掬う波・仮題

背尾

ep1

 細く差し込む月光が、淡い紫陽花の髪色を柔らかく照らす。艶やかだった空がすこし褪せている。頬に感じる体温にライは目をそっと開いた。

「朝がきちゃう」

「うん……」

「出ないといけないのに。離れたくないなぁ」

「うん」

フィズは頷きながらライの髪を一房手に取り櫛で梳かしはじめた。一度櫛を通せば返事をするかのように艶が増す。嬉しさと名残惜しい気持ちが合わさりいつも以上に無口になってしまう。

「起き上がった方がいい?膝疲れない?」

「このまま」

「わかった、そうするよ」

ライは頭をフィズの膝に任せ微睡む。ヘアオイルが香る広い部屋に心地よい沈黙が訪れた。

 ブラッシングが終わると、ライは窓の桟に足をかけた。近くの木に飛び移りフィズの方を振り返る。あまり表情が動かない彼女の眉尻が下がっているのが愛おしい。芝生を踏み、背の高い草の群れをかき分けて家の囲いの外に出た。もう一度フィズの部屋を見上げると、涼しい空気にさらされた黒髪が靡いている。その中に明るい色の瞳を見つけてから軽やかに走り出した。




 ライは修道院に帰り着くと、窓越しにブランカの肩を軽くたたいた。ブランカはほっとした表情を見せる。

「遅い、もう、どれだけひやひやしたと思ってんの」

「悪かったって」

「連帯責任なの忘れるなよ、ばれたら僕たちどうなるか分からないから」

「うんうん、待っててくれてありがとうブランカ。この借りは必ず返すから。ほら見て、花摘んできた」

ブランカは戦意を削がれ、ライから受け取った花を新品のシャーレに浮かべる。残っていた朝露を指先で拭った。ライは靴の泥をはらい窓から入室した。

 ライとブランカはこの教会で育った孤児だ。18歳現在、ライは研究者と武術の指導者、ブランカは医師として修道院に勤めている。週に一度二人の研究の夜勤が重なる日、ライはブランカの手を借りてフィズが住む屋敷へこっそり出かけるのだ。

 手を洗いリンゴを手に持ったライが尋ねた。

「リンゴ切る?」

「半分に切って」

「りょーかい」

ブランカが拭いたテーブルにリンゴの皿を置き、テーブルにつく。

「ライ、すごい浮ついてる」

二等分されたリンゴをスプーンで掬いながらつぶやいた。

「ははは、ほんとその通り。すごく幸せだった」

「へー。それで付き合ってないのが不思議」

「フィズは好きでいてくれてると思うけど、わたしの好きとはちがうから」

いつもどおりの顔でリンゴを食べ続ける。ブランカはその様子を眺めた。

「フィズさんも同じ事思ってたりして。」

「ないない」

「僕なら嫌だね、一晩中人の頭が膝の上にあるなんて。愛ゆえじゃない?」

「ま、普通はそう思うよね」

ブランカは思わず「あ?」と聞き返した。

「フィズは優しいからさ、たくさん甘えさせてくれるんだ」

ライの顔が一気にゆるむ。ブランカはそれを見て微笑んだ。

「ごちそうさま、朝から惚気は勘弁して」

ひらひらと手を振り食器を洗い始める。ライも食器を片付け、濡れた皿を拭いた。

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