第5話 五日ぶりの覗き見2

 そこには輝く黄金の髪に、蒼穹のごとき青の瞳。しかも背後にある太陽に照らされ、キラキラ感が倍増したダニエル様がいた。となると、彼の相棒であるオーランドもやっぱりそこにいるわけで。


 見慣れた夜の闇に溶け込むような黒い髪は明るく照らす太陽を背に、今日は一段と輝いて見える。春の柔らかい風を受け、頭の天辺で軽やかに舞っている髪は、まるで綿毛のように柔らかくとても可愛い。しかし、こちらを見つめる神秘的な紫の瞳は人を殺せそうなほど鋭さを増し、形の良い口元は声を出さずに「お前、馬鹿か?」と無情にも動いていた。


「ひとまず、手を」


 ダニエル様は、私の上に尻もちをついたリリアナ様に自らの手を差し出した。


「まぁダニエル様。ですわね。ありがとうございます」


 しれっと偶然である事を強調しつつ、ダニエル様の手を取り優雅に立ち上がるリリアナ様。


 その瞬間、私の体に新鮮な空気が流れ込む。どうやら死なずに済んだようだ。


「何してんだよ」


 呆れた声と表情のまま、オーランドの長い足が地面に伏せる私をまたぐ。


「え」


 なぜまたぐ?と疑問に思った瞬間。私の両脇に彼の手が侵入し、グイッと強制的に地面から持ち上げられた。まるで魚を水揚げするかのように持ち上げられた私は、地面に両足を付け人間へと復活を遂げた。


「お怪我はございませんか」


 声の主はダニエル様だ。見なくてもわかる。なぜなら私を嫌っているオーランドがそんな優しい言葉をかけてくれる訳がないから。そしてダニエル様の優しい問いは、彼の大事な婚約者であるリリアナ様に向けられたものであるということも。


「自ら犠牲となってくれたエマと、偶然居合わせて下さったダニエル様のお陰で命が救われましたわ」


 優しいリリアナ様は私を気遣う言葉をかけつつ、ダニエル様に咲き誇る薔薇のような美しく気高い笑顔でお礼を述べる。そんなリリアナ様に思わず痛みを忘れ、見惚れる私。


「痛むところはないのか?」


 一体誰にかけた言葉なのだろうと、私は横に立つオーランドに顔を向ける。


「とうとう耳までおかしくなったのか?」


 オーランドはアメジストのような美しい瞳を惜しげもなく私に向けていた。しかし、残念ながらその視線から受ける印象は冷ややかなもので、思わず背中がヒヤリとする類のもの。


「ついに頭もか……」


 眉間に皺を寄せ、ボソリと呟くオーランド。どうやら彼は、私の心配をしてくれているようだ。ようやくその事に気付いた私は、「明日は雨か……」と密かに残念に思いつつ体の確認をする。思いの外足首が痛む気がするけれど、大騒ぎをするほどではない。


「大丈夫。ありがとう、オーランドがいて助かったわ」


 私もリリアナ様を見習い、偶然をアピールする。


「足、痛むんじゃないのか」


「そうかな」


 私は咄嗟にとぼける。


 ここで私が怪我をした事が判明してしまうと、リリアナ様が自分のせいだと思ってしまう。彼女はそういう人だ。そして私はそんな優しい主を無駄に悲しませたくはない。


「体の重心が左に傾いてる。右足を庇っている証拠だ」


 オーランドは目ざとく私の体に起きている異変を指摘する。


「そんな事ないわよ」


 私は平静を装いつつも、オーランドの観察力に舌を巻く。確かに右足首は痛みを発しているけれど、まさかそれを見抜かれるとは思っていなかったからだ。


 どうやら私の知らぬ間に、可愛いだけじゃない。賢さをも兼ね備える立派な弟に進化を遂げたようだ。


 覗き見なんかにうつつを抜かす私とは大違い。


 私は自らの行いを反省しつつ、でも日々頑張れと密かに念じた私のお陰かも知れないと都合良く解釈し、オーランドの成長を誇らしく思う事にした。


 別れ難い気持ちはあるけれど、私はこう見えて職務遂行中。


「さて、そろそろ戻らないと」


 わざとらしく口にし、リリアナ様を確認する。


 リリアナ様はダニエル様と視線を交わし微笑み合っている。


 婚約者同士の幸せな時間を邪魔するのは悪いと思いつつ、誰かが止めに入らないと一生二人の世界のまま。それはまずい。今日は舞踏会準備でリリアナ様は忙しいのだから。


 それに、目ざといオーランドにこれ以上詮索される前にこの場を退散したい。なぜなら今日の舞踏会で私は、侍女仲間のアリスとニーナと共に、どうしても外せない任務があるからだ。だから足を挫いたくらいで欠席するわけにはいかないし、覗き見について勘ぐられても困る。


