思春期の二人

@isagiyo

第1話

思春期の二人


クソ暑い蒸れた教室の中で、教師が偉そうにもの教えてる。チョークで気持ち良さそうに黒板を叩く音が、ろくに風も運んでこない開きっぱなしの窓から来るセミの鳴き声に混ざる。汗の臭いが教室に充満して、その熱気が首の辺りに触れている。シャツを仰ぎたかったが、僕はそれが出来なかった。何故なら、クラスを埋めつくしている僕と同じように白いワイシャツを着た同級生達の中には、一人もシャツを仰いでいる人が居ないからだ。その事実が僕を強ばらせて、シャツの襟に掛けた手がどうしても動かなかった。

ああ、暑い。そのせいか無性にムカつく。怒鳴り声に近い声量で授業するあの澄まし顔の教師をぶん殴りたい。見たところ四十代くらいのアイツは、高校生のガキを相手にするのが生き甲斐なんだろうか。そして、その授業を何となしに聞いてるコイツらもそうだ。隣の席の女子がカツカツとシャーペンで一心不乱に書き込む音が、頭の中まで響いて僕を苛立たせた。うるさい、うるさい。自然と貧乏ゆすりをして僕は、目線だけ動かして教室を見渡した。真夏の日光が照りつけている窓の外に比べて、室内はやけに暗く思えた。校舎はかなり古く、空調設備も無いその教室はレトロな感じがする。窓から時々吹くそよ風に揺られた白いカーテンの吐き出す光が、木の板をはめ込んだ床を眩く照らした。僕の席は教室の丁度ど真ん中で、周りで時々身動ぎをしたりして蠢くクラスメイトが気になり、教室がひどく窮屈に感じられた。教室にあらゆる視線が張り巡らされて、それにがんじがらめにされている様な感覚だ。そうなると僕はいよいよムズムズして来る。前の方に座っている人の気にならないように音を立てずノートを開く。後ろの方に座っている生徒に変に思われないようじっと座ってる。そうした気遣いの義務が僕の呼吸を苦しくするのだ。貧乏ゆすりを止めようとしたけれど、そうするといよいよ頭の中が不安と緊張とでグルグル回ってパニックを起こしそうになる。苦しい、苦しい。

チョークの音、セミの鳴き声、シャーペンの音、後ろから聞こえるヒソヒソ話、廊下を通る大人の話し声。どこかで車が通った。その後工事現場から怒鳴り声。誰かが床にペンを落とす、先生の声が一瞬止む。

僕は深呼吸して心を落ち着けようと試みた。目を瞑って、まずは背中に感じる刺すような視線に意識を集中させた。

(大丈夫、誰も見ちゃいない。誰も変に思っていない。というか、変に思われたら何なんだ。何も心配は要らないじゃないか。そうだ、大丈夫)背中の強ばった筋肉が徐々に緩まっているのを感じて、幾分か冷静になった。あちこちに飛散した意識が頭の中に戻ってきて、机の上に置いてある教科書の内容も読めるようになった。その次に雑音から耳を塞いだ。耳にあてがった掌からは、ゴロゴロという血流の音が聞こえてきた。自然と瞼が重くなってきて、明るく透けた瞼の裏の血色を見ながら、意識が自分の中に完全に溶け込んだのを感じた。

鮮明になった意識で耳から掌を離すと、雑音は無機質でなんて事ないものになっていた。教師の授業や生徒の話し声はどこか遠くに感じて、風に揺られて外の葉っぱが擦れ合う音や、扇風機のたまに吹きつける風が耳を撫でる音がやけに大きく聞こえる。こうなったらもう大丈夫、隣でシャーペンの音を立ててた女子が僕を不審に思って見ているけれど、気にならない。貧乏ゆすりも止んで気分が少し良くなったが、それでもしばらくしたら張り詰めた空気に息が詰まるだろう。授業は残り十分、早く終われ。そう願いながら僕は、何故自分がこんな下らない授業を大人しく聞いていなければならないのかと思い至って、再び腹が立ってきた。どうしてこんな奴らと同じ様に黙って席に座って、一人で不安と闘いながら、馬鹿みたいに耳を塞がなきゃならないんだ。何で僕だけこんな目に会わなくちゃいけないんだ。


