人間よ安らかに眠れ――最強少女の追憶の旅

ししゃも

プロローグ

 人類最後の王国に魔王の雷が降り注ぐ。それは何千年と生きてきた魔王の人生で最も美しい光景であった。

 

 かつて世界を支配し栄華を極めたあの人間が、今自らの魔法で滅びようとしている。王都のそこら中から火の手が上がり、人間たちの最高の技術を以てして築き上げられた王城が、積み木の城のように崩れ行く。辺りに響き渡る轟音も、肌をひりつかせる熱も、鼻につく煙の臭いも、今は全てが心地よい。


 魔王が感知魔法を展開する。ひとつ、またひとつと命が消えていく。もはや自らに対抗できるほどの手練れはいない。魔王は静かに、全ての命が消えるのを待っていた。


「…む?なんだ、この魔力は…」


 奇妙な2つの魔力があった。1つは死を拒まんと炎を弾き返し、もう1つは…極めて弱々しく、小さかった。


「面白い。」


 まだ自分に抵抗する意思のある者がいるのか。魔王は心を躍らせた。今は機嫌がよい。せめてもの手向けとして、この魔王が直々にその命を奪ってやろう。


 魔王は禍々しい漆黒の翼を広げると、2つの魔力の方向へ一直線に飛び立った。煩わしい炎や煙を払い、その人間たちをはっきりと目に収めようとする。


「わからんな。」


 そこにいたのは生まれて間もない赤子と、その母親であった。


「滅びゆく運命くらいわかっているだろう。どうして子を産み、自らの命を捨ててまでして守るのだ。」


 母親は息も絶え絶えで、今にも倒れてしまいそうだった。それでも目の前に魔王が現れると地面に這いつくばりながらも魔王を睨みつけ、自らの命を代償にした防御魔法を維持した。


「…憐れね。」


「なんだと?」


「母親が子を守るのは当然でしょう…魔族の長が…そんなこともわからないのね。」


「お前もその子も今から死ぬ。無駄な行為だ。」


「…ふふ。」


「なぜ笑う。」


「あなたの言う無駄…の積み重ねが人間の文明を作ったのよ……その癖に…あなたは必死に…人間の真似事を…している。」


「ふざけるな。」


「ならば…どうして言葉を覚え…た。」


 殺してやる。魔王は衝動的な怒りが湧き上がる一方で、戸惑いも覚えていた。

 なぜ俺はアリ一匹のためにわざわざ足を止め、会話をしているのだ。なぜ苛立っているのだ。


「あなたたち魔族に…文明は…作れな…い…」


 そうか。腹立たしくも俺は自覚している。この女の言う通り、今のままでは魔族の文明は人間のそれを超えることはできない。まだ人間から奪わなけれならない。


「お前たちは滅んでしまうではないか…いや、待て。」


 魔王の視線が母親から離れる。その先には――


「近…寄る…な。」


 母親の死期が近かった。声がかすれ、目の焦点もあっていない。徐々に薄れていた防御魔法は完全に消えてしまった。


「案ずるな。気が変わった。」


 魔王は赤子を拾い上げた。


「お前たち人間のことを理解するまでこれは生かしておいてやる。」


「…」


 母親は虚ろな目で別の方向を向いたまま動かない。もう、五感は機能していないのであろう。


「…ぎ…」


「なんだ。」


「つ…むぎ…」


 人間の奇妙な習性の1つに、名前というものがある。魔族にも種族を分類する呼び名こそあれど、1つ1つの個体に名前を付けて、さもその個体が特別であるかのように扱うのは人間だけだ。


「…無駄なことを。」


 魔王が飛び去ると同時に、最後の巨大な雷が王都を包み込むようにして落ちた。


 ――人類は滅亡した。

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