「足は痛むのか?」


「全然平気」


 今日に限ってしつこいオーランドに私は焦る。


 もしここでオーランドに足を挫いた事を見抜かれ、それを私が認めた場合、確実に「いくな」と言い出しそうな雰囲気を醸し出している。それはそれで「心配してくれたんだ」と姉冥利に尽きるので嬉しくもある。しかし今日だけは舞踏会を欠席するわけにはいかない。


 私はポケットから腰に巻いたドレスのリボンと繋がる懐中時計を取り出すと、パカリと蓋を開ける。


「あら、もうこんな時間。リリアナ様、そろそろお時間が迫っています」


 私はわざとらしく懐中時計を手にしたまま、リリアナ様に告げる。


「私たちで部屋までお送りしますよ」


 ダニエル様が申し出てくれた。しかしリリアナ様はにっこり笑って断った。


「とても嬉しいお言葉なのですが、申し訳ございません。私たち今から予定がございますの」


 リリアナ様のファインプレーに内心私はホッとする。


 もしダニエル様とオーランドをリリアナ様の部屋まで連れて帰ったら、私達がお花畑に行ってなかった事がみんなに知られてしまう。さらには「何で、どうして?」と仲間達から根掘り葉掘り尋ねられ、覗き見をしていた恥ずかしい事実までもが明らかにされてしまう恐れがある。それだけは何としても避けたい。そしてその思いは王女であるリリアナ様も同じ……。


 最大の危険を回避した私は、笑顔をつくる。


「じゃ、また後で。起こしてくれてありがとう、オーランド」


「また後で?まさかその足で舞踏会にで――ぐぬぬ」


 私は咄嗟に腕を伸ばしオーランドの口元を芝生まみれの自分の手袋で塞ぐ。そしてダニエル様と別れを惜しんでいるリリアナ様にチラリと視線を向け、再度オーランドに視線を戻す。


「お願い、黙っておいて」


 小声でオーランドに告げると彼は小さく頷いた後、私の手首を掴むと、自分の口から芝生付きの私の手袋を剥がした。


「芝生を食べた」


 オーランドは、はめていた白い手袋を脱ぐと口の中に入った芝生を指で摘んで取り出した。そして口から出した芝生をジッと見つめて、嫌そうな表情をしている。そんな無邪気で可愛い様子を間近に見た私は「お姉ちゃんがポイしてあげるね」と、うっかり彼が摘む芝生に手を伸ばしたい気持ちを何とか堪える。


「エマ、そろそろ参りましょう」


 リリアナ様から声がかかる。


「あ、じゃそういうことだから。ありがと」


 私はオーランドに再度礼を口にし、足は平気だと言う意味を込め、笑顔で淑女の礼を取っておく。


「お気をつけて。では後ほど」


 ダニエル様はリリアナ様に紳士的な距離でしっかりと礼を取った。


「ダニエル様、ご機嫌よう。すぐにお会い出来るのを楽しみにしています」


 リリアナ様はスカートの裾をつまみながら挨拶をし、踵を返すとその場を優雅に後にする。


 私も慌ててダニエル様にお辞儀をした後、敢えてオーランドと視線を合わさずその場を立ち去る事にした。なぜなら、確認しないでもわかるほど、真横から注がれる冷ややかな視線が私の足元に刺さるのを感じたから。


 絶対に怪我の程度を測るつもりだと感じた私は、痛む足を庇いながら、「心配してくれたんだ」と嬉しい気持ちも抱えつつ、そそくさと逃げるようにその場を後にしたのであった。


 因みに雨上がりの地面にうつ伏せになり、汚れ果てた私のドレスをみて驚く侍女仲間に「転んじゃって」と笑って誤魔化して伝えたところ。


「そんなに我慢できなかったの?」


「走って行くほどになる前に言えばよかったのに」


 リリアナ様と共に、お花畑に行っていたと思われている私は、だいぶ不名誉な誤解をされてしまったのであった。

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