序章 旅の始まり『2人の関係』

第1話 なんでこんなことに!?

 とある樹海の中での出来事——



(嘘だろ……なんで、なんでこんな事になったんだ?!)



 1人の若い男が、茂みに身を屈め怯えた様相で縮こまっていた。


 彼の名前は【カイル】——しがないただの旅商人だ。



(僕はただ……月氷花草げっひょうかそうを取りに来ただけだって言うのに……)



 カイルが森の中を訪れていたのは、月氷花草というを採取するためだった。



 何故、森の中をただの如きが薬草を引っこ抜きに来ているのか——?



 些か疑問に思う状況だが……これは彼の性格が原因で——……と、ちょっとした事情があった。



 だが……この話は今は置いておこう。



 それよりもだ——今、語りたいのは旅商人の彼が一体『ナニ』に怯えているのかだ。


 それは……



(——あれって……『魔族』? だよな……)



 カイルの瞳が捉えたのは1人の女性——いや……女性と思った人物の頭には、人にはない『ある物体』が存在する。



 『ツノ』だ——



 二本の湾曲する小さなツノが、カイルの捉えた人物の頭部、左右対称に生えていた。



 コレは、確実に人間にはありえない事だ。



 カイルは茂みに隠れ、生茂る葉の隙間から覗く先には、1人の女性が木の幹に凭れている。

 全身に黒を貴重としたドレスに身を包み、白銀の長髪が目を引く美麗な女性——だが彼がそんな彼女の頭に『ツノ』があることを確認した瞬間、カイルは一瞬で血の気が引き、彼女の正体に思い至った。



 『魔族』——それは、人類にとっての敵である。



 魔族は狡猾かつ残虐非道で恐ろしい生き物だ。人類を言葉巧みに騙し、卓越する魔法の才覚を持って、生殺与奪を厭わない——それが魔族だ。



 コレは、この世界の人間なら誰しも小さき幼な子の頃より——親から子へまるで絵本を読み聞かせるかのように聞く話だ。

 だから当然、幼少の頃のカイルも母から何度だって『魔族』の恐ろしさを、耳にタコができるほど散々と聞かされてきた。

 

 実際、魔族と人類は争いが絶えず、言伝に双方の戦争状況を耳にする事が多々ある。

 だが……カイルがいるこの森は、戦地とは程遠く『魔族』と出くわすとは考えづらい。



 それがまさか……



 ここで『魔族』と遭遇するとは、梅雨にも思っていなかった。





(どうして、ここにいるんだよ!? そりゃ……樹海窟は、危険だって僕は分かっていたよ! でもさぁ……なんで危険性がな魔族と鉢合わせるかなぁ——!? どうして僕は——いつも! いつも!!)



 本来、樹海の奥は『魔物』が出没する。カイルみたいな旅商人が足を踏み入れるべきではないことは当然の理——通例では“薬草採取”を商人のような非戦闘者が求める場合“冒険者ギルド”に外注する事がほとんどなのだが。


 冒険者ギルドとは冒険者の斡旋所——金さえ払えばいろんな依頼受注を請け負ってもらえる“なんでも屋”の総称である。

 今回の場合なら、内容は薬草採取を直接依頼……もしくは採取への護衛、同行といったところだが——諸事情により、カイルはコレをしなかった。


 まぁ……ただ、薬草採取程度の依頼で同行してもらえる冒険者など、程度はそこそこ——『魔族』なんて言う人類からしてみたら最高峰の宿敵と鉢合わせた時点で、即殺されてしまうのは目に見えているんだがな。



 でだ……



 カイルは、運悪く最高峰の宿敵『バケモノ魔族』と樹海の真っ只中にて鉢合わせてしまったわけだ。と言っても、彼女(魔族)とは生い茂った草木が壁となりカイルの存在はおそらく気づかれていない。この部分だけを切り取ってしまえば、先に相手の存在に気づけたカイルは運に恵まれたと言っていいだろう。

 であるなら……なるべく早くこの場を立ち去ってしまいたいところだったが、カイルの身体は萎縮してしまい動けずにいた。それにあくまでカイルは単なる“旅商人”——武芸に長けているわけでも、秘めた能力を隠し持っているわけでもなく、ましてや樹海を歩いた経験も殆どなかった。

 これでは、下手に動いてしまえば、こちらの気配が『魔族』に知られてしまうとも限らない。皮肉にも、腰が抜けている今——“動かない”は彼にとって1番の最善策に他ならなかった。



 だが……沈着したこの状況下——ふとした瞬間に……



「…………ゴッブゥ……ケホ……ケホ……」



「——ッッッ!?」



 『魔族』の女が血を吐き、咳き込んだ。



 カイルはその嗚咽に驚き、恐る恐る草葉の隙間から彼女を確認する。



 現在の時刻は夕暮れ時とあって、周囲は茶褐色に薄暗く分かりづらくはあるものの、彼女の口からは鮮血が滴り口腔周囲が赤く染まっていた。

 そして状況を掴むべくカイルは更に観察を続ける。すると……よく見ると、彼女が着飾った漆黒のドレスは脇腹の辺りが丸く焦げた破れ跡が、そこから覗く皮膚は丸くえぐれて貫通、彼女が凭れ掛かった樹木の表面が傷口から覗き見えてしまっていた。


 一体何があったかはわからないが……どうやら、この『魔族』は瀕死の状態にあるようだ。


 咳き込む素振りからも、どうもまだ息はあるようだ。普通、人間なら即死していてもおかしくない重傷だと言うのに、これはまさに『魔族』としての強靭さを物語るかの状況だ。



(——よし! あれだけ弱っているなら、この場から今すぐ逃げてもバレないかもしれない!!)



 だが……この状況はカイルにとってまたとない好機。あそこまで弱り切った『魔族』になら、カイルのお粗末な気配隠蔽でもバレる可能性は低いと思われた。



(こっそり……ゆっくり……と慎重に……)




 だが……次の瞬間——



「——ッゴホ……ゴッフ…………」



 またしても魔族は咳き込み1つ——



「……ハァ……ハァ……」



 荒い息遣いが静寂に濡れた森に響き、カイルの鼓膜に偶然にも届いてしまった。



(…………)



 これは当然、カイルは喜ぶべき拝聴である筈なのだ。まさしく魔族が弱ってる証拠なのだから……カイルが安全に逃げる確率が上がる。



「……ハァ…………ハ……ァ……」



「…………」



 このまま逃げるのは簡単な事だ。振り返る事なくこのまま歩むだけ……



 そう……



 歩むだけ……



 それだけ……なのに……


 

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