耐え兼ねた僕は、突然机の上に立ってこう叫ぶんだ。

「こんなのやっても何の意味もないだろ、皆!!こんな環境で勉強なんて出来たもんじゃない。何考えてるかも分かんない他人が、アリの巣みたいに教室に詰め込まれて、本当に気持ち悪い!」そうすると、爽やかな風が勢いよく吹いて、気がついたらそこには誰も居なくなってる。そして僕は気づく。僕は最初からこの世界に一人で、今までのは全部悪い夢だったんだと。不思議と寂しくもなくて、幸せは身近にあっていいんだと思える。季節だけが巡る心地よい世界がそこからは広がってる。春の夜の香りが良い風、夏の朝の静かな湿気、秋の夕暮れの寂しいそよ風、冬の昼の澄んだ日光、それだけが繰り返す。そうして悪夢に打ち勝った僕は今真夏のアスファルトを走り抜けるんだ。


そんな事を考えて時計を見たら、まだ五分しか経ってなかった。授業時間はあと五分。夢から覚めたような心地で、相変わらずチョークを黒板に叩きつけている教師にガッカリした。セミの鳴き声は相変わらず響いていて、なんだかこの授業が永遠に続く気がしてきた。そうなるとまた不安感が胸の内から湧き上がってきて、足がムズムズしてきた。あの気持ちの悪い妄想が、僕の後頭部にそのまま映って、後ろの席の人に見られていないだろうか。あるいは、あの間ブツブツと何か独り言を言ってしまっていたかもしれない。訳の分からない心配事が僕を取り巻いて、また教室の全員が僕を見ている気がしてきた。教師の声が大きくなってきて、誰かがページをめくる音や、咳払い、後ろから聞こえるヒソヒソ話。人が放つ音が全て自分への悪意のように思われて、身動き一つ出来なくなった。自分の息遣いが周りに響くのが怖くて、苦しくなった肺を無理やり押さえつけるみたいにゆっくりと口呼吸をした。しかし、息を吸えば吸うほど苦しくなり、不安と緊張と恐怖が、僕の頭の中を支配した。全身の毛穴からどっと冷たい汗が噴き出すのを感じた。身動きが出来ない、音も立てれない、息が出来ない。苦しい、死ぬ、死ぬ、死ぬ!

チャイムが鳴った瞬間僕は大きく息を吸い込んだ。号令をかけられて生徒達が椅子をガラガラとひく雑音に紛れて、やっと息が思い切り出来た。騒々しい教室では皆友達と話していて視線がこちらを向いていないので、僕はようやく安心した心持ちでしばらく立ち尽くしていた。

「よお!タクヤ!!」右肩に手を置いて話しかけて来たそいつは、無神経な大声でそう言ってきた。

「疲れた」僕が独り言の様にそう言うと、テツヤはキョトンとした顔をしたまま続けた。

「今日こそ家でゲームしようぜ」

「嫌だ」

「なんだよ」彼の髪はボサボサだが繊細そうな柔らかいな茶髪で、彼が首を傾げるとふわりとそのカーブがかかったてっぺんの部分が揺れた。黒縁の四角い眼鏡をかけていて、子供っぽいのっぺりとした鼻が目立った。唇は皮が剥けて、彼は何か言う度にいつもそれを舐めるので、見ていて痛々しかった。僕はテツヤを無視して教室を出た。薄暗い蛍光灯の灯ったそこはヒンヤリとした空気が気持ち良かった。

「どこいくんだよ」テツヤがついてきた。

「帰る」

「何で」

「つまんないから」そう嘘をついて僕は足を速めたが、テツヤはまだ着いてくる。

「じゃあ俺もサボろっかなー」そう言って着いてくるテツヤを、廊下の向こうから歩いてくる男子生徒達がニヤニヤ笑いながら見ていた。僕はテツヤを無視して無関係を装った。

「おいテツヤ、タクヤ君に無視されてんぞー」そう言ってテツヤをからかうと、テツヤは何も分からずにヘラヘラして、その男子に近寄った。

「うわ、来んなよ気持ち悪いっ!」男子の一人がそう言うと、どっと笑いが起きた。テツヤは固まった笑みを貼り付けながら足を踏み鳴らして、玩具のように単調に肩を左右に揺らしていた。その様子が彼の白痴ぶりをよく表していて、見ていて気色が悪かった。僕はさらに足を速めて歩いた。

