第9話 強きが弱きをいじめても②
「みんな睦のこと、マキシマムって言わないな。
だが、睦に話し掛ける人がそもそもいない状況では、あだ名という概念そのものが芽生えなかった。
睦が席を立ち、トイレへと向かった時に、煌はため息をついた。
「どうすれば、クラスにとけ込めるんだろう……」
睦のほうから話し掛けてくることがない、趣味がほとんどない、雰囲気が大人しいといった特徴が目について、クラスのほとんどの生徒が睦と関わらなくてもよくなっている。
文字通り「いるだけ」の存在になっているのだった。
「マキシマム、名前負けしなきゃいいけど……」
煌は、教室の後ろのドアのほうに何度も振り向いた。
そこに、声が響いた。
――よっ、罪!
「罪って誰だよ……。
今まで聞いたことないあだ名だな……」
煌は、廊下に出た。
「テルくん。通して下さい」
「なんでそう言われたか、心当たりない?
今日、隼徒からなんてあだ名付けられた?」
「マキシマム、です」
「だから睦のあだ名は、今日から罪!
あっはっはっはっは!
フルネーム、マキシマム罪だってよ!」
煌は震え上がった。
すぐにでも、足を前に出さずにいられない。
「輝!
変なあだ名を作るなよ!」
「マキシマムで切ったの、ロボ部じゃない?
残った2文字が『罪』になることも知らないでさ!」
「隼徒は、そんなこと言ってないって。
名前を言いきる前に止めたと思う」
煌が、一瞬だけ睦に振り向く。
睦は再び落ち込んだ表情を見せていた。
「それに、何も悪いことをしていないのに、罪って呼ぶのはおかしいだろ!」
「悪いことしてなくても、名前に罪が入ってるからさ」
輝は、大きく背伸びする。
それを見た煌が、輝に詰め寄った。
「とにかく俺は、マキシマムって名前が入っているから、それを信じろって言っただけ。
そこから先に続けるんじゃない。
言われて悲しくなるあだ名なんて、あだ名じゃないから!」
「は? 睦がマキシマムを名乗るの?
英雄に成り上がれる異世界じゃないんだし」
輝は煌を軽く突き飛ばし、教室に戻っていった。
煌が睦のいた方向に体を向ける。
「あれ? 睦は……」
煌は、首を左右に動かした。
そこに、シャツを引っ張られるような感触を覚えた。
「睦……?」
睦が煌の右に寄り添って、震えていた。
煌が睦に顔を向ける。
「気にするなって、睦。
マキシマムって言葉、信じてみなよ!」
睦が静かにうなずいた。
だが煌は、輝の不服そうな態度ばかり気にしていた。
~~~~~~~~
その日の北欧神話部。
睦は特に、マキシマムとあだ名をつけられたことを部員たちに言わなかった。
北欧神話の武器について作文を書く、という課題を大出から与えられていたため、睦は部室にある参考書を頼りに、黙って文章を書いていた。
そこに萌が輝の肩を叩き、社会科準備室の外に出した。
そのまま輝の腕を引っ張って階段を上がり始める。
「どこまで行くんだよ」
「屋上。
絶対に他の人に聞こえちゃいけない会話をしたいから」
屋上のドアを開け、閉める。
朝方は晴れていた空も、西の方から黒い雲が見えるようになっていた。
「輝、今日クラスでハメられそうなことあった?」
「ハメる……、って?
睦をハメるってやつ?」
「そう。弱いレーヴァテインを持つあいつ。
マジ潰したいくらい」
萌が輝の顔を覗き込むと、輝は静かに笑った。
「いじめるネタなら、ロボ部の自滅によってできた。
まきしま、むつみ。
これを、5文字と2文字で切ってみなよ」
「マキシマムつ……。
あははははははは!
まさか、
「言い出しっぺは隼徒。
ただ、煌もマキシマムってあだ名にしたいみたい」
「そう……」
突然、萌が腹を押さえかけて、屋上の床を足で何度か叩き出した。
「いいこと思いついた!
マキシマム罪でしょ!
文字通り、最大の罪!
『七つの〇罪』以上にヤバい、一つの大罪でしょ!
睦がこの世に存在することが!」
輝が、萌の腕を引っ張る。
突然正気に戻った萌が、輝に向き直った。
「それ、ストレートすぎるって。
いじめってすぐ分かりそうな気がするけど」
「もしかして、神門が怖いの?
隣の席だから?」
「睦の人格まで否定したら、カイザーが絶対止めにかかるって」
突然、萌が輝の手を振りほどき、屋上のフェンスの前に移った。
「いい?
私たちは、睦が再起動できなくなるまで叩き潰すの。
だから、輝にお願いしてるんじゃない」
5秒ほど遅れて、輝が萌の横までやって来る。
そこで萌は、輝に顔だけを向けた。
「友達ゼロ、能力ゼロ、持ってるアルターソウルの力もゼロ。
それに、レーヴァテインがバーニングカイザーの敵だから、神門もそこまで守れない。
いじめる条件は整ってるじゃない!
いじめられるべくして、いじめられるんよ!」
「俺も、サブカルの世界に誘ってくれた萌には逆らえないけどさ。
止められるの覚悟での作戦は嫌だな」
「私たちは、勝つに決まってる。
ロボ部が見てないところで、いじめればいいの。
例えば、部活中に睦を屋上に呼び出すとか。
期末テスト前は、もう今日か明日しかないけど」
「それいいね。
あと、明日は雨だろ。だから……」
輝が、萌の耳元で作戦を告げた。
萌が首を何度も上下に振る。
「やろっか!
