スキンシップが多すぎる僕の推しは可愛い。

馴鹿谷々

最悪で最高のクリスマス

 朝。あまり好きではない、スマートフォンのアラームの音が聞こえる。1人暮らしの寂しい部屋に繰り返し響く電子音は、眠りの世界に入っていた僕の脳を刺激した。寝ぼけ眼を擦りながら液晶画面に表示されている時刻を確認すると、6時30分。クリスマスだ。僕にとってはなんの変わりもない1日だ。


決して広いとは言えないアパートの洗面台へと向かう。顔を冬の冷水で洗い流し、まだ眠っている体と脳を叩き起こす。テレビのあるリビングへと向かい、毎朝の日課で飲んでいるコーヒーを淹れる。本当は朝にコーヒーを飲むのはあまりよろしくないらしいが、まぁいいだろう。


そしてこれまた日課の朝のニュース番組を見る。この時間だと大きなニュースはやっていなくて、なんとなくでみていることがほとんどなのだが、テレビの右上の方に赤地に白い字で、

「速報」

と写っていた。僕はこの時間に起きてこの文字を見たのは初めてだ。

「速報です。人気アイドル、林れんりさんが、所属アイドル事務所を退所し、アイドル活動を無期限休止することを発表しました。」


アナウンサーが発したその声は、正しい日本語であるはずなのに、どこか間違ったように聞こえた。僕の推しが……無期限活動休止? 


────それは僕の、最悪のクリスマスの始まりだった。


朝から気分はどん底。入学から2年が経とうとしている今でも先生方に名前を覚えられていないほど存在感がない僕の唯一の希望だったれんりちゃんが、活動休止をした……朝のニュースを思い出してはひどい頭痛が起こるというのを家から100回以上繰り返している。今日の授業は全く頭に入ってこなかった。


大切なものがなくなってしまう悲しみというのは、誰しもが経験することだと思うけど、本当に生きる希望がなくなってしまうような悲しみというのは、こうも突然にやってきてしまうんだと、痛感する。


『おいおい、どうしたんだよ、そんな辛気臭い顔して。放心状態か?』


漫画や小説なんかだと、こんな感じで『たった1人の親友』的なキャラが出てきたりするんだろうが、僕にそんなものはいない。僕は正真正銘のぼっちだ。


そもそも、『たった1人の親友』がいるんなら、ぼっちじゃないじゃないか。

その親友をもっと大切にしてやれよ。と僕は思う。


なんて考えてたら、いつの間にか授業も終わり、クラスメイトがぞろぞろと教室を出ていく。今日の天気は僕と、そのほかのれんり推しの心境を表したかのように薄暗い雨だ。せっかくのクリスマスなのにね。


普通のサイズのバッグから、少し大きめの黒い折り畳み傘を取り出す。冬の雨は冷たい。風邪を引いたら大変だ。僕は外まで出ると、急いで帰路に着く。


僕のアパートがあるのは学校から徒歩30分のところだ。電車通学をした方が早いが、アルバイトをしながら暮らしているので、節約しなければならない。


傘をさしていながらも、靴下やズボンの裾が濡れる。冷たい雨水が足に当たって気持ちが悪い。元気がない時って、雨にも嫌気がさしてくるんだよな……


閑静な住宅街を通る。ここら辺は駅も近く、緑も多い。車がギリギリ通れるくらいの道を歩きながら、周りを見渡す。折り畳み傘に大きめの雨粒が当たり、ボツボツと音がなっている。僕はこの音が好きだ。


今歩いている住宅街を西へ進むと学校の最寄り駅の隣の駅に着く。普段はこの道を通らずにまっすぐ帰るが、この天気で気分も良くないので、ルートを変えて少しでも気晴らしにしてみよう。


駅側の道へ向かうと、道路が太くなる。車通りは少ないが、順調に駅へ近づいている証拠だろう。すると、何かに靴先が何かに当たった感触がして、足元を確認すると、綺麗なブレスレットのようなものが落ちていた。