保健室に着くと先生がダルそうな目で僕を見た。

「また早退?」

「すみません」僕は自分より身長の低いその先生に、頭を下げて上目遣いで謝った。僕は早退届を記入して提出し、既に授業が始まっている教室に戻った。しんと静まり返った教室に僕が扉を開ける音が響くと、皆が一斉にこちらを向いた。僕は急ぎ足で自分の席にある荷物を取って、廊下に出ようとした。その時ふとテツヤの席を見ると、彼が居なかった。先程からかってきた男子達にどこかでいじめられているのだろうか。あるいは、本当に僕と一緒に早退するつもりだったのだろうか。まあ、あんな奴どうでもいいけど。そうだ、どうでもいい。アイツがいじめられてるのは自業自得だし、僕があの場で何が出来た訳でも無い。僕のせいじゃない。本来なら感じずに良い罪悪感の言い訳を探す代わりに、テツヤの事なんて全く気にもとめずに授業を受けるクラスメイトを僕は軽蔑した。つまんなそうに頬杖をついていたり、遠くにいる友達に目配せをしてニヤニヤしたり、まるでテツヤが、あるいは僕がそこには最初から居なかったみたいに普段通りなので、えもいえぬ屈辱感が僕の顔を熱くした。


以前テツヤが、丁度今先生が授業している黒板の真ん中の辺りで、頭を教壇に押し付けられていた。五、六人の男子達が笑ってはやし立てて、何も分からずにただ遊んでもらっていると思い込んでいるテツヤは、教壇に押し付けられて潰れた頬を歪めて無理して笑っていた。

「眼鏡が当たって痛い!もうちょっと力弱めて」

「ああ、力弱める?おっけ。じゃあゲンキいったれ!!」一人がそういうと、ガタイの良いゲンキという男子が前に出てテツヤの頭を、体重をかけて全力で押し付けた。

「痛い、マジで痛い!!止めて」それでも笑いながらテツヤがそう叫んだが、やがて諦めてヘラヘラ笑うだけになった。やけに静かなその教室で、小刻みに起こる悪意のこもった短い笑い声と、教壇にテツヤの頭がぶつかる鈍い音と、テツヤの機械的な笑い声だけが、無機質に響いた。誰もテツヤを助けようとしなかった。戸惑いながらも見て見ぬふりする奴、何事も無い様に振舞う奴、次の標的にされない様にいじめっ子と一緒になって笑う奴。どいつもこいつも自分の事ばっかで、その癖自分の意見もろくに無いんだ。だから今もこうやって馬鹿みたいにボーッと授業を受けてる。誰もテツヤを助けようとしなかった。


まあ、それは僕も同じだけど。でも、僕はクラスの奴らとは違う。僕はそれが正しいとは思ってない。テツヤのいじめを一緒になって笑うなんて事は決してしない、決して止めないけど。僕は自分の意見を持ってる。皆みたいに周りに流されたりは決してしない、決して人に意見したりはしないけど。でも、僕は抗ってる、だから今から学校をサボるんだ。僕は間違ってない、僕は正しい、これで良い。そもそもあのいじめは僕にはどうにも出来ないんだ。少なくとも僕は今平然と授業を受けてるコイツらとは違うんだ、僕は特別なんだ。僕のせいじゃない、僕には関係無い、知らない、知らない。僕は逃げてない。

自分で自分の言い訳にムカついて、荷物を取った後つい教室の扉を勢いよく閉めてしまった。扉が大きな音を立てるのを自分で聞きながらびっくりして振り返ると、扉の小窓越しにこちらを見るいくつもの顔があった。僕はゾッとして逃げる様に廊下を駆け出した。何で僕があんな奴らに怖がらなきゃいけないんだ。一人一人確認したらきっと、一人の人間にも満たないような中身の無い人形みたいなものだ。その癖、それが誰かの机を囲って集まると、そうやって自分達が真の人間だという風に立ち振る舞わられると、僕の方がおかしいんじゃないかと思えてくる。

昇降口に着くと、僕のクラスの下駄箱にテツヤが寄りかかって立っていた。そしてこちらに気づくと、屈託のない笑みを顔に広げて駆け寄ってくる。

「おい、俺も早退できたよ、一緒に帰ろう!」僕はその危うい笑顔に胸を痛めて、しばらく立ち尽くしてしまった。

「なんだよそれ、お前一人で帰れば良いだろ。」

「でもタクヤも一人で帰るのは寂しいだろ?」

「別に」僕が自分の靴をとって履き始めると、テツヤも同じ様に靴を履き始めた。汚れの目立つ白いスニーカーはサイズが合っていないのか、履くのに苦労しそうだった。

「寂しくないの?」

「寂しくないよ」僕は立ち上がって昇降口の扉を思い切り開いた。

「何で寂しくないの?」テツヤが僕を真似てドンとつっぱる様に扉を押し開けた。

「寂しいからアイツらと仲良くしてんのかよ?」

「アイツらって誰?ゲンキ達の事?」

「何であんな奴らと仲良くなろうとしてんだよ。つるんでたら馬鹿が伝染るだろ。まあ、お前はその心配いらないか」真夏の昼下がりの陽射しがジンジンと肌に染みて、背中の毛穴から冷たい汗が噴き出すのを感じた。

