第1章 寂しがりのユニコーン05
森の外では長く厳しい冬が終わりを迎えていた。人も動物も草木も、これからやって来る春を喜び合っていた。人々は春に始まる宴を楽しみに待ち、燕は南国から帰ってきて、花々も世界に咲き誇る下準備を整えていた。しかし、サフィーがその身で春の訪れを感じることはない。何せ彼女はユニコーン。その周りは常に暖かく、住まう森も常に春の陽気で満たされているのだ。そこに寒気が入り込む余地は無く、サフィーもそこに住まう者達は冬の恐ろしさも、『凍える』ということも知らないのだ。だからこそ、彼女は春がやって来る喜びを理解していなかった。
アリトンが再び森を訪れた時、サフィーは丁度泉で水浴びをしていた。これは彼女の日課であったが、
「あれ?アリトン……?確かにここにいる筈なのですが……」
――とその時、サフィーの目の前に小さなひずみが現れた。サフィーがそれを訝しげに見つめると、突如その空間に扉程の穴が空いてしまった。驚いてサフィーが後退りすると、そこからアリトンがスッと姿を現した。
「久しぶりだね、サフィー」
「えぇ⁉アリトン⁉一体どうやって……?」
サフィーは大層驚き、二三歩程後退りしていた。
「あはは、ごめん。驚かせちゃったかい?」
「え、えぇ。とても心臓がこう、きゅうぅ……となりましたよ。それにしても、これも魔法だったのですか?初めて見ましたが……」
「“空間転移魔法”、とても高度な技術と知見が必要な魔法さ」
「へぇ~そんなに凄い魔法も使えるのですか?アリトンは凄いですね~」
「……いや、これは僕自身の力じゃない。正確には“コイツ”のお陰さ」
アリトンは懐から五つの水晶のようなものを取り出した。彼が指を鳴らすと、それらはひとりでに浮かび上がり、サフィーの周囲をぐるりと回った後、彼女の眼前で静止した。水晶はそれぞれ異なる色合いをしていた。左から赤、青、黄色、緑、そして白。
「わぁ……綺麗……」
サフィーは立ち並ぶ水晶に惹かれ、じっとその中を覗き込んでいった。
「綺麗なだけじゃないさ。こいつは“メモリウム”。僕が
「魔法……何です?」
「まぁ端的に言えば、前々から言ってた『誰でも魔法を使えるようになるツール』だね。例え一滴の魔力もない人間でも、こいつを握って念じれば、簡単に魔法を使えるようになるのさ」
「へぇ……」
サフィーはまだ水晶の中を観察していた。そこでは細かい光の粒子が星々のように煌めいており、まるで夜空が手ひらサイズに収まったかのようだった。
「どうしたんだい?随分熱心にメモリウムを見ているね?」
「い、いえ。その……おかしなことを聞いてしまうのですが。……この水晶の中身は夜空なのですか?」
「え?」
想定外の質問にアリトンは素っ頓狂な声を上げた。それを見たサフィーは、自分がよっぽど変なことを聞いたんだと羞恥心が沸き上がり、顔を赤らめて彼から目線を逸らした。
「ご、ごめんなさい。私って本当におかしなことばかり言いますよね?正直な話、貴方を困らせていないかと心配になりますよ……」
「……いやいや、君の発想力にはいつも脱帽だよ。確かにこれは……夜空の星々そのものだね」
アリトンはサフィーをフォロー入れると、一緒になってメモリウムを覗き込んだ。それぞれ記憶されている魔法もバラバラで、その水晶の内に煌めく星々もまた異なる様相を浮かべている。彼らの前には五つの小さな夜空が並んでいた。
「この小さな星空達が未来を担う鍵となるのさ。才に恵まれなかった人間も、これがあれば、きっと輝ける……!」
――遂に悲願を達成したアリトンの瞳は、より一層透き通り輝いて見えた。これからの世界の新しいビジョンに心を躍らせ、希望に満ち溢れていたのだ。