全体がシルバーで、真ん中には美しい青色の輝きを放つ宝石が埋め込んである。

なぜこんな物が落ちているんだろうか。どこかでみたことがある気がする。

でも誰かの落とし物だろうから、交番に届けようか。こんな雨の中交番に向かうのは少し気が進まなかったが、本人がきっとすごく大切にしているもののはずだから、そうしようと思った。


人の気配がしてふと右側をみると、大きな公園があった。

雨の強い冬に人なんかいるわけない。なんて思っていたけど、そこには人がいた。

小柄な女性だ。傘もさしていない。少し遠いので顔までは見えないが、この冬の雨の中でびしょ濡れでは、危険だ。そう思っていると、どさっ。と、女性が倒れた。まずい! 僕は考えるよりも先に、公園の中へ入って行った。


倒れた女性は、僕と同年代ぐらいだろうか。高校のだろうか、セーラー服のようなものを着ている。目が水で霞んでよく見えないが、どこかれんりちゃんに似ている。とにかく、しょうがないから僕のアパートで応急処置をしよう。


女性をおぶりながら家に帰ってきてすぐ、ベッドを消臭、除菌し女性を寝かせた。

すごい熱だったので、頑張って風邪薬を飲んでもらい、冷却シートを貼った。

その後改めて顔を見ると彼女は、今朝引退発表をした……


────僕の推しのアイドル「林れんり」だった。


ファン歴3、4年の眼は騙されない。間違いなくこの子はれんりちゃんだ。

僕は今、れんりちゃんと一つ屋根の下にいる。 ? ! !??!?

れんりちゃんがすぐそばにいる!?!?!?!?!?!?!?


まずいパニックが抑えられない。今すぐに抱きつきたいくらい可愛いが、彼女は病人だし、何より、彼女を傷つけてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない! 一れんりちゃん推しとして。


ならば今僕がしなければならないことはなんだ? れんりちゃんが起きた時にキモがられたり、怖がられたりしないことだ。そのために、僕は普通の人間で、悪意や他意がないと説明しなければならない。


どうすれば、どうすればいいんだ!?


「起きたかい? よかった。いや、僕は君が倒れていたから助けただけサ⭐︎」


今世紀最大のキモボだぁ……絶対にキモがられる……

練習をしてみるが久しく人と話していないので会話の方法を忘れている。

早く、彼女が起きてくる前に練習しないと……


────数時間後


「う〜ん……」

れんりちゃんが起きた。のか?

あれから、何時間かつきっきりだったが、全く苦痛は感じなかった。

推しのアイドルをリアルでこんな近くで見る機会なんてあるだろうか。キモいと思うかもしれないが、これはしょうがない。うん。


「えっ? ここは……」

起きた! 声もかぁいい……はっ、数時間の練習の成果を見せないと!

「れんっ、あ、お、起きましたか? あ、ごめんなさい。 あ、あの僕は怪しい人じゃないので安心シテクダサイ」


いや怪しい人感マシマシ〜! 我ながら陰キャすぎるだろ……

色々厄介なので、れんりちゃん推しのことを隠そうとしていたが、初っ端からボロが出てしまった。


「あ、あの、体調が悪そうで、倒れてたんで、その、応急処置しないとなぁ……

と思いまし、て……」


そこでれんりちゃんは初めて、自分のおでこに貼られた冷却シートに気づく。

そして、体調が悪いとは思えないような声で、

「助けてくれたんですか!? ありがとうございます!」

とお礼を言われた。満面の笑みで。ヴっ……笑顔が、笑顔が致死量です……


「無事でよかった、です。」

「もしかして、薬を飲ましてくれたのも貴方ですか? ありがとうございます」

頭の中で『あなた』と言う単語が『貴方』に勝手に変換された。このお花畑脳。

「お名前聞いてもいいですか? 私は榑林凛くればやしりんです!」

「あ、僕は、絹張孝一きぬばりこういちです」

榑林? 林じゃないのか? 僕の思い違い?


