武装召喚師~黒き矛の異世界無双~

雷星

プロローグ

 空は、曇天どんてん

 鉛色の雲が幾層いくそうにも折り重なって、分厚い天蓋てんがいを形作っている。

 まるで、この地獄じごくの如き世界から、誰の魂も逃すまいとしているかのようだ。

 夏の熱気を帯び始めた風は、軽く、すべてを包み込むように流れていく。もっとも、そんなものはなんの慰めにもならないことは、この場にいる誰もが理解していたことだろう。

 前方には果てしない大地が、その無尽むじんの広がりを見せつけるように横たわり、背後には、壮麗そうれいにして豪奢ごうしゃな城門が、その絢爛けんらんたる美しさとは裏腹にわずかな外敵の侵入さえも怖れるように固く閉ざされていた。

 無論、城門の役目としては正しい。文句のつけようがない。なにひとつとして間違ってはいないのだ。

 彼は、背後に立ち尽くす城門を仰いだ。金剛石こんごうせきで作られたという門扉は、優美にして華麗な装飾が施されたその外観からは考えられないほどに堅牢にして強固であり、どのような攻城兵器の猛攻もうこうにも耐えられると信じられていた。

 確かに、どんな物理的衝撃を受けてもびくともしないのだ。

 それは、原初げんしょより定められた絶対の約束に違いない――見るものにそう確信させるほどに、門扉の持つ威圧感は圧倒的だった。

(門扉だけは、な)

 彼は微かに笑うと、改めて前方に向き直った。

 どれほど激しい戦争が起ころうと、戦火に飲まれようと、城壁が破られ、城塞が砕かれようと、しかばねの山が築かれ、血のかわが流れようと、この門扉だけは無事なのだろう。

 そしてそれは、たった今から証明されるはずだ。

 激しくも重厚でありながら、神経を逆撫さかなでにするようなけたたましさを秘めた交響曲の如き騒音が、遥か前方から近づいてきていた。

 幾万もの軍靴ぐんかが刻む、いくさの旋律。

 その速度たるや慄然りつぜんたるものであり、さすがの彼も、目を丸くした。

(早っ!)

 だが、いくら驚いたところで、目の前の現実はくつがえらない。

 荒野の果てに、黒々とした土煙がもうもうと立ち込めていた。おびただしい数の人間が、想像を絶する速度で、こちらに接近してきているのだ。

 それは、敵国の軍勢で間違いないのだが、徒歩ではあり得ないくらいの行軍速度だった。騎馬だとしても、あれだけの数の馬をどうやって用意するというのだろう。

「ま、いいさ」

 彼は、口に出してつぶやくと、急速にこちらとの距離を詰めつつあるそれらに対し、不敵な笑みを浮かべた。

 いつものように。

 傲岸不遜ごうがんふそん

 それが彼を定義する言葉であり、まさに彼そのものだった。

 彼は、駆け出した。

 前方へ。

 敵の軍勢は、その先頭をひた走る兵士の、深紅しんく甲冑かっちゅうの形状が目視もくしで確認できるほどの距離にまで到達していた。そのあかき甲冑は、一角獣の如き角を備えた兜からユニコーン・ヘッドとも言われている。

 ともかく、重装備とは思えないほどの速さで先陣を切るその兵士は、美々びびしく飾られた長槍を手にしていた。

 彼は、頭上に右手を掲げ、告げた。

武装召喚ぶそうしょうかん!」

 直後、彼の全身がまばゆい光に包まれたかと思うと、天にささげるかのように差し出した右手の内に、漆黒のほこが現れた。いびつな、そして見るからに禍々まがまがしい矛は、さながら血を求めるかのように鈍い輝きを発する。

 彼は、何の躊躇ちゅうちょもなくその矛を握ると、もはや五メートルほどの距離にまで接近していた深紅の敵兵の只中ただなかへと突っ込んでいた。

 間合いは、瞬く間になくなる。

 矛の刃が届く距離へ。

「さよならっ!」

 彼は、右手だけで矛を振り抜いた。大振りながらも神速しんそく斬撃ざんげきは、敵兵に反撃の機会はおろか、後悔こうかいいとまさえ与えなかった。甲冑ごといともたやすく両断してみせる。

