいいと思っていた。これ以上関わらないほうがいいのではないか。

 自分の行き先は炎の街で、老人たちは安住の地を求めて南に行くのだ。

「では、さようなら」

「は? おい、どこへ――」

 老人の呼び止める声は、背中で聞いた。

 既に街道を歩き始めたセツナは、振り返ることもなかった。

「カランに!」

 ただ、叫ぶように答えた。

 カラン。

 名前しか知らない街を焼いた男を見つけ出して打ちのめそう。

 そうしなければ、この怒りは収まりそうになかった。相手が街を焼くほどの召喚武装を持っていようと関係ない。こちらにも召喚武装がある。あの皇魔の集団を撃退した漆黒の矛がある。負ける気はしなかった。

 と、背後から声が聞こえた。

「カランなら逆方向だぞ~!」

 セツナは、ずっこけた。


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