「なんで俺はその心配いらないんだよ?」

「なんでもない」

「なんでもないって何がなんでもないの?」

「うるさい」

「ごめん」テツヤと話していると、不思議と胸が軽くなった。僕の抱えていたつまらない悩み事が、湿気を帯びた青臭い夏の空気に溶けて消えてく様だった。それと同時に、彼を見捨てておいてそうした恩恵を、彼自身から受けている自分が憎たらしく思った。

「こっちこそごめん」少し間を置いて僕が言う。

「何が?」

「別に。言っても分かんないよお前は」

「なんだよそれ。ていうか、お前なんでマジで早退したんだよ」

「皆頭がおかしいから。楽しくない」

「そうかな、俺は結構楽しく遊べてるけど」

「お前が皆としてるその遊びが気持ち悪いんだよ」

「なんで?」

「そこには人間がいないんだ」

「いるよ」

「いない。いるのは玩具と、それで楽しむゾンビだ。」

「玩具もゾンビもいないよ」

「皆嫌いだ」

「俺も?」

「お前は普通くらい」

「そっか」


そこからはただ二人で歩いた。テツヤは僕が家まで帰るのを見届けてから自分の家に帰るつもりだったのだろうが、僕は家に帰るつもりなんて無かった。ここでは教室の中の、秒針とチャイムで刻まれる窮屈なものとは違って、自由で穏やかな時間が流れていた。日に照らされた住宅がゆっくりと僕らを横切っていくのが段々と背景と化して、意味の持たないぼんやりとした飛蚊症の様なものに思えてきた。地面を踏みしめるリズムと、呼吸のリズム、テツヤも同じようにリズムを刻む。そして遠くから聞こえる車の音、飛行機の音、鳥のさえずり。心地の良い音が重なって静かな世界を奏でた。

息の詰まる日常から解放される心地だった。悪意に触れまいと閉ざしていた意識が思い切り弾けて、知覚する全てが心地よかった。眩い陽射し、撫でる熱気、香る雑草、世界と自分の意識が繋がる感覚だった。そして繋がった意識を通じてか、走馬灯のような僕の中の夏の印象が、不思議と頭を駆け抜けた。乾いた都会の六畳間、湿った土はカブトムシの匂い。枝と小鳥と透ける葉っぱ、日光で熱くなった鉄棒は何故かきな臭い。


「おい、話聞いてんのかよ」テツヤがそう呼びかけて僕はハッとした。

「なんだよ、せっかく人が季節を感じてるのに。邪魔すんなよ。」

「季節を感じるってなんだよ」こうして会話をしていると、僕らがなんて事ない普通の友達の様に思えてきた。僕のひねくれた繊細さも、テツヤの優しい白痴も、気が遠くなる程大きな入道雲の下では、どうでも良い事の様に思われた。

「こうしてると僕達普通の人みたいだな」

「普通の人ってなんだよ」

「お前には言っても分かんないよ」

「俺達も普通の人だろ」しかめ面でテツヤが反駁してきた。

「違うよ」

「何が違うんだよ」

「教室に居られない奴が普通な訳ないだろ」

「俺はお前がサボるって言うからついてきたんだよ。俺は別にあのまま教室でゲンキ達と遊んでたぜ」

「だからアイツら友達じゃないから」

「確かにお前とは友達じゃないな」

「いやお前とも友達じゃねぇんだって」

「お前ともってどういう事?お前がって事?」

「違うお前だよ」

「どっち?」

「もういいよイライラしてきた」

「でも友達って何なんだろうな。線引きが難しいよな」珍しくテツヤが深い事を言うので、僕は彼の方に顔を向けた。

「タクヤは確実に友達って言えるけど、たまに教室に俺と遊びに来る奴らはそこまで仲良くないし。距離感はお前より近くて叩いたりしてくるけど、それでもお前より仲が良いとは言えないよな。」

