拾って育てている世界で一番かわいい愛娘が俺達に何かを隠している

月崎海舟

第1話 なら感謝しろ。俺がお前を拾ってやる

 木々のざわめきの中を闊歩する。


 まだ真っ昼間だというのに、木々の枝で空は覆い隠されており、木の根などで足場も悪い。

 木漏れ日の僅かな光がなければ、足を引っ掛けて転んでもおかしくはないだろう。


 そんなどこにでもあるような森林の中を、俺は銀髪の三つ編みを揺らす女冒険者、マリスと一緒に歩いていた。

 紫色に近い黒いローブを羽織り、長い杖を手に急な斜面を登っている。


「ディーノ君、まだネデンスウルフはいなさそうですか?」


 マリスに言われて、周りの匂いを嗅いでみるが、血の匂いも微かに漂っている。それに加え、木々が焦げたような匂いも微かにだ。

 人の血の匂いではない。魔物同士が縄張り争いでもしたのだろう。


「さあな、なんせ他所からやってきた魔物だ。そんなやつの匂いなんざわからんが……魔物同士が争ったような匂いと、形跡がある」


 ふと、視界の中に爪を研いだ跡を指差す。


 狼種の魔物の爪痕が、焼き切れたように残っている。ネデンスウルフがココらへんにいる可能性は高い。

 マリスも望遠鏡で覗いて確認したのだろう。どうやら確認できた様子だ。


「縄張り争い……ということは、最近この辺りに現れた、ネデンスウルフの可能性が高いですね」

「だな。この分ならさっさと狩れて、今日中にでも依頼は終わるだろうよ」


 そう俺達がこの森に訪れているのは、冒険者ギルドからの依頼で、件のネデンスウルフを討伐する為だ。

 なんでも、本来の生息地域から急激に南下し、このあたりを荒らし回っているらしい。まったく、迷惑なことだ。


「ディーノ君、確認されているネデンスウルフは、17匹もいます。さすがに慢心が過ぎますよ」

「ハッ! 資料を見た限り、随分とレベルが低い魔物だそうじゃないか。サンドイッチを食べながら退治もできるだろうさ」


 事前にネデンスウルフについて調べたところ、高熱の牙と爪を持っているぐらいの脅威しか無い。

 俺が壁になって、マリスが掃討してしまえば、十秒とかからずに片付けることができるだろう。


「普通に考えればそうなんでしょうけど、ディーノ君が調子に乗ってると、ろくな目にあわないので……」

「想定している事態より状況が悪いだけだろ」

「自覚があるならやめて下さいね?」

「そんなジンクスを信じてる方が――――」


 鼻腔をくすぐる血の匂い。その中に、人間の匂いが混じってきた。そいつの血の匂いかまでは分からないが、人間の血の匂いも微量ながらにする。


「急ぐぞ。どうやら人が襲われている」

「……だから言ったじゃないですか」

「俺の所為ではないと断固主張する!」


 マリスが俺の背中に乗ると、すぐさま走り出す。この状況、流石に大きな胸の感触を楽しむ気分にはなれん。


 俺が全速力で走って十秒程だったか。坂の下で木々が倒れているのと、一本の木々の周りに集まって上を睨んでいるネデンスウルフの姿を複数確認する。七体もいないだろう。


 つられてネデンスウルフの視線の先を見れば、木の上に一人の少女が見えた。

 真っ黒な長い髪にの少女。年齢は十歳前後。誤差±1といったところか。服はいかにも上等な代物だというのに、木の枝に引っかかって裂けていたり、血や泥にまみれて杜撰なものに仕上がっている。


 ……だいたいわかった。


 少女はネデンスウルフから逃げるために木の上に登ったが、ネデンスウルフはそれをなぎ倒して地上に落とそうとした。だが少女は木々が倒れる前に、次の木に乗り移っているのだろう。

