第40話 お人好しだから僕は何もできない——だから逃げたんだ
「——皆、これより食い止めつつ後退するぞ! アリシア、シャルルは遠距離から確実に魔狼を打て。キャロルと私は2人を守りつつ撃ち漏らし切り伏せる! いいな!」
「「「——了解!!」」」
すかさず、全員にリーダーの指示が飛ぶ。それに誰一人として迷う素振りを見せず即答で了承する。声は重なり、真剣な眼差しを森の翳りに注がれた。
「……カイルさん。ちょっといいかい?」
「——ッはい?!」
メイソンはその最中、御者台に座るカイルを素早く近づき彼の名を呼ぶ。この時の口調は落ち着いていながらも、いつもより早口であるメイソンの語りからは、時間的猶予はもう残されていないと……そう悲痛に訴えているようだ。カイルにも当然緊張が走る。
「あなたはどうか……奥方と一緒に先に逃げてくれ。ここで我々が食い止めている間に——」
「——ッえ!?」
そして、このメイソンの提案にカイルは目を丸くして驚く。
「——ッですが、みなさんは!? 今からでも遅くない。荷台に乗って今すぐ逃げましょう!!」
これに、カイルが否定するのも無理はなく。魔狼がこちらに攻めて来ている以上……彼らだけを取り残す選択はできない。
だが……
「いや、魔狼相手では無理だ。森の中では狼の方が足が早い。それにどこから襲って来るとも分からないんだ。誰かが食い止めねばならない」
「……でも……僕は……」
「……心配してくれる気持ちはありがたい。でも……どうか、今度は我々にあなたを守らせてくれ。これをあの時、仲間の命を救ってくれたお礼だと思って……」
「メイソンさん……」
カイルにとって、この時見せたメイソンの微笑みは……辛く心にのしかかる。悩んでいる暇などないはずなのに、次の行動を起こせない。彼らを置いていくことが怖くて堪らなかった。
「にゃはは〜〜カイルっち。心配してくれるのはありがたいけど……うちら死ぬ気は毛頭ないからにゃ!」
「キャロルちゃん」
「そうね。キャロルの言う通り……ここは冒険者の私達に任せて、カイルさんは街まで走って」
「アリシアさん」
「でも、この場は死ぬ気で死守します。カイル様に助けていただいたのですから……今度は私が守る番です!」
「シャルルちゃん」
だが……メイソンに続き、キャロル、アリシア、シャルルがカイルを後押しする。心が大きく揺さぶられる。
そして……
「——行ってくれ!」
「——行きなさい!」
「——行くにゃあ!」
「——行ってください!」
4人の“
「——ック!!」
カイルは諦めてしまった。
だから、馬車を走らせた。
心にはない行動選択——これを酷く後悔する。
だが……こうするしかなかった。彼には力がない——“お人好し”だけが彼のアイデンティティ。
本当に、それだけの存在。
だから、逃げたんだ。
「——クソ……どうしたらよかったんだよ……」
森をかける一台の荷馬車。
御者に努めるカイルは、悪態を吐き捨てる。
しかし、それは木々を縫う風切り音に紛れ、その全てが奪われ喰われてしまう。
おそらく、すぐ隣に座るエリスですら、その音は拾えていなかったことだろう。ただ、それが聞こえるのは己のみ、骨伝導が鼓膜に響き、小さく唸って吐き捨てた言葉が脳内で何度も再生され揺れている。
馬車の車輪が軌跡を刻むほど、後悔は増した。カイルは、これがたまらなく怖かった。
「…………」
「……? 何してるのカイル?」
気づくと……馬車を停めていた。
相棒のラテ丸までもが何事かと背後を振り返る珍事。
肝心のカイルは手綱は力強く握りしめたまま俯いている。
これに、御者台に腰を据えていたエリスは何事かを問うていた。だが、その声音は何処までも楽観的で、かつ無表情——そこには日常会話ほどの緊張しか感じない。
だが、この反応は仕方がない。
なんてったって……彼女は『魔族』であるのだから……
「……ねぇ、エリス」
ここで、カイルはエリスの名を呼んだ。
彼女の訝しむ言葉に触発されて反応したようにも思えるが——それにしては、エリスのセリフの後、10秒ぐらいの間が存在している。それは、彼の中で、葛藤と、思案が巡っていたかのように、思考に当てた時間だったのだろう。そして、考えた末に……今こうして話しかけている。
「1つ、お願いがあるんだけど」
そして、ついで溢す言葉は懇願だ。頭を上げ、エリスの表情を捉えた時の彼の顔は憔悴し青ざめていた。縋るようにエリスに希望を見出す。だが、少女は依然と無表情である。
そして……
「——嫌よ……」
と一言呟く。
拒否である。
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