「あんま僕と仲が良いって学校で言うなよ」

「なんで?」

「なんか、照れるからだよ」僕はそう嘘をついたつもりだったが、自分の顔が熱くなっているのを感じて、それが半分本心でもあるのだと思った。

そうだ、僕は今、本心を言ったんだ。確かにテツヤがいじめられているのは事実で、僕はそれに巻き込まれたくない。それにテツヤを気味悪がっているのは僕だって同じだ。今もニヤニヤ笑ってはいる彼が何を考えているのか分からない。でも、僕が彼に救われているのも事実だ。彼がいなかったら、僕はいよいよ学校に行かなくなっていたかもしれない。皆からいじめられて馬鹿にされてるテツヤが、僕の事を見つけてくれた。

「お前は馬鹿だからいじめられるんだよ」わざわざこんな事を言ってもテツヤを傷つけるだけかもしれないが、そんなことどうでも良かった。

「え?」

「皆お前が馬鹿だから、どうせ何しても分からないと思って、玩具みたいに扱うんだ」

「俺いじめられてねぇよ」

「でも、馬鹿なだけじゃないのも知ってる」

「その馬鹿って言うのやめてくんない?」

「馬鹿なだけじゃないんだ。それは別の、クラスの馬鹿共も一緒だって事も、本当は知ってる。」ある一人のクラスメイトが人気の居ない廊下で、テツヤのいじめについて先生に相談している所を、たまたま見かけた時の事を思い出した。僕は、クラスの奴らを見下しながらも、テツヤの為に行動した事なんて無かった。

「アイツは僕より馬鹿で、アイツは僕より力が強くて、アイツは僕より友達が多い。僕が人を見る時に考えるのはそのくらいだ。それだけみて個性の無い人形みたいな奴だと決めつける自分が、結局一番個性の無い、つまらない人間なんだって事も、本当は知ってる。見下すだけなら誰でも出来る。そうやって壁を作るのは簡単なんだ。」

「何の話してんの?どうした?」僕が何を話しているのか分からず、テツヤは不安そうに僕に呼びかけた。今まで抑えていた本心が溢れるのと一緒に、涙が滲んできた。

「お前をいじめる奴らも、いじめっ子ってレッテルを貼って、悪者扱いして終わりにするのが間違えてるのも知ってる。僕らのクラスには、人間がいるんだ。何人も。先生も人間だ。皆自分の頭で考えて、悩んで、生きてる。」以前テツヤをいじめている男子の一人が、僕と仲良くなろうと話しかけてきてくれた時の事を思い出した。

「でも、それを全部理解するのは難しくて、だから」言葉に詰まってしばらく黙ってしまった。頬をつたった涙が首筋の汗と混ざる。

「え、泣いてる?大丈夫かよお前」テツヤは戸惑って歩みを止めたが、僕が歩き続けるので急いで追いついてきた。

「だから、なるべく誰とも関わらないようにして、全部の責任から逃げてた。自分は人とは違うんだって、そう言い聞かせて、周りの奴らは何も考えずに生きてるんだって、人間は自分だけだって信じてた。

だからお前が、馬鹿な癖に、皆から嫌われてる癖に、それでも現実と向き合ってるのがムカついた。寂しいなんて弱音吐いてないで、一人で生きれば良いのにって思ってた。僕みたいに殻にこもって、傷つかない様にすれば良いのにって。」

「ねえ、本当に何の話してるか分かんないんだけど」

「お前を見習いたいんだよ」

「え、俺を?」テツヤが戸惑って、少し嬉しそうに言った。胸の内に溜まっていたものを全て出し切って、体が軽くなった。高揚感で足取りが速くなって、テツヤが負けじとついてきた。

「ねえ、お前さっきから僕が家帰ってると思ってるっしょ」

「違うの?」

「二時間かけて登校する奴いねえだろ」

「確かに、今どこ歩いてんの?」

「別に、ずっとブラブラ歩いてた」坂道を登りきった僕らは振り返って、先程歩いてきた住宅街を見下ろした。


「ここがタクヤの家か。思ったより普通なんだな」

「どういう意味だよ」家に着く頃にはもうすっかり日が暮れて、電柱がアスファルトに影を伸ばしていた。

「じゃ、また明日」

「え?あ、おう!」テツヤは何故か少し戸惑って返事をして、それから手を振って自分の帰路についた。

蒸し暑い自室に入ると疲れがどっと出てきて、制服のままベッドに倒れ込んだ。舞ったホコリが夕陽に照らされてキラキラした。それをぼんやり眺めながら今日を思い出して、心地の良い寂しさに浸った。自分は今日も日常に耐えて生き延びたのだと思うと、安堵と誇らしさが胸に広がった。

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