第6話 仮面舞踏会1

 おまちかね、春の舞踏会が始まった。


 会場となるホールは壁一面にパステルカラーのリボンで飾り付けがなされ、色とりどりの花があちこちに活けられている。


 華やかな音楽が流れ、顔半分を意匠の凝った動物の仮面で隠した貴婦人達が、ふわりふわりとドレスの裾を揺らし、会場に満開の花びらを咲かせている。あちこちで笑顔あふれる人々が、春の訪れを祝福し幸せなひとときを過ごしていた。


 普段の舞踏会では、ホールに王族が陣取る席とそれを取り巻くように貴賓席が用意される。しかし今回は匿名希望の仮面舞踏会。よって上座となる場所には楽団が陣取り、それぞれ担当する楽器から美しい音色を響かせている。


 もちろん公にはなっていないが、今回も王族の控室は別に用意されている。だから疲れたリリアナ様が休憩出来ないなんて事はない。


 今日のリリアナ様はダニエル様の瞳の色を再現した、スカイブルーのグラデーションドレスに袖を通している。ふんわり広がるスカート部分には細かいビジューがこれでもかというほどちりばめられ、この会場にいる誰よりも美しく、まるで女神が降臨したかのような神々しさだ。


 因みに今回私が選んだのは春ということでパステルグリーンのドレス。生地を見た時、新緑の葉っぱっぽい色だなと思って決めた。ドレス選びの所用時間は五分もなかったかも知れない。


 私の髪色は少し人と違う。だからドレス選びに関してだけは、大抵悩まなくて済む。でもそのせいで、私は逃げられない運命でもある。


 というのも、我が国の王族の一部は一目でそれとわかる特徴を持つ。それは何かと言うと、プラチナブロンドの髪色だ。もちろん全員がそうなるわけではなく、一体どの程度の割合でその特徴が現れるのかも不明らしい。しかし、カミルス殿下の血を引く私は、生まれた時から銀糸のような髪の毛だ。


 運がいいのか、悪いのか。王族である証とも言われるこの髪色は、人々から「美しい」「神秘的」「神々しい」などと羨望の声があがる事が多い。しかしメンテナンスを怠ると、一気に疲れた老婆のようになる。だから私は、自分の髪色についてドレスの色合わせ部分以外は、わりと迷惑だと感じている。


 因みにリリアナ様も私と同じ髪色で、アミラ様は母親の髪色を受け継ぎ、太陽の光を浴びるとまるで炎のように輝いて見える赤みの強いブロンドだ。

 出来ればカミラ様のような力強い色が良かったと願う気持ちは、ないものねだりだと言われそうで、誰にも言えないでいる。


「仮面をつけていても、あなたの輝きで目が眩みそうです」


「まぁ、あなたは誰かしら。お上手ね」


 リリアナ様は、どこからどう見ても、揃いのうさぎの仮面、ただしオスをつけたダニエル様に対し、会の趣旨「あえて明かさない」を厳守しているため、見知らぬ男性かのように接している。


 そんな仲睦まじい二人の周囲をぐるりと取り囲むのは、私とアリスとニーナの三人。


 リリアナ殿下付き侍女軍団の中でも、密かに精鋭と呼ばれる三人組だ。


 私達がリリアナ様のお側を離れられないのには理由がある。それは、リリアナ様とダニエル様の婚約が決まり「アミラ様との勝負がついた」とホッとしたのも束の間、しぶといアミラ様は不死鳥のように蘇り、自身の侍女を使い、リリアナ様と私達にあの手この手で嫌がらせを未だに仕掛けてくるからだ。


 たとえばリリアナ様とダニエル様の会話に割り込んできたり、リリアナ様を転倒させようと、彼女の行く先に飲み物をこぼしたり、シルクのハンカチを落としてみたり、それから二人が仲良くダンスを踊る際、故意に足を引っ掛けようとしたりと、そのやり口は実に様々。


 今まで私達侍女軍団の面々は、アミラ様と彼女の侍女達がこちらに差し向ける悪事にいち早く気付き、難を免れてきた。よって今回もまた何か仕掛けられるのではないかと、私達は警戒しリリアナ様とダニエル様の周囲を取り囲み、最大限警戒しているのである。


「今日はまだ姿が見えないわ。でもこれだけ人が多かったら目立つ嫌がらせはしてこなそう」


 私の右隣に立つニーナが、扇子で口元を隠しながらホール内に視線を巡らせている。


「ええ。でも油断は禁物ですわ」


 私も口元を扇子で隠しながら、気を緩めるなと注意を促す。


「了解。それとエマのひつじの仮面、とても可愛い」


 どうやらニーナは私が選んだ仮面を気に入ってくれたようだ。ドレス選びより時間をかけ、悩んで選んだ甲斐があったようで嬉しい。


「ありがとう。ニーナの黒猫も良く似合ってるわ」


 私が礼を口にすると、左隣りにいる馬の仮面をつけた、ちょっとセンスに難ありと言わざるを得ないアリスが身を寄せてきた。


「三時の方向に目標発見。本日はリーク通り紫陽花あじさい色のドレス着用を確認。仮面は子鹿、繰り返す、仮面は子鹿。以上」


 扇子を口元に当て、アリスが報告してきた。


 紫陽花色のドレスと報告を受け、アミラ様がオーランドを次のターゲットとして意識しているらしいという、以前もたらされたその情報の信憑性が高くなったと私は心がモヤモヤする。