 凄まじいガッツだ。何が何でも生きてやるという気概を感じる。


「少女を助ける。撤退戦だ」

「わかりました」


 俺が走っている最中、マリスはすぐさま地面に降りて、指輪を起動し魔法陣を展開させる。

 いつでも準備はいいと言わんばかりだ。対応が早くて助かる。


 それを確認した俺は、すぐさま少女が乗っている坂下の木の枝に飛び移った。

 もちろん、少女が登っている木の枝だ。


「誰!?」

「悪いが、説明している時間は無い。さっさと離脱する」

「ひゃ!?」


 俺は少女を抱えると、魔術で

 当然、位置情報の時間を逆行させた俺は、マリスの近くまで戻ってこれるわけだ。


 同時に、何かを切り裂くような音と、木々が倒れる音がした。ギリギリといったところか。

 マリスの背中に回ると、マリスはすかさず魔術を起動した。


「【濁流よ、呑み込め】」


 魔法陣を起点に、大量の水が溢れ出す。

 坂下にいるネデンスウルフ達は、抵抗する間も無く水に流されていった。


 依頼通りに遂行するなら、ここで追い打ちをかけるなり、他の仲間の元に帰るネデンスウルフを追跡したりなどするが……。


「……え? 水? どこから?」


 なにやら少女は混乱しているご様子。

 ここに長居してパニックに陥る、少女にとってよくないだろう。


「人命を優先する。予定通り撤退だ」


 命を抱えている時に欲張っても、ろくな目に合わん。


 ここは、この少女の命を優先する。


 金を逃がすことになるが、ここで少女を見捨てたとされれば、評判を落とすのはもっとマイナスだ。これが一番頭のいい選択と言える。


「わかりました。少し離れたら治療をしましょう」

「ああ」


 マリスに少女を渡すと、長い枝を拾って足跡を消すことにする。

 地面の時間を巻き戻して消しても良いんだが、こっちのほうが手っ取り早いし魔力を温存できる。


「もう大丈夫ですからね」


 マリスは少女を抱えると、優しく背中を擦っていた。

 ……それ、赤ん坊にやるやつじゃないのか?