対してサフィーは彼の功績が何となく凄いものだとは感じていたが、それがどう凄いのかは理解出来ていなかった。彼女は魔法を当たり前のように使え、何より格差と理不尽が蔓延る人間世界を知らなかったのだ。故に彼の発明が、果たしてこの世界をどう変えていくのかが想像がつかなかったのだ。ただ、それをサフィーは決して口にはしなかった。アリトンが喜んでいるのに、自分がメモリウムの素晴らしさを理解出来ないなどと言ってしまえば、きっと彼を失望させてしまう。本心を曝け出さないことが相手の為になることもある……ユニコーンはそんな切ない現実を教えられるまでもなく知っていた。
「その星夜はきっと世界を照らす光となる筈です。貴方はその先駆けとなるのですね」
「ハハハ、そう言ってくれて嬉しいよ。でも、メモリウムにはまだ解決しなきゃいけない問題があるんだ」
「問題……ですか?」
「あぁ。と言ってもメモリウムに問題がある訳じゃないんだ。これが魔法使い達に受け入れられるかどうかが問題なのさ」
「それは……どういうことで?貴方はみんなが魔法を使えるようになれば世界はきっと良くなると言っていましたが……魔法使い達はそれを望んでいないと?」
「ま、そういうことさ」
アリトンは大きく溜息をつくと、丁度近くにあった切り株に腰掛けた。
「魔法使い達は魔法を自分達で独占していたいのさ。自分達がいつまでも特別で孤高で唯一無二の存在でありたいからね。だから、アイツらは誰でも魔法を使えるようになるメモリウムを目の敵にしてる。僕だって研究中にアイツらから何度も嫌がらせを受けたからね……」
忌々しい記憶が蘇ったのか、アリトンは座っていた切り株に拳を打ち付けた。しかし想像以上に硬かったのか、直ぐに手の甲を摩っていた。彼の憤りにサフィーが掛けられる言葉は少なかった。ただ、アリトンの苦労を完全に理解せずとも、労わることは出来た。
「貴方はここまでよく頑張りましたよ、アリトン……」
サフィーはアリトンの頬をそっと鼻先で摩った。
「え……?サフィー……?」
彼は驚嘆の表情を浮かべたまましばらく固まっていた。サフィー的には、何てことのないスキンシップのつもりだったのだろう。だが、ユニコーンが自ら人に触れるなど、清廉な処女でも一生に一度あるかも分からない体験だ。その希有さを何よりも理解していたのはアリトン、彼自身だった。
「何で……何で君はここまで……」
「フフフ、貴方は何にでも理由を求めたがるのですね。でも、一つ言えるとすれば……私は貴方の“友達”だから……ですかね?」
サフィーはアリトンの目を見据え、柔らかな微笑みを浮かべていた。
何気ない彼女の一言、何気ないその微笑み。その全てが、世界の不条理さに疲れ果てていたアリトンを虜にした。このユニコーンを離したくない、一生傍に居てほしい……。賢明な魔術師がそんな俗物めいた願望を抱く程に、サフィーは美しくも恐ろしい魅惑を振りまいていたのだ。だが、アリトンもそこで欲に負ける程、低俗な男ではない。人間と幻獣の境を知り、超えてはならない一線をわきまえていたのだ。
――だが、この美しきユニコーンの記憶に僕は残るのだろうか?人間である自分は後数十年で死ぬだろう。だが幻獣たる彼女はあと100年、1000年、いやそれ以上生き続ける。そんな途方もない時間の中で、果たして僕との記憶が、あの時魔法を教えた記憶が、そして今こうして面と向かって話し合っている記憶が、彼女の中に残り続けるだろうか?……いや、きっと残らない。人間は所詮自然の歯車の一つだ。対して幻獣は自然の化身そのものと表すべき存在。人間何ぞ、取るに足らないものだと認識しているのが彼らの常識というものだ。その中でも彼女は……特別ともいえる事例だが、自分が死に、何十年とこの森を訪れなくなったら?次第に僕という存在は彼女の記憶からゆっくりと、砂の城のように崩れ落ちていくだろう。
――そんなのは……嫌だ。僕はずっと、彼女の中で生き続けたい。何か、何か彼女が僕を忘れずにいてくれる方法はないだろうか?
