ニーソックスにキスをする

外清内ダク

1.このままずっと



 いくらなんでも似合いすぎだ。それがハル王子の怖いところだ。宮殿の自室に閉じこもり、真剣そのものの目つきで鏡をにらみ、カツラの毛先を無心にこねくり回している王子。後宮仕えの女官からかっぱらってきたとおぼしき紫丁香花ライラック色のドレスはあつらえたもののように彼の肢体に馴染み、滑らかな絹の下に浮かび上がる腰のラインは精緻なガラス細工を思わせる。まくりあげたスカートからは透き通るような生足が伸び上がってい、俺は、思わず息を飲んだ。

「おいジョナ、ドアを閉めとけよ。人に見られたら面倒だ」

 明るい色合いの化粧粉を頬に乗せていきながら、ハル王子がこちらを見もせずに言う。言われなくても分かってる。俺は後ろ手にドアを閉め、しっかり施錠までしたうえで、彼に詰め寄っていった。

「殿下ッ」

「二人きりの時まで他人行儀な呼び方をするなら、もう小言を聞いてやんないぞ」

「ハル! 何やってんだ、お前は!」

「靴下を履いてる。ほらこれ、膝上まであるだろ? 最近の流行りなんだって」

「ただでさえ教導院がうるさいご時世に、一国の王太子が女装など……」

 大問題どころの騒ぎではない。先代の教王があらゆる性倒錯を破戒行為と断じたアントラセン公会議以降、女装・男装・同性愛のたぐいは最悪の不道徳として忌み嫌われている。こんなことが露見すれば、ゴシップ好きの国民は好き勝手に騒ぎ立てるし、貴族諸侯は大喜びで王子の廃嫡を提案するだろう。最悪の場合、教導院から破門、なんて結末までありうる……

 なのにハル王子ときたら、度胸があるのかバカなのか、平気な顔して軽やかに椅子から飛び降りた。

「バレやしないよ。この格好を見て僕だと看破する人間がいると思う?」

 長靴下ニーソックスを履き終え、トン、と絨毯の上へ爪先立ちしたハルに、『王子』の面影はもはや無い。どこから見ても、あどけなさの残る愛らしい乙女そのものだ。そんな彼がこちらへ身を寄せ、べにをさした唇を挑発的に尖らせれば、俺はたじろぎ、後ずさるしかない。

「きれいだろ〜?」

 と上目づかいに見つめてくるハル王子に、俺は何も言い返すことができない……

 たっぷり十秒も俺をときめかせておいて、ハル王子は一人勝手に破顔した。

「わははー! 赤くなってやんの! 嘘がつけないのがお前のカワイイところだ。

 なあぁー、ジョナぁー、見逃してくれよー。啓示祭には親父どのも老臣おとなたちも出る。並の変装じゃすぐバレる」

「だからといって、あの人混みにそんな格好でまぎれ込めば何が起きるか分からんぞ」

「そのときはお前が守ってくれるだろ? おお、我が友にして頼もしき近習きんじゅ、ジョハネス・フォルスタッフよ!」

他人事ひとごとだと思って……

 だいいち、どんなに上手く化けたところで、私が隣に立っていれば誰だってお前が王太子殿下だと見破るさ。祭りは諦めるんだな、ハル」

「いーや。要は、お前バレなきゃいいんだろ?」

 にぃーいっ、とハル王子は嫌らしく笑う。彼がこの表情をするのは、ろくでもないことを思いついたときだけだ。顔をしかめる俺の前で、ハルはクローゼットに頭を突っ込み、乱暴に中をまさぐって、ゾロリ、と布を引きずり出す。見ればそれは、はしばみ色に染められた女物の……

 ドレス。

 ……まさか!

「オラッ! ジョナ! 脱げっ!!」

「は!? え、ちょい、ま……やあああああっ!?」



   *



「おいジョナ、なんだあの屋台? 食べ物なのか? ……リンゴ飴だってー! ひとつください。どうも。ほーん。果実をカラメルで包んであるんだな……わーはー! 不味まずいー! わははー!」

「おっ、おっ、山車だしが出てるぞ! 山車だしだろうアレ? 僕らも乗せてもらえないかな……ダメ? ダメかあ」

「ふるまい酒発見~! 一杯いただける? ありがとう、オラシオンのご加護を……ほう! おいジョナ、飲んでみろよ。このワインいけるぞ。ブドウがいいな。それに水で割ってないし、砂糖とシナモンまで入ってる」

「奉納踊りだあ! 飛び込むぞ! ためらうな! 戦場いくさばにおいてはおくるれば人に制さるる! わーはあー!」

 1人で2人ぶんハシャギまくるハル王子に、俺は腕を掴まれ右へ左へ、文字通り引きずりまわされていた。冗談ではない。ハルはいいよ。小柄で華奢で中性的なハル王子なら、女装だってぴったりハマる。見よ、あのきらめくような肌を。キスを誘うかのような隙だらけのうなじを。さすがに男の骨格や肉付きまでは隠しきれないが、それがむしろ、本物の女以上の色気をかもし出してさえいる。