 抜群の手応え。血をふきき出しながら転倒し、ただの肉塊と化したそれに一瞥いちべつをくれることもなく、彼は、凶暴な笑みを浮かべた。

 雲霞うんかの如き敵兵が、視界を埋め尽くしていた。

 それら敵兵のほとんどは、先陣の兵士とは異なる、角のない緑色の甲冑を纏っている。得物はそれぞれ異なっている様子だったが、彼には関係のない話だった。だれがどんな武器を持っていようが、どうでもいいことだ。

 ただ、ほふるだけなのだから。

 地を蹴り、彼は、侵攻しんこうを再開する。

 そう、これは迎撃ではない。

 侵攻なのだ。

 長槍を手にした先頭集団を、矛の一薙ひとなぎで事も無げに殲滅せんめつする。

 ただ一閃。

 しかも片手だけで、だ。

 それは、彼の常軌じょうきを逸した膂力りょりょくだけでは考えられないものであり、彼が手にした矛に秘められた力であることは疑いようがなかった。

 もちろん、彼とてそんなことは理解している。

 むしろ、把握はあくしているからこそ、その矛を振り回しているのだ。

(十人か)

 彼が胸中つぶやいたのは、先の一薙ぎによって死体と化した兵士の数だ。

 みずからの目で確認したわけではない。

 手応えだけで、そう判断した。間違いはないし、確信もあった。だからどう、ということもない。すぐさま思考を切り替え、つぎに殺すべき相手を探す。

 いや、探すまでもないことだ。

 敵軍は、怒涛どとうとなって押し寄せている。

 それら幾万の軍勢の中で、たったひとり矛を振り回したところで、なんになるというのか。

 彼と矛の尋常ならざる力が、ただの一振りで、十人もの敵兵を殺した。だが、だからどうしたというのか。

 相手は数万、こちらはひとり。

 焼け石に水ですらない。

(まったく、その通りだ)

 彼は、自嘲じちょう気味に笑うと。眼前の死体が崩れ落ちるのを待たなかった。なんの逡巡しゅんじゅんもなしに、跳躍ちょうやくする。驚異的きょういてきな脚力が、彼の肉体を上空へ運んだ。

 軽やかな大気の中へ。

 眼下には、想像を絶するほどの大軍勢がひしめき合い、緑色の津波となって城門へと押し寄せていた。

 が、彼には、敵軍の侵攻を阻む手段も算段もなかった。硬く閉ざされた門扉は、敵軍の侵入を許しはしないだろうが、城壁は、どうか。

 無論、城壁とて堅固けんごなことこの上ない。しかし、それは敵軍も承知のはずだ。承知の上で、攻め込んできた。

 突破する手段があるのだ。きっと。

 彼は、いまだ中空。敵軍の真っ只中で、空中に飛び上がるなど、冷静に考えれば正気の沙汰さたではなかった。空中で自由に動き回ることなどできるはずがないのだ。敵にとっては、いい的に違いなかった。落下地点の予測など、容易い。

 普通ならば。

閃撃せんげきの――」

 彼は、矛を頭上に掲げ、旋回させた。高速回転する矛の切っ先に、淡い光がともった。その輝きは、旋回する速度が増すごとに、強く、激しくなっていく。彼の肉体が地面へと落下を始めた頃には、目が眩むほどに鮮烈な光となっており、眼下の敵兵たちの視覚を狂わせていた。

 降下の最中、彼は、視界の真ん中で、こちらを見据みすえる兵士に気づいた。彼の落下予定地点で、長剣を構えている。どういう原理か、目くらましは通用しなかったらしい。

 彼は、凶悪な笑みを浮かべた。

 それがどうした。

 叫ぶ。

「ライトブリンガー!」

 着地より速く、敵兵が反応するひますら与えず、彼の矛の純白に輝く切っ先が、敵兵の緑の兜を貫いていた。頭蓋ずがいを破り、脳髄のうずいを壊し、脳漿のうしょう血液けつえきらしていた。

 瞬間、矛の穂先に灯っていた光が、急速に膨張した。

 爆発的な勢いで拡散する光は、兵士の肉体を甲冑もろとも爆裂四散させた。目に痛いばかりにあざやかな爆発光の中で、甲冑の破片が彼の右頬を切り裂く。

 着地して、彼は、周囲に一定の空間があることに気づいた。彼を中心とする一定の範囲が、緑の津波の中にあって、一種の空白地帯になっていた。その範囲とは、もちろん、矛の届く距離に違いなく、なんとか矛の切っ先が到達するであろう間合いには、だれひとりとして立ち入ってこなくなっていた。