一人の魔術師が思考を振り絞った後、ある画期的なアイディアが彼の脳内に浮かんだ。
「そうだサフィー、君に“贈り物”をしたいんだ」
「え?贈り物……ですか?」
「あぁ、君には何かとお世話になったからね。君に感謝の意を示したいんだ」
アリトンは一つの月下石を取り出した。その中に星空は広がっておらず、これ単体では何の効果もないただの石ころだった。だが、“素朴なペンダント”を作るには丁度良い素材だ。
「これをこうして……っと」
「わぁ……凄い……」
小さな石ころは、アリトンの手によって一瞬で一つのペンダントに様変わりした。質屋に持っていけば、それなりの値がつくだろう。
「さぁ、これを君に。メモリウムで作ったペンダントさ」
「えぇ、こんなに綺麗なものを私が?」
「そう遠慮しなくていいさ。きっとその雪のように白い身体に似合う筈。それに……これを君に渡すことは、僕の為にもなるんだからね……」
――記憶が薄れていくなら、いつでも思い出せるものを渡せばいい。
シンプルながら、最も効果的ともいえる手をアリトンは使ったのだ。
「それじゃあ、貴方がそういうのであれば……頂いておきましょうか」
「それは良かった!それじゃあこれを君に……」
アリトンはサフィーの首にペンダントを着けてあげた。極力彼女の身体には触れないようにしていたが、ホッグを掛ける時に僅かにサフィーの体毛が彼の指先に触れた。その瞬間、これまで体験したことないような安らぎがアリトンの全身を駆け巡った。
――彼女が許すのであれば、このまま抱きつきたい……。
そんな邪な欲望が、一瞬脳裏を駆ける。アリトンはそれを必死に堪え、サフィーにペンダントを着けると直ぐに彼女から二三歩程離れた。
「あら、どうです?似合ってますか?」
「あぁ、とっても……似合ってる」
即興で作られた月下のペンダントは、白い体毛を持つサフィーの首で確かな輝きを放っていた。
「……それで、このメモリウムにはどのような魔法が込められているのですか?」
きっとサフィーはこのような質問をしてくるだろう。予想を的中させたアリトンは、その答えを既に決めていた。
「何、とっても単純な魔法さ。君と僕が、永遠に友達でいられる魔法……」
「え……」
一抹の静寂が双方を包む。アリトンは今になって自分がかなり気持ちの悪いことをしたのではないかと不安に駆られた。
「……すまない、少し気味が悪い魔法だったかな?」
「いえいえ、とっても素晴らしい魔法だと思いますよ」
サフィーは変わらず透き通った瞳で、ペンダントを嬉しそうに見つめている。
――誰かと友達でいられる魔法……そんなものは存在していないし、これから生み出されることも無いだろう。だが、アリトンは信じていた。このペンダントが、自分が彼女と友達になれた証であるということを。
「ハハハ、君は何でも受け入れてくれるんだね。……世界中の人々が、君のような心を持てればいいのにね……」
「いえ、それは違いますよ。森の木々だって、全てが同じでは森とは言えません。様々な種類の木々があり、生き物がいるからこそ、そこは森と呼べるのですよ。それと同じで私は私、貴方は貴方。お互い違いがあるからこそ、世界はより輝きを放つのです」
「それは……一理あるね」
サフィーの哲学めいた思考に一定の理解を示しつつも、アリトンはそれを肯定することも出来なかった。人間世界を生きてきた彼は、違いによる悲劇や問題も知ってたからだ。
「こうして君とまた話す機会があるだろうか?」
「水臭いことは言わないでください。私はいつだって貴方を歓迎しますよ?」
「フッ、そう言ってくれると安心だよ……」
沈みゆく夕日を眺めながら、二人はお互いに微笑み合った。
――この日を最後に、アリトンがこの森を訪れることをは無かった。
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