「……はい」


 そう思っていたが、少女はどこか落ち着いた様子だ。いいのかそれで。

 そんな光景を横目に、俺達は来た道を戻ることにした。


     ◇


 先程の現場から少し離れた場所。


 相変わらず木々が鬱陶しいが、木漏れ日の量は増えてように感じる。

 器具や五感を使って辺りを警戒するが、一先ずここで休憩しても大丈夫だろう。


 だがいつ血の匂いを嗅ぎつけて、魔物がやってくるかもわからない。

 とっとと治療して、町まで戻ることにしよう。


「今治療しますから、動かないでくださいね」


 少女を大きな木の根っこに座らせると、マリスは優しい笑みを浮かべて魔法陣を展開させる。

 魔術で痛覚を鈍らせ、汚れや雑菌などを排出し、清潔を保たせたまま傷口を塞いでいった。


 言うだけなら簡単だが、魔術でこれをするのは、かなりの演算能力と技術を必要とする。

 本来十分はかかりそうな治療を、十秒もかからず治療し終えるのだから、舌を巻かざるをえない。


 有象無象がこいつを「なんて優しい!」「天使のようだ!」だだの何だのと、もてはやすのもわかるものだ。

 俺もマリスの治療には、時々お世話になっている。まったくもってありがたいね。


「はい、終わりましたよ」


 笑みを崩さないまま治療を終えたマリスの姿は、どこか清々しくも感じる。


「ま、魔法……!?」

「はい? まあ、魔法現象ではありますが……?」


 少女もあまりの速さに驚きを隠せないのだろう。傷口の跡すら無い足を顔見し、ぴょんぴょんとその場を跳ねて足の調子を確認している。

 ……大分元気そうだな。


「おいお前」


 俺が呼びかけると、少女はビクリと体を震わせる。


「ディーノ君、怪我して怯えている女の子に、『お前』は無いですよ。すっかり怯えちゃってるじゃないですか。もっと優しく声をかけて上げて下さい」


 なぜだろうと疑問が浮かぶ前に、ダメな部分を指摘される。


 ……お偉いさんでもないのに、言葉遣いを気にしなくちゃいけないの、面倒くさいな。


 そうは思うが、マリスを怒らせるのはそれ以上に面倒くさいし、別に少女を怖がらせたいわけでもないので、改善に務めることにした。


「肩の力を抜いていい。俺はすぐ近くにある町、ハロイを拠点としている冒険者だ。名前はここに書いてある通りで、気軽にディーノで構わん」


 星が四つ描かれ、『ディーノ・ベネディクトゥス』という俺の名前が刻まれた、冒険者ライセンスカードを見せる。これで警戒が解けることだろう。


「……冒険、者?」


 おい、こいつ初めて聞いたような反応をするんだが。

 上等な服を着てるから、どこぞの箱入りお嬢様なのかもしれないが、いくらなんでも世間を知らなすぎるだろう。


「冒険者、知りませんか? 町のお困りごとを解決したり、未開拓地を調査したり、魔物を退治するお仕事をしている人のことです」

「魔物? ええと……知らないです」


 マリスが相変わらずの笑顔で、丁重に優しく説明したが、魔物という疑問が増えているご様子。


 しかし、心当たりすら無いとは驚いた。貴族や商人から依頼を受けたりするんだが、まだそういったことに関わらせてもらえない家庭環境だったのか。


 ……にしてもそういう教育をするなら、十歳で冒険者のことぐらいは知ってても良さそうなもんなんだが、どれだけ世間知らずなんだこの少女は。


「そ、そうですか」


 それはマリスも思っているのだろう。あの柔らかな笑みが、完全に固まってしまっている。


「わかりやすく言えば、人間絶対殺す化け物だな。さっきのやつは、ネデンスウルフという魔物の一種だ」

「なるほど、それなら襲われました」


 どうやら少女は理解できたようだ。

 実体験があると納得しやすいのは古今東西、老若男女と一緒だな。

 というか、少女のことを少女少女と呼ぶのはあれだな。名前ぐらい聞くか。


「ちなみにだが、自分の名前は分かるか?」

「……ミレニア。ただのミレニアです」


 少し迷いが見えたが、まあいい。無闇に他人の間合いに入るものじゃない。俺が関与する必要はないんだから。


 ミレニア。千年とかを意味する言葉だったか? いや、そこは今はいいか。

 問題なのは、こんな服を着ている女が、家名や族名なんかも無いだなんておかしな話だ。


 ……厄介事の匂いがしてきたな。 どこぞのお嬢様の家出か、追放でもされたのか。

 いや、そう考えるのはいささか早計が過ぎる。ちゃんとこいつの話を聞かなくっちゃな。


「ミレニア、お前の家はどこだ」

「どこにもないです。私に帰る場所はありません」


 即答だった。今までの中で一番迷いがないと言っても良い。

 とっとと家に送って、面倒事とはさよならしようと思っていたのだが、想像を上回ってくる。


「どこか、行き先は?」

「無いです」

「目的あってこんな所に?」

「……無いです」


 無い無い尽くしか。魔物に故郷でも滅ぼされたりでもしたか?


「ミレニアちゃんは、どうしてこんな所に一人でいたんですか? 保護者の方や、付き添ってくれている大人の方などはいませんか?」

「それ、は……」


 マリスの質問に、ミレニアは目をそらす。

 明らかに歯切れが悪くなってきた。どうやら自分の事情を開示するのが、よほど嫌なことらしい。


 さて、どうしたもんかな。


 ――――私がアナタを引き受けた理由、ですか?

 ――――ただ、放っておけなかっただけですよ。


 ふと、俺を拾い育ててくれた人のことを思い出す。

 ……流石に、真逆のことをするわけにもいかないか。


「ミレニア、お前は行き先も目的もない。この認識に間違いはないな?」

「はい」

「なら感謝しろ。俺がお前を拾ってやる」

「はい?」

「……は? 正気か?」


 キョトンとするミレニアと、すごい形相で睨みつけてくるマリス。

 やめろよマリス。お前の紫色の瞳で睨まれると、こっちは恐怖で背筋が凍りそうだ。


「ちょっと耳を貸して下さい」


 マリスは俺の首根っこを掴むと、ミレニアから少し離れ、小声で訴えかけてくる。


「何を考えているんですかディーノ君? テイマーがほいほいと簡単に魔物を拾うのとはわけが違うんですよ? いつもなら『慈善事業なんざまっぴらゴメン』とか言うじゃないですか」