 ただし、地面は見えない。

 先ほどの爆発に巻き込まれた数十名の兵士の亡骸が、地を塗り潰すように横たわっていたからだ。血の赤と、鎧の緑で。

 敵兵たちが、彼の攻撃範囲外に包囲陣を構築したのは、迅速で精確な判断だっただろう。

 あの爆発を見て、なんの対策も取らないのは愚の骨頂だ。

 もっとも、それで彼を止めることはできない。

 一歩、進む。

「っ!」

 と、包囲陣もまた、一歩、進んだ。だが、津波のような大攻勢の最中だ。陣形を崩さずに一歩進むだけで、相当な苦労が見て取れた。

 だから、彼は、地を蹴ったのだ。

「なっ!?」

 前方の敵兵が驚愕きょうがくに目を見開いたのが、彼の網膜もうまくに焼きついた。なんの予兆よちょうもなく、一足飛びに間合いを詰められれば、だれだって驚くものだ。

 彼だって、敵軍の行軍速度には驚いたものだった。

瞬撃しゅんげきの――」

 彼は、敵兵の眼前で、囁くように告げた。

「デスブリンガー」

 突き出した矛が、敵兵の胴体を突き破り、さらに、その後方の兵士の腹に突き刺さったのを手応えとして認識する。そのまま、矛を右へ薙ぎ払い、周囲の敵兵を纏めて吹き飛ばす。悲鳴やら罵声やらが聞こえた気がしたが、彼は、幻聴げんちょうと決め付けた。

 三度みたび侵略しんりゃくに乗り出す。

 眼前に生まれたわずかな空隙くうげきは、瞬く間に緑の甲冑に埋め尽くされたが、彼は、特に気にも留めなかった。矛を旋回させながら頭上に掲げ、さらに回転速度を上げていく。周囲の敵兵がどよめいたのは、先ほどの爆発を想起したからに違いない。

 彼は、笑った。

 敵兵が、我先にと飛び掛ってきたからだ。それは、間違いなく、矛の回転を止めるためだろう。広範囲の兵士を殺傷する力だ。

 そんなものの完成を見守る馬鹿がどこにいるというのだろう。

 だが、彼の目論見はそんなところにはなかったし、敵の動きが手に取るようにわかっていた。

 背後からの兵士の槍による突きを見事な体捌たいさばきでかわすと、彼は、かさず矛を振り下ろした。敵兵の肉体を鎧もろとも両断する。大量の血潮ちしおを浴びながら、さらに右前方からの突撃に対応するように矛を突き出し、兵士の頭を粉砕する。すぐさま頭部から穂先を抜くと、頭上を仰ぐ。

 槍を手にした敵兵が三人、一斉に飛び掛ってきていた。無茶だ。

 微笑だけを投げ返す。

 彼は、後方に飛び退くと、背後から迫ってきていた殺気に反応した。振り向きざまに矛を薙ぎ払い、敵兵五人の胴体を斬り裂いた。鮮血とともに倒れ伏す五人の後方から、その亡骸を飛び越えてきたのは、極大の剣を手にした大男である。

 野獣の唸り声のようなものを上げながら、襲い掛かってくる。

「おおおおおおおおおおおおお!」

 猛烈な咆哮とともに両手で握られた大剣が、全力で振り下ろされてきた。物凄まじい破壊力を秘めた一撃は、しかし、彼の肉体を肉塊にするようなことはない。大男に比べれば、子供同然の彼の体躯は、既に上空にあった。

 彼は、無意識のうちに回転させていた矛の切っ先に、強大な力が渦巻かせている。

嵐撃らんげきの――」

 彼は、大男を見据みすえた。空振りした両手剣は、大男の前方の地面に大穴を空けていた。それだけではない。どうやら、数名の兵が巻き込まれてたらしい。死体が三つ、増えていた。全員、槍を手にしている。さきほど、空中から躍りかかってきた連中だろう。

 彼は、矛の旋回を止めると、眼下に向かって投げつけた。

「ストームブリンガー!」

 矛は、両手剣を掲げようとした大男の足元に突き刺さった。

 瞬間、嵐が生まれた。穂先に蓄積された力が解放されたのだ。嵐の力。暴虐極まりない風の力は、多重螺旋を描きながら拡大し、大地を掘削くっさくし、死体を吹き飛ばし、大男を切り刻んで薙ぎ倒す。