 しかし今は任務中。オーランドの事も大事だけれど、リリアナ様を守る方が優先だ。


 私は三時の方向を確認しながら、隣に立つニーナにアリスから聞いたばかりの情報を一語一句間違えずそのまま伝えた。こうして私達はいつもリリアナ様とダニエル様を囲みながら、まるで伝言ゲームのように、最重要事項を確実に伝達していく。


「今日はこっちに来ないのかしら」


 私達は緊張しつつ、自身の侍女に囲まれながら移動するアミラ様を目で追う。現在アミラ様は自分に声をかけてくる人々の相手をしながら、周囲をうかがっている感じだ。


「きっと、オーランド様を探しているんだわ。エマ、オーランド様の仮面は何?」


 アリスに問われ、私は小さく首を振る。


「そんなの聞いてないから知らないわ」


 両隣から「この姉、全然使えない」といった、呆れた視線を向けられる。

 私だって興味がないわけじゃない。けれどそういう事をたずねる前に、近寄ると怒るか逃げられるのでどうしようもないというのが現状だ。


 私は二人からの冷たい視線を無視し、リリアナ様とダニエル様の現在の様子を確認する。


「では、また後ほど」


「えぇ、今日はダンスを」


 リリアナ様は上目遣いで、ダンスを踊りたいと案におねだりする。

 婚約者のいる者にだけ許された行為だ。私が同じ事をしたら「女性から誘うだなんて、はしたないわ」と後ろ指をさされる事間違いない。


「喜んでお受け致します」


 ダニエル様はリリアナ様の片手を取り、白い手袋の上に軽く唇を当てた。


 どうやら今日は仮面効果てきめんなようだ。いつもは堅物なダニエル様も思う存分、リリアナ様に甘い言葉を囁いている。


「まぁ、悪い人」


 満更でもない様子どころか、かなり喜んでいるリリアナ様。


 ダニエル様はそんなリリアナ様にとびきりの笑顔を向け、猛禽類に肉食獣など、やたら強そうな仮面をつけた紳士が集う群れへと帰っていく。


 あの仮面のチョイスから察するに、彼らは蒼空そうくう騎士団の仲間たちに違いない。


 私は輪の中にオーランドがいることを確信し、目を凝らす。覗き見で鍛えられた観察眼のおかげか、すぐに彼の黒髪を見つけることができた。しかし、残念なことに彼はこちらに背を向けていたため、どんな仮面を付けているのか確認することはできない。そして、人波で視界が遮られ、オーランドが参加する強そうな集団も一瞬で姿を消してしまう。


「もう、ダニエル様ったら。今日も明日も明後日も、いつでも素敵なんだから」


 リリアナ様の弾むような声に反応し、私は視線を主に戻す。すると彼女は先程ダニエル様からキスを落とされた部分を眺めうっとりしていた。


 浮かれすぎている気がしなくもないが、主の幸せは私の幸せ。だからここは「適度な距離感を保つ事を忘れぬように」とお小言を言いたい気持ちをグッと堪え、見てみぬフリを決め込む事にした。


 普段王女らしくいようと、頑張るリリアナ様へのご褒美だ。


「いよいよね」


 ニーナの言葉に私は頷く。


 アミラ様が何か仕掛けて来るとしたら、ダニエル様が去った今しかない。


「そろそろ来そうな気がする」


 私はアミラ様に視線を戻す。すると左隣のアリスが緊張した声で報告をしてきた。


「目標三時の方向から一時の方角へ進行中。ターンしました。繰り返します、ターンしました。現在目標は七時の方向を向き、こちらまで残り二十メートルほどの距離から直進中」


「目視しました。了解」


 私はアリスに返事をし、アミラ様をそのまま目で追う。


「ほんと、わかりやすい人よね。目標了解」


 ニーナが苦笑いしながら報告を返す。


「きっとオーランド様を探すのを諦めたのね。とりあえずは良かったね、エマ」


 アミラ様を見つめながら、アリスが告げる。


「だったらいいけど」


 私は思わず本音が漏れる。


「やっぱりエマは私と同じ。弟が大事なのね」


 アリスは味方を得たとばかり嬉しそうだ。


「いいなぁ、弟」


 ニーナが羨ましそうな声をあげる。


 そんなふうに、私達がコソコソ話をしているいると、アミラ様は人の壁をすり抜けて移動し、リリアナ様の元までやってきた。


 一気に緊張感が高まり、私は警戒レベルをマックスまで引き上げたのであった。

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