「あの、私はどうすれば……?」

「あ、そうですよね、もう夜遅くなんですけど、まだ体調も回復してないみたいですし、雨もまだ強いので、本当に、本当に他意はないんですが、泊まっていかれた方がいいかと……」


時計は23時を指している。都会ではないここら辺には、病院がない。診療所という形ではあるが、22時に閉まるし、ここから歩いていくと1時間はかかる。

なぜ連れて帰る前にその案が出てこなかったのだろうか。


「ここに泊めていただけるんですか!? ありがとうございます!

えへへ、さっきからありがとうばっかりですね。ごめんなさい。」


あぁ本当に可愛い。

しかしこの子には警戒心というものがないんだろうか。危なっかしいな。

「ところで、孝一さんはおいくつなんですか?」

「あ、僕は高二で17歳です。」

「え!? 私と同じじゃないですか!」

存じ上げておりますよ当たり前じゃないですか。

17歳、5月28日生まれ双子座、血液型A、身長160cm、体重はヒミツ

公式プロフィールにある文言を何度読んだものか。

「そ、そうなんですね。」

「せっかくなんですし、タメ口で話したらだめですかね、えへへ。」

「あ、あの、れんっ、榑林さんがよければ……」

「ありがとう! 孝一くん!」

適応はやっ。てかいきなり孝一くん呼びは刺さる。無意識で攻撃しすぎだよな。

明日になったらすぐに帰ってもらわないと。僕の心臓がもたない。幸い明日は土曜日だ。学校がないから、駅まで送ることができる。

「孝一くんもタメ口でお願い! そっちの方が気楽なんだ〜」

「あ、うん、わかった。頑張ってみる。」

「ありがとう!」

「じゃあ、榑林さんは僕のベッドで寝て。僕は適当にそこらへんで寝てる。

本当に何もしないから安心して、ね。」

「大丈夫。私、人を見る目結構ある方だから、孝一くんがすっごく優しい人なのはよくわかってるよ。」

ヴっ、なんなんだこの子はぁぁ……

これを狙って行ってるんじゃないのが一番怖い。

「でも、孝一くんは床でいいの?」

「いやいや、流石に病人を床に寝させるわけにはいかないで、しょう?」

「ありがとう。ほんとに優しいんだね。っていうか、さっきから敬語が頭出してるよ?」

そう言いながら彼女はくすくす笑う。

ベッドで上半身だけを起こしながら、手で壁をつかんでいるようなジェスチャーをし、ひょこっと出て来ている仕草を真似する姿は言葉で表現できないほど愛くるしかった。今日は尊ニウム過剰摂取しすぎたのでもう大丈夫です。


改めてれんりちゃんの顔を見る。

大きくて綺麗な形をした二重と目。少し茶色がかったのロングヘアーとよく合う明るい瞳の色だ。口元は口紅を塗っていなくても綺麗で自然に赤く、可愛い。

とにかく綺麗で、綺麗で、すごく綺麗だ(小並感)

そうして、10秒ほどの間、ずっとれんりちゃんを見つめ続けてしまった。


「孝一くん? そんなにみられたら恥ずかしいよ?」


大食いをした後にメインディッシュを運ばれてきたような感覚に陥る。


「ご、ごめん。とにかく、今日はゆっくり休んでね、おやすみ。」


早口で弾幕をはり、危険地帯から出る。本音を言うともう少しれんりちゃんと話していたかったが、僕の理性の崩壊の音が聞こえそうだったので逃げてきてしまった。あしたになれば、彼女とは話せなくなる。でも、それでいいんだ。

僕は本来のファンなら絶対に体験できないようなことを体験できたんだ。

それで、いい。サンタさんからの最高のプレゼントだったな。ありがとう。


そうして、僕の、最悪で、最高のクリスマスが終わった。


────はずだった。











 


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スキンシップが多すぎる僕の推しは可愛い。 馴鹿谷々 @NajikaYaya

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