いつもより早く来て!」
萌は輝の腕を引っ張り、再び部室へと戻っていった。
~~~~~~~~
翌朝。
本降りの雨が叩きつけた校庭を横目に、睦が昇降口に入った。
下駄箱から上履きを取ろうとしたとき、指に液体のようなものを感じた。
「何これ……」
睦は、上履きを引っ張った。
同時に、下駄箱に大量の雨水があふれ出た。
睦の足の上にも、雨水が襲い掛かる。
「誰かが上履きに、雨水を入れた……」
睦は、昇降口から外に出て、上履きに残っている雨水を捨てた。
それでも、上履きは水浸し。
ただでさえ濡れている靴下で、濡れた上履きを履くことになるのだった。
「でも……、時間が経てば乾くかもしれない……」
睦は、濡れた上履きを置き、履いてきた靴を下駄箱にしまおうとした。
だが、今度は下駄箱の中に落書きがされているのを目にした。
――牧島睦は、マキシマム罪!
一つの大罪、それは睦が生まれてきたこと!
赤いボールペンで落書きされた下駄箱を見て、睦はその場で立ち尽くした。
そこに、萌が迫った。
「よっ、マキシマム! つ、み!
あはははははははは! ウケる!」
「どうしたんですか、萌ちゃん。
私、こんなこと言われたら泣きたくなるんですけど」
笑っている萌に、睦は表情一つ変えずに訴える。
だが、萌はその場で床を叩きつけた。
「ははははは!
心当たり、あるでしょ。
2年生になってから、イタズラをされて当然のような行動をしてきたってこと!」
「もしかして、萌ちゃんがやったんですか?」
睦が静かに萌に尋ねると、萌は昇降口の柱に隠れている生徒をもう一人呼び出した。
輝だった。
「私たちで、びっくりさせようと思ったの!
いじめじゃないから、先生にも言わないでね!
約束だよ!」
萌が、睦の肩へと腕を伸ばした。
だが睦は、一歩後ずさりして拒否した。
「私は牧島睦です。
マキシマム罪ってバカにされたくありません……」
睦の声が昇降口の天井に響く。
煌がその声を、ちょうど昇降口に入ったところで耳にしたのだった。
「……今日もまた、罪とか言われてるんじゃ」
煌は急いで靴を履き替え、声のする方に向かった。
睦の靴と思われる濡れた足跡に、煌は足を滑らせそうになった。
萌と輝の前に立ちふさがる。
「今日もまた罪って言って、睦をどうしたいんだよ!」
「サプライズ!
マキシマムって言ったロボ部に言われる理由なんてないし」
煌は、そこで睦に振り返った。
睦の表情から、新しいあだ名を提案された時の新鮮さが失われていた。
「とにかく、睦は罪じゃない!
そんなあだ名なんて、俺は認めない!
睦がかわいそうだろ!」
「ふぅん」
萌の気の抜けた声が、昇降口に響いた。
そこに、教室とは反対側から何人もの女子生徒が煌の背後に迫った。
「やっちゃいなさい。
変身できなきゃ無力な皇帝様を、いつもそっちがやってるように痛めつけるんです!」
えっ……。
本命、俺かよ!
「離せって!」
誰が、何人で襲ってきたか分からないが、全員女子だ。
左腕と右腕、そしてカバンを別の女子が引っ張っているのが感覚では分かった。
「オタクのバイブル、
腹に蹴りを入れられる煌。
蹴られたところを右手で押さえるも、今度は右腕を殴られる。
「やめろよ!
いじめなんて、絶対ダメだ!」
「そんなことを言う奴が、いじめられるの!
マジウケる」
よろけて柱に叩きつけられた煌を、別の女子が押さえつける。
それからシャツを引っ張って手繰り寄せ、煌の背中を再び柱に叩きつける。
「痛いっ!」
「えいっ!」
体勢を立て直そうとした煌。
だが、2本足の感覚を取り戻す前に、カバンを引っ張られる。
あっという間に、煌は床に投げ出され、右足を上履きで踏みつけられる。
「よっわ!」
「こんな女子に喧嘩で負けるような男子が、
くそぅ……。
集団で襲ってきた女子たちが萌を取り囲むのを細い目で見ながら、煌はゆっくりと立ち上がった。
その集団の中でうなだれる睦の肩を、萌が叩いた。
「睦。
私たちがやりたかったの、これなの。
あいつが何もできないのにヒーローでいられるの、吐き気がしそうだったから」
「萌ちゃんだって……、上履きに水入れたじゃないですか」
「すぐ乾くって!
それに、すっきりしたでしょ。
睦が倒さなきゃいけなかったバーニングカイザー、こうやって倒せたんだから」
「でも……」
そこに、輝が睦の肩を抱いた。
睦が輝の顔に振り向くと、輝はいつものように笑っていた。
「もう、これで終わりにしよう!
びっくりさせちゃってごめん!」
「輝と萌は、前もって計画していじめに出た……」
煌は、自らを殴ったり蹴ったりしてきた女子たちを追いかけようとした。
だが、深く踏まれた足でそれほど速くは歩けなかった。
「俺のことなんて、どうでもいい。
問題は、睦だ。
ここでいじめを止めなかったら、睦は学校にいられなくなる……」
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