代打居酒屋 結子

赤根好古

第1話


定年前になって、妻とは離婚、そして左遷。そんな時、偶然立ち寄った居酒屋で、おばあちゃんのために頑張っている孫娘の姿を見て、自分は甘いと思った八郎は!


その店は、路地裏にあった。北風がとても強い日で、のれんが休むことを知らないくらい、とても揺れていて、のれんに書いてある店の名前が読めない程だった。けれど一度は入ってみたい雰囲気を、店から醸し出していた。それは匂いだ。換気扇からのおでんの匂いは、とても鼻をくすぐった。そして八郎のお腹がグゥと鳴った。店の脇には彼岸花が一輪、寒そうに揺れている。そう、まだ10月なのに、とても寒い日なんだ。

八郎は、ポケットから財布を取り出してみて、中身を確認すると一万円札が一枚。

(よし、これならこの店で、しこたま呑める)

と、年季の入った引戸を開け、のれんをくぐると

「いらっしゃいませ」

と、若い女性の声がした。

八郎は

(えっ)

と。こんな店だからおばあちゃんか、若くても50、60歳くらいのひとの店だろうと、思っていたんだが。

席はカウンターと4人掛けのテーブルが2つの店だ。いちばん入り口に近い正面に招き猫が。かなり年季の入った店の雰囲気で、しかも客は、老人と見られる頭のはげたひとがひとりだけ。

そのひとは、いちばん奥に腰掛けているので、八郎は入り口に入って、すぐのところに腰掛けた。すると、八郎が店に入った時に声を掛けたであろう、おそらく20代前半と見られる女性が

「そこ、寒いですよ。空いてますから、もっと奥へどうぞ」

と、案内してくれた。大きな鍋からは、湯気が立っている。

「何、なさいますか」

私は、正面に貼られているメニューを見ていると

「私、今日代打なので、おでんだけなんですよ」

「そ、そう。とりあえすお酒ください。常温で」

「外、寒いのに、熱燗でなくていいんですか」

「えぇ、いつもそうなんで。この方が酒の味がわかる気がするんで」

「はい、わかりました」

八郎が、おでんのメニューを見ていると

(やっぱり、スジ肉と大根に厚揚げかな。いや待てよ。ねぎまがある、これは旨そう)

グラスに入った酒が運ばれてくると、八郎は少し口に含んでから

「大根と、ねぎまと、厚揚げをください」

すると、いちばん奥に座っていた先客が

「ここのねぎまは、旨いよ」

と。すると代打の女将がニコッとして

「うちの名物なんです」

「ほう、これは最初から、いい物を選んだ」

しばらく大鍋を見ていた代打の女将は、皿におでんを盛り、辛子をスプーンで皿の端に付けた。そして

「どうぞ」

と、皿に盛った大根とねぎまと厚揚げが出てきて、八郎はこの店の出汁を最初に味合い、そして名物のねぎまを一口辛子に付けて食べたら

「旨い」

「だろ」

と常連の声。そして、代打の女将がニッコリ微笑んだ。よく見ると女将は若い、この店から考えても若過ぎる。

そこで八郎は、

「何で、代打なんですか」

すると常連さんが

「疲れたんだよ、女将さん。もう70代後半だし、毎日店を開けてたんだから。年なんだよ年。店を開けなきゃって無理してたんだよ」

八郎は、代打の女将に

「そうなんですか」

と聞くと、コクッと頷いて

「結子と言います。私、孫なんです。おばあちゃんにいちばん可愛いがってもらって、この店でよく遊んでたんです。だからおばあちゃんが倒れた時、この店はおあちゃんの生き甲斐だったんだと気付いて、おばあちゃんが元気になって、店に戻ってくるまで継続しようと、私が率先して引き受けたんです。もっとも、仕事を終えてからなんですげど。店開けるのは」

「へぇ、けど今度はあなたが倒れないですか」

「いえ、私好きなんです、この店。ほんとうは、おばあちゃんのこの店を、学校卒業してから手伝うつもりだったんですけど、おばあちゃんは外で働けと」

「へぇ」

(おばあちゃんは、毎日来てくれるお客さんのために1日も休まず頑張って、倒れたんや。そして孫娘が、そのおばあちゃんの志を引き継いで、自分の仕事を終えてから頑張ってる)

(何か、心暖まるわ)

こんなことを聞いてしまったら、八郎は

(俺も頑張らな、許されんやろ)

(いちいち左遷されたことばかり考えて、腐ってたら、一歩も進まんぞ)

そんな時、常連さんが

「この子、いい子なんだよ。とっても可愛いしな」

「もう、たつじいは。いつも私に甘いんだから」

「そりゃそうや、結子ちゃんがまだ、オムツしてた頃から知ってるんやから」

「もう嫌だ、そんな話ししちゃ」

と、顔を赤くしてはにかむ代打女将の結子は確かに可愛らしい。笑うと目が線になってしまうのは難点だが、眉毛が太くて濃く、鼻の高さも人並み以上で、目が線になりさえしなければ、充分美人として通用する。そして、洗い物を沢山するというのに、指先がとてもキレイだ。

(いやあ、この店に入って正解や)

すぐに、酒とおでんを食べ終えた八郎は

「あのー、お代わりください」

「はい」

「お酒とねぎま」

「はい」

たつじいと、代打女将に呼ばれた客が

「ねぎま、気に入ったね」

「はい」

「ここのねぎまは、いちばん先に品切れになるからね。もっとも、今日は大丈夫やと思うけど」

(何と言ったらいいか。相槌も打てない)

そこで八郎は、代打女将に

「このお酒は」

「世界一統と言って、和歌山のお酒です」

「和歌山?」

「おばあちゃんの田舎です」

「それで」

店の正面には、那智の滝の絵が。

「えぇ、おばあちゃんも呑むんで」

「代打の女将さんは?」

「好きです」

「この子、うわばみだよ」

「もう、たつじい」

「じゃあ、私の驕りで」

「いいんですか」

代打女将、結子が急に微笑んだ。

「はい。あのたつじいというひとにも一杯」

「はい」

たつじいが、グラスを上げて

「ありがとうな」

代打女将、結子が、自分専用のグラスを出して世界一統の酒を入れ、たつじいにも酒を入れた後

「今日は、どうしてこの店へ」

「仕事の帰りなんですけど、駅への帰り道に迷ってたら、偶然この店を見つけ、おでんの匂いに引かれて。けど、この店の雰囲気とねぎまの味、そして代打の女将さんの笑顔、寄って良かったです」

たつじいは、その話しを聞いて、ウンウンと頷いている。代打女将の結子も

「ありがとうございます。時間があったら、ゆっくりしていってください」

「うん、ありがとう」








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