Pendulum(ペンデュラム)
加賀倉 創作【書く精】
第一話 ぼくの視点
ぼくは今、車の助手席に乗っている。
車窓越しの空は、ほのかにネオンピンクのような濃い桃色を帯びてきている。
ダッシュボードのデジタル時計には、十六時五十一分とある。
速度メーターの針が、右に、左に振れ、往復運動を繰り返す。
自家用車にしては小さめの、青く、丸みを帯びた車。
運転は親父が。後部座席にはお母さんと、高校生の妹が座る。
ぼくの数年ぶりの帰省のタイミングでの、家族で久しぶりの外出。
何でもない、買い物である。
目的地は、いつもは行かないような大型スーパー。
車内は、会話が弾んでいるわけでもなく、特に大きなワクワクがあるわけではない。
途中、国道沿いに家族皆が好きな牛丼チェーン店を見つけ、テイクアウトしていこう、ということになった。
流れで、ぼく一人が助手席に残ることになった。
親父は、迷いもなくハザードボタンを押し、道路の脇に車を停める。即座に後ろからの車がいないかを目視で確認すると、ドアを勢いよく閉めて出て行った。後部座席のお母さんと妹は、二、三テンポ遅れて車を出る。
牛丼屋に入って行く三人をぼうっと眺める。すると不思議なことに、その光景が、ゆっくりと、左へとフレームアウトしていく。
ぼくは気づいた、車が動いていることに。
とにかく車が動くのを止めなければ、という一心で、慌ててシートベルトを外す。
少々手こずって、シフトレバーの上を跨いで、運転席側に移る。
その上、運の悪いことに、目の前には警官が二人。二人は会話に夢中になっていて、まだこちらの動きに気づいていない。
約一年ぶりの運転。ブレーキを思い切り踏み込む。
なぜか止まらない。
なるほど、そうきたか。
ぼくは次に、上がりきったように見えるサイドブレーキを、キリキリと言わせながら、無理くり引く。
やっぱりダメだ。
このままでは警官を轢いてしまう。
待てよ、警官だろう? そうだ、ぼくは今、シートベルトをしていないじゃないか。
車を止めることが第一優先事項だとはわかっているが、懸念点は消化しておきたい。すぐさま壁際のベルトを引き寄せて、かちりとはめ込む。
車は依然、動き続けている。
ダメ元で、もう一度ブレーキを、力一杯踏み込む。
車は、止まった。それも、警官に衝突する寸前で。
向こうも、よほど話に夢中になっていたのだろう。
あまりの距離の近さに驚いた彼らは、窓をコンコンと手で叩いて、開けるように促してくる。
さて、どんなことを聞かれるだろうか。「開」と書かれたボタンを押し、窓を開ける。
「どうしましたか? こんな人を轢くギリギリのところに停めちゃって。危ないよ」
「あぁ、すみません、その、実は、えっと……」
しどろもどろになる。何せパニック状態なのだから。むしろ、なんとか車を止めたことを褒めて欲しいくらいだ。
「落ち着いてくださいよ、何があったんです?」
「えー、さっきまでぼくは助手席にいたんです。家族四人で乗ってました。運転席には父が。で、三人はそこの牛丼屋にテイクアウトしに出て行ったんですが、ブレーキのかけ忘れか、故障だかわかりませんが、クリープ現象で車が動き出したんです。ぼくは慌てて運転席に移って、なんとか止めることができた、ってところですかね、あはは」
愛想笑いで誤魔化してみる。あくまで自分は被害者なのだ、とアピールして、情に訴えなければ。
「はぁ、それは大変でしたね。でもまぁ、要は路上駐車しているということですよね?」
「ええ、そうですが……五メートル以内に交差点、曲がり角、横断歩道は無いし、駐停車に関わる標識もない。それに道幅の余裕は明らかに三・五メートル以上あります。ルールは侵していないはずですよ」
「まぁまぁ、そんなに熱くならなくても。裁判じゃないんですから」
ぼくに言わせれば、その必要はあるぞ。真っ当な言い訳はしっかりするべきだ。言いがかりをつけられて、点数稼ぎに利用されてはたまらないからな。
他に何かこちらに不利な要素がないだろうか。何かあるなら、指摘される前に正しておきたい。
そこでふと、財布を家に置いてきたのを思い出す。今日は自分の買い物をする予定はないし、食費は家計から出るのだから、わざわざ持ってくる必要がないのである。
つまりは、免許証を携帯していないのだ。ぼくはいつも免許証は財布に入れる主義だから。
今、免許の確認を求められたら、非常にまずい。
アクセルはちっとも踏んでいないが、運転は運転。ぼくは今運転席に座っているのだから。
「まぁ、あまり長く停めないように、お願いしますよ」
二人は、訝しげな表情をしながらも、それ以上の追及はせず、どこかへ消えて行った。
助かった。
一息ついて、なぜ車が独りでに動いたのか、あれこれ考えてみる。
サイドブレーキのかけ忘れなら、親父が座席を離れた時点ですぐにクリープ現象が起こるはず。
なんとも奇妙だ。点検に出した方が良さそうだ。あとで親父に、いやお母さんに伝えておこう。親父はそういうのに疎いし、面倒くさがるから。
座席を深めに倒して、開いた窓を通して空を見上げる。
ピンクと紫が入り混じった、幻想的な色の空。
周囲の建物の影は、長く伸びている。
視界のフレームの外の方に、一瞬、流れ星のような光の筋が。
一つ、二つと光は流れ、尾を引きながら鉛直下向きに落ちて行く。
シートから背を離し、体を起こす。
違和感に気づく。星が、あまりに近すぎないか?
それは星などではなく、ミサイルだった。
数キロ先の小さな町が、爆風と、鈍色の煙と、柿色の炎に包まれ、消える。
着弾。また着弾。低い轟きと共に、次々と爆発が起こる。
ぼくは全てを悟った。これは戦争の始まりだ。
どこの国と? 何の目的で? そんな予兆は、日々のニュースからは感じ取れなかった。
いや、今は余計なことを考えている場合ではない。ここに着弾するのも時間の問題だろう。
周囲を見渡す。
道路沿いに地下鉄の入り口を見つける。
シートベルトを外す。
ドアを、さっき親父がドアを閉めた時よりも強い力で、勢いよく開ける。もはや後ろからの車なんて構っていられない。
一目散に、地下へと駆け込む。
階段を勢いよく下りる。
途中、家族のことを思い出し、自然と足が止まる。
踵を返し、階段を駆け上がる。
が、すぐに立ち止まる。
もう遅い。それぞれ、生き残って、あとで再会できることを願うしかない。
コンクリートの地面に、落下傘の影が見えた。
このタイミングで、何が落ちてくるんだ?
ミサイルに積まれているのが核弾頭だとしたら、そんなすぐに敵が空から降りてくるはずはない。放射線に自分も巻き込まれてしまうから。
待てよ。核ミサイルにしては、爆発が小さかった。
ということは、戦術核? 中性子爆弾だろうか?
だとしたら、破壊ではなく、侵略が目的か。
いずれにせよ、恐らく、いや間違いなく、落下傘とミサイルの送り主は同じであるように思う。何かの新兵器か、罠の類だろう。
まず、この場を生き延びる。ただひたすら、逃げるしかない。
地上はじきに、生命のいない灰色の世界になる。
もうぼくを止めるものは、何もない。引き返す理由はない。
ぼくはブレーキの壊れた車になって、階段を駆け下りた。
(第二話に続く)
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