「俺のことを何だと思っている?」

「浪費家故の金の亡者」

「無駄遣いはしたことが無いからな……!」


 確かに色々と高い買い物はするが、全部有益だ。こいつだって俺が買った家に住んでるわけだから、浪費家と言われる筋合いは無い。

 金の亡者は……正解な自覚はある。あるが、何か? だが今回に限って言えば、金は関係のない話だろ。


「……単に、俺も行き場のない子供だった。同情だろ、多分な」


 親のマネをしたくなるだなんて、子供にはよくある話だ。

 確かにいつもの俺なら、こんな子供なんて、騎士団や孤児院など、さっさと然るべき場所に連絡していただろう。


 ただ今日に限って言えば、ミレニアが俺の琴線に触れて、ミレニアの運が良かっただけって話だ。

 ……俺に拾われるのが幸福かは、あいつが決めることではあるか。


 俺の話を聞いて納得したのか、マリスは笑みを浮かべた。


「……そうですか。まあ、ディーノ君らしくて安心しました」

「それが浪費家だの、金の亡者といったやつの台詞か?」

「ディーノ君の四割は、金の亡者で構成されている。これも間違いではないはずですからね」

「六割は何だよ」

「内緒です」


 楽しそうに笑うと、マリスはミレニアの元へと歩み寄り、視線を合わせるように屈んだ。


「どうか安心して下さいミレニアちゃん。私が確認したところ、ディーノ君の思惑にこれといった裏などは無いみたいです」

「よかった……」


 マリスに説明されて、ホッと一安心するミレニア。

 待て。つまり俺は、そういった疑惑が持たれていたってことなのか?


「そういうわけですから、ミレニアちゃんには二つの選択肢があります。このディーノ君のところで暮らすか、孤児院などの施設で暮らすかです」


 マリスから説明を受けたミレニアは、俺の顔をジッと見てくるので、俺もミレニアに視線を合わせるように膝立ちをした。


「別に、ここで断ったら置いていくとか、そんなチャチな真似はしない。お前の好きにすれば良い。今すぐ決めることでもないしな」

「…………」


 ミレニアは俺の言葉を聞いて、深く考えているようだ。

 断るのであればそれはそれでいい。こいつの人生だし、俺が左右することでもない。


 俺は立ち上がろうとするが、


「待って下さいディーノ君」


 マリスから肩を強く掴まれミレニアと強制的に視線を合わせられた。


「ディーノ君、自分の住まいがどういうものなのか、ちゃんと言って下さい」

「は? お前も住んでるんだろうから、お前が言えばいいだろう?」

「こういうのは、ディーノ君が言わなきゃダメです」


 マリスのやつ、たまによくわからん意地を発揮することがある。

 仕方がない。こいつを納得させる為にも、さっさと言うか。


「俺の家は二階建てで、自室を用意できる。今日来ると考えても、客室用のベッドを運べばなんとかなると思うぞ」

「何卒よろしくお願いします」


 ミレニアは即決した。なんなら頭まで下げている。何故だ……!?


「ディーノ君、年頃の女の子には、パーソナルスペースというのは重要なんです。孤児院にそんなものありませんからね……」


 振り向けば、マリスはどこか遠い目をしている。マリスは孤児院出身だから、思うところがあったんだろう。


「そういうことなら、まあ……よろしくな」


 握手をしようとミレニアに手を伸ばすと、ミレニアはその手を少し驚いたように見つめていた。


「……これは?」

「握手。手と手を握りあう挨拶だ」


 もしや知らないのかもしれないと思い、とりあえず簡単に説明する。


「ああ、こっちにもあるんですね。握手」


 何やら納得した様子で、俺の手を握り返した。


 だが……こっち? 握手を地域特有のものだと勘違いでもしていたのか?

 子どもの世界は狭いと聞く。そんな勘違いをしちまっても、無理はないのだろうか。


「よろしくお願いします。ディーノさん、マリスさん」


 その手はとても小さかったが、とても力強く握り返してくる。

 それぐらい緊張しているのかもしれない。


 こうして、家族が一人増えることになった。


 ――――うん? この子……いや、まだ早計ですね。


 ふと、誰かの声が聞こえた気がしたが……気の所為か?

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