第12話 ラルラ・ヴェン
「まあ、いい香り!」
ジャスミンは、ちょうど盛りのように咲いていた。辺りにはいい香りが漂い、ガブリエラというヴェンデルガルトをはじめ皆の心を暗くしていた存在を、少し忘れさせてくれた。
「でも、露店の店主の驚いた顔は傑作でしたね」
ルードルフは、街の西側の少し広くなっているところに牛の皮を敷きながら、先ほどの事を思い出した。
「ラルラを使ったお菓子ありますか?」
「へ?! ヴェ、ヴェンデルガルト様?!」
まさか、姫であるヴェンデルガルトが露店に来るとは思っていなかったのだろう。お菓子を売っている店の店主は、ヴェンデルガルトに声をかけられて驚いた声を上げていた。
ルードルフは、敷物とお茶を入れる銀食器とお菓子を乗せる皿だけを持ってきていた。ビルギット達には、初めての南の国のチャッツだ。ラルラを使ったお菓子は、ラルラ・ヴェンというものを買った。実はこのお菓子は、ヴェンデルガルトがラルラを好んだと聞いたバーチュ王国の国民が、新しく作ったお菓子だった。ルードルフも初めて食べるという。
しかし、ルードルフが用意したのは敷物が二枚に食器も六個だ。お茶もお菓子も六人分だ。理由が分からないまま、ジャスミンが綺麗に見えるここへと来た。
「さ、ヴェンデルガルト様はここですよ」
少し離れたところに敷物を敷いて、チャッツとラルラ・ヴェンを二人分置いていく。
「あの、ルードルフ。これは……?」
「あ、ほら来ましたよ――あなたの王子様が」
ルードルフが視線を向ける先を見て、ヴェンデルガルトの鼓動が跳ね上がった。そこには、こちらに向かって歩いてくるアロイスがいた。アロイスの体調は良さそうで、しっかりした足取りだ。
「さすがに街で二人きりは危険なので、少し離れたここで俺たちもお花見してますよ」
ヴェンデルガルトが頬を染める様子を見て、ルードルフが笑いながらそう言ってビルギット達を促して別の敷物に腰を下ろした。
「驚かせてすまない。昨日、レーヴェニヒ王国の薬を飲みきってから、ようやく体調が良くなった。めまいもなくなり、身体に異変もない。ガブリエラのせいで今まで二人きりになれず、俺も悔しかったんだ。……ヴェンデル?」
傍に来たアロイスが笑顔で話していたが、ヴェンデルガルトは涙を流してそのアロイスに抱き着いた。アロイスは驚いた表情を浮かべたが、その可憐な少女を抱きとめて笑顔を深めた。
「こんなに心配かけて――本当にすまない。俺は、お前に心配させてばかりだな」
「いいえ――いいえ、違うんです。アロイス様が元気になったのが嬉しいのと、私の所へ来て下さったのが嬉しくて……」
優しく金色の髪を撫でて、アロイスはルードルフが敷いてくれた敷物に彼女を抱えたまま座った。二人の様子に興奮しているカリーナの目を、ビルギットが覆い隠した。まだビルギットは納得できていないが、嬉しそうなヴェンデルガルト姿を久しぶりに見て邪魔をしないように気を付けることにした。
「ああ、これはラルラ・ヴェンだな? お前が国民に慕われていた証だ」
と、アロイスが言った。
「お前からバーチュ王国へ嫁いでくるという知らせがあって、祝福の花火が打ちあがったくらいだ。お前と一緒に見たかったんだ」
銀の皿に乗っているお菓子を見て、そうアロイスが続けた。アロイスと話しながら、ヴェンデルガルトは以前この国で滞在していた時を思い出した。ヴェンデルガルトは最初は彼を恐ろしく感じたが、こんなにも愛おしく思うようになったと思っていた自分に驚いた。慣れ親しんだ国を出て、彼の花嫁になる未来を想像できない出会いだった。
しかし優しく頬を撫でる剣士らしく逞しい指先に、そんなことはどうでもいい、と思う。
「あ、これは――私が編んだアヤー……」
アロイスの髪が揺れると、不器用ながらヴェンデルガルトが一生懸命に編んだイヤリングが見えた。
「寝ている時も、目覚めた時もずっと身に着けている。お前が、俺の為に編んでくれた宝物だ。これを身に着けていたら、きっとお前が戻ってきてくれると信じていた」
少し歪んでいるが、ベルトに直してもらって編み上げたものだ。ベルトという少女はもうこの世にはいないが――アロイスと離れて寂しいときに支えてくれた少女だった。彼女が裏切り者であっても――自分を殺そうとした人であっても、たとえ演技だったとしても、自分を慕ってくれたあの少女を、ヴェンデルガルトは忘れることが出来なかった。憎むことも出来なかった。
「私北に帰っても、アヤーの編み方を練習していたんです。今度は、もっと綺麗に編んで見せますね」
「そうか、それは楽しみだ。兄上もまた、お前から婚礼祝いに贈られたアヤーを大切に持っている。兄上の婚礼が終われば、次は俺たちだな」
笑顔でそう言うアロイスに、ヴェンデルガルトは少し恥ずかしくなり両手で自分の頬を隠した。
「花見だなんて、生まれてからしたことがない。お前とは、いろいろな初めての経験を一緒にしたいな。ラルラ・ヴェンというお菓子を食べるのも、もちろん初めてだ」
そう言って、アロイスは皿に乗ったお菓子をヴェンデルガルトに差し出した。
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