 そして、周囲の何百という敵兵を巻き込んで、さらに成長していった。

 暴走する旋風がもたらすのは、破壊だ。

 圧倒的な破壊の力が、周辺に徹底的な破滅はめつを叩き付けていく。暴風の前では敵兵の鎧など意味をなさず、もろともに吹き飛ばされ、どこからか飛んできた仲間とぶつかって、命を落とす。

 幾多の死が、嵐の中で生まれた。

 彼は、嵐の中心に着地すると、もはやすべての力を解き放って抜け殻のようになった矛を、地面から引き抜いた。破壊の嵐は、じきに止むだろう。なにより、矛の周囲が無風状態になっていたことが、その証明だった。

 嵐が止み、雨が降り出した。

 おびただしい死の雨が。

 嵐に飲まれ、天高く運ばれた数百の兵士が、死体となって降ってきたのだ。

 まさに死の雨だった。

 そして、その死の雨に打たれ、命を落とすものたちもいた。暴風圏外にいた兵士たちである。

 彼の力で、どれだけの敵兵が死んだのだろう。五百はくだらないはずだ。だが、それでは、足りない。数万の軍勢を突き崩すには、足りない。このままでは、城壁が打ち破られ、城砦が落とされてしまう。

(それはそれでいいんだが……)

 彼は、矛を軽く振り回すと、前方に向かって駆け出した。城砦がひとつ落ちたところで、なにも構いはしないのだ。むしろすっきりしていいのかもしれない。だが、なにかが釈然としなかった。

(要するに、気に食わないのか?)

 自問とともに、眼前の敵兵を縦一文字に両断する。死体を押し退け、つぎつぎと敵兵を殺戮さつりくしながら突き進む。どこからともなく飛来した矢を、矛の石突いしづきで破壊し、そのまま矛を旋回させて周囲の兵士を一網打尽に薙ぎ払う。ふたたび、矢。

「っ!」

 彼は、左手を眼前にかざした。刹那せつな、激痛がてのひらに生じた。矢が掌に突き刺さり、やじりが、手の甲を突き破っていた。傷口から血が流れている。

「そこまでだよ、セツナ」

 聞き知った少年の声が高らかに響き渡ったのは、なんの冗談だったのだろう。

 彼は、激痛に顔を歪ませたまま、左手を視界から退けた。前方、緑の津波が真っ二つに割れていた。

 それはまるで聖者の通り道のようだった。

 幾万の兵士たちは、整然と隊伍たいごを組み、身じろぎひとつせず、その聖者の到来を待ちかねているのだ。

 彼は、絶望しかけていた。なぜかはわからないが、圧倒的な敗北感が、彼の胸中に到来していたのだ。

 神聖な光が、緑の津波の彼方から歩み寄ってきたからだ。

「君の夢は、ここで終わる――」


久遠くおん……!」

 神矢かみや刹那せつなの目覚めの一言は、絶叫ぜっきょうにも慟哭どうこくにも似ていた。

 黒髪の、どこか野生的な顔立ちの少年である。世にも珍しい深紅しんくの瞳は、血のように紅いなどといわれることもあるが、本人は気に入っていた。

 太っているわけでもなければ、痩せているわけでもないし、低すぎることもなければ、高すぎることもない、極めて、平均的な体型だった。

 彼は、天井の木目もくめにらみ据えた。ひどい悪夢だった。半年前に失踪した友人に、活躍を阻まれる夢。

 そんなものが、いい夢であるはずがない。

 彼は、嘆息たんそくとともにベッドから飛び降りた。今日は平日だ。悪夢に気をとられている場合ではなかった。早く用意して、学校に行かなくてはならない。気が重いが、それが子供の数少ない義務なのだ。それくらいは果たさなければならない。

 ゆっくりと伸びをして、セツナは、壁にかかった時計を見遣みやった。デジタル時計は、午前八時を表示していた。

「え!?」

 彼は、愕然とした。悲鳴を上げる。

「遅刻じゃねーか!?」

 それは、絶望に似ていた。


 セツナが悪夢を見るようになって、どれくらいたつのだろう。

 少なくとも、クオン失踪以前にあのようなくだらない夢は見たことがなかった。むしろ現実のほうが悪夢のようであり、夢は、楽園のようなものだった。どんな悪夢であれ、当時の現実に比べればマシだったのだ。

 セツナにとっては、だ。

 他人からしてみれば、どうでもいいことには違いない。そんなことは彼にだってわかっていたし、故に、だれにも言わないのだ。小さなこだわりに過ぎない。だが、それが、それだけが。セツナがセツナ足りうる所以のような気がしてならなかった。