 だが俺は違う。身長6フィート(約183cm)を超す大男が、レースふりふりのドレスなんかを着ればどうなる? 胸元から溢れんばかりに盛り上がる胸筋。ふんわり柔らかな最高級生地をもってしても和らげきれない肩のいかつさ。千年の大樹もかくやとばかりにどっしり根を張る強靭な首。

 祭りの人混みで人とすれ違うたびに、振り返られ、クスクス笑われるこのミジメさを、ハルは分かろうともしない。いや、全て分かったうえで俺をはずかしめているのかも。俺はスースーするスカートの下で長靴下ニーソックスに包まれた脚をこすり合わせ、耐え難い羞恥に顔面を紅潮させっぱなしだった。

「ハルゥ……もう勘弁してくれ、ハルゥ……」

「困った」

「なにが」

「恥辱に震えるお前を見てると正直劣情を催すんだが」

「ブン殴るぞ!」

「わはー! まあまあ落ち着けジョナ。自信を持つんだ。君はカワイイよ」

「心にもないことを」

「僕の心を勝手に決めるな」

 ハル王子が手を伸ばし、俺の腕にするりと絡ませた。絹の手袋の滑らかすぎる感触が俺の肌をくすぐっていき、俺は体を硬直させる。もうやめてくれ、という思いは声にならなかった。これ以上俺を惑わすのはやめてくれ。

 

 だがハルは無邪気に俺へ体重を預け、いつものように美しく笑う。

「楽しもうよ。僕は楽しい」



   *



 子供には――いや、人には友が必要だ。

 だが社会は、子供に規範への隷従を求める。おかしなやからと付き合って身に危険が及んだり、すさんだ流儀が染みついたりしては困る。ゆえに高貴な生まれの子には、清く正しい付き合いのできる「ちゃんとした友人」がされるのだ。

 こうしたお仕着せの「お友達」を、女児に対しては侍女コンパニオン、男児に対しては近習ヴァレットといった。

 王に子が生まれると、同年代の貴族子弟の中から性情、学識、武勇などに優れた子供が選抜され、近習きんじゅの役につく。近習きんじゅは幼少のころから主人たる王子にはべり、共に学び、共に遊び、共に野山を駆け回る。日常的には主の護衛と小間使いの役を果たし、一朝いっちょうことある時には主の片腕として戦馬を駆りもする。

 無論、対等の身分ではない……だが、青春時代を共有した主人と近習きんじゅの間に、またとない特別な友情が育まれていくことは、必然だろう。

 だが、もし――の気持ちを抱いてしまったら?

 俺はもう、何年もこの苦しみに耐え続けている。はっきりと自覚したのは、いつのことだったろう? そう、あのときだ――成人の儀式の前夜、12歳になったばかりのハル王子が、礼装で俺の寝室を訪れた、あのとき。

「他人の視線で汚れる前に、お前に晴れ姿を見せたくってな」

 彼の得意げな微笑みが、俺の胸を決定的に貫いた。身分違いゆえ儀式への参列を許されない俺。だが、大人になったハルの姿を誰よりも先に見たのは俺だ。ハルが俺にくれたのだ。己の意志で。彼のを。

 あのとき俺は、はっきり悟った。

 俺はハルを、愛している……

 ああ、ハル。俺を苦しめないでくれ。

 そんな美しすぎる姿で、俺に指をからめないでくれ。俺の胸に頭をあずけないでくれ。お前が俺への好意を口にするたび、俺は体を熱くしている。正直に打ち明けてしまいたい! 長靴下ニーソックスの生地と生地とに挟まれて、俺自身の男の部分は、痛いくらいに怒張しているんだ。お前を抱きしめたいんだ。お前が「わはー」って明るく笑う、あの笑顔をずっと見つめていたいんだ!

 でもダメだ! できないよ。俺とお前は対等じゃない。俺は家臣だ。お前の剣であり、お前の盾だ。そしてなにより、お前の友だ。だからお前を傷つけたくなくて、俺はずっと一人でもだえている。これからもずっと――このまま、ずっと――?



   *



 祭の祝宴でしこたま呑んで、べろんべろんに酔っ払ったハル王子は、翌朝、案の定の二日酔いで半死人になっていた。水を飲ませたり背中をさすったり、色々したが効果は薄く、昼を過ぎた今になってもまだ、土気色つちけいろの顔面をベッドにうずめたままうめき続けている。

 おかげで俺は、やることがない。王子のベッドの脇に椅子を引っ張って来、暇つぶしに本など読みふけるしまつ。

「主君がくたばってると、護衛としては仕事が楽でいいな」

意地悪いじわるぅ……

 ぇぅっ、死ぬ……」

「はしゃぎすぎるからだ」

「同じペースで飲んでたくせに、なんでお前だけ平気なんだよぉ」

「私は途中から水を飲んでいた」

「あっ! ズルいーっ! 教えてくれよ、そういう小技ぁ」

「教えたけど聞かなかったじゃないか」

「これがホントの『後の祭り』かあ……気持ち悪ィ……ジョナ〜、水のませて〜! 起こして〜!」

「しょうがないなあ」

 と、俺が水差しを取りに立ち上がった、ちょうどそのときだった。召喚の使者がドアを叩いたのは。

「王太子殿下、および近習ヴァレットフォルスタッフ殿。ただちに謁見の間へお越しください。

 国王陛下のおしにございます」



(つづく)

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