 ともかく、悪夢だ。

 初めて見たのは、守家かみやクオンが失踪して、しばらくしてからだったはずだ。

 悪夢の筋書すじがきは大体決まっている。

 セツナが、どこともしれない場所で、大量の敵と戦うというものである。数多あまたの敵との戦闘は気分爽快きぶんそうかいそのものであり、そこだけを切り取って見ることができれば、彼は歓喜でむせび泣くかもしれない。

 だが、夢の終わりは、いつだって最悪だった。

 守家クオンの妨害によって、目が覚めるのだから。

(クオン……おまえがなんで)

 セツナは、自転車を全力でこぎながら、胸中でうめいていた。自問したところで、答えが沸いてくることなどありえないのだが、それでも、疑問を浮かべるしかなかった。何度も、何度も、同じような夢を見ている、

 さすがに苦痛になりつつあった。

 と。

「え?」

 それは、彼が、赤信号に阻まれる格好で停車し、ふと頭上を仰いだときだった。

 空は、晴天。

 気持ちいいくらいに晴れ渡った蒼穹そうきゅうには、雲ひとつ見当たらず、朝の爽やかな日差しが、どうしようもないくらいに素敵だった。

 問題は、だ。

「門……?」

 蒼空そうくうに浮かぶそれは、夢に見た城門に良く似ていた。金剛石の門扉を持ち、絢爛豪華にして堅牢強固たるあの城門に。

 そしてそれは、急降下してきたのだ。

「えええっ!?」

 さすがの彼も、頓狂とんきょうな声を上げるしかなかった。通学路の途中の交差点である。幸いなるか、通学中の学生の姿はないが、だからといって通行者がいないわけではない。あからさまに白いまなざしを注がれて、彼は、赤面した。

 だが、驚愕するしかなかった。

 巨大な城門が、空から降ってきたのだ。

 それは、セツナが驚きの余り硬直しているうちに、彼の前方に降り立ったのだった。周りの建物よりも遥かに大きな城門は、しかし、音もなく、その美々しく飾り立てられた門扉を見せ付けるように着地した。

 彼は、想像を絶する事態に思考停止に陥りかけた。頭の中が、一瞬、真っ白になったのだ。だが、すぐに自分を取り戻す。と同時に、彼は、周囲が異様な空気に包まれていることを感覚だけで理解した。

 当然だった。

 門が降ってきたのだ。

 恐慌きょうこう状態にならないほうがどうかしている。

(つまり、俺はどうかしているんだな)

 自嘲とともに、認める。

 どうかしているから、あの夢を悪夢と結論付けるのだろう。

 セツナは、周りを見回して、ふたたび驚愕した。

「なっ!?」

 彼の周囲に誰もいなかったからだ。

 ひとっこひとり、見当たらなくなっていた。さっきまで、だれかしら存在していたというのにだ。街を行き各人たちがいたはずだったし、彼に白い視線を送った人物がいたはずだ。

 見慣れた通学路の風景に、突如として生まれた違和感――その原因は、空から降ってきた城門に違いなかった。

 彼は、改めて城門を仰いだ。夢で見た、あの城砦を難攻不落たらしめたはずの城門そのものであり、寸分の違いも見つけられなかった。記憶に齟齬そごがなければだが、セツナは記憶力に自信があった。

 セツナは、自転車をその場に留め置くと、門へと歩み寄った。

 それは、交差点の横断歩道――車道のど真ん中に聳え立っている。

 まるで最初からそこにあったかのように堂々とした佇まいだった。

(こりゃあ、夢だな)

 夢から覚めたと思ったらまだ夢を見ていた、という話はよくあることだ。

 セツナは、そう決め付けると、荘厳そうごん極まりない門扉に手を触れてみた。ひんやりした感触が、指先から全身に伝わっていく。どこか、鮮烈な刺激だった。いままで感じたこともない類の感覚。

 セツナは、目を細めた。

 これは、夢ではないのかもしれない。

 漠然と、考えを改める。

 だが、夢であろうがなかろうが、やることは決まっているのだ。

 セツナは、門扉を押した。門扉は、その重厚な見た目とは裏腹に、極めて軽く、セツナがほとんど力を込めずとも、開いた。

「――!?」

 そして、その瞬間、莫大な光が洪水となって押し寄せ、セツナの網膜を真っ白に塗り潰すと、意識を染め上げ、感覚を遮断していった。

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