嘘から始まる春
藤澤勇樹
第1話 予期せぬ出会い
朝日が窓から差し込み、目覚まし時計のアラームが鳴り響く中、悠介はゆっくりと目を覚ました。34歳のフリーランスライターである彼は、いつもと変わらない一日の始まりを迎えていた。
「今日は4月1日か…」
悠介はぼんやりと呟きながら、ベッドから体を起こした。
キッチンに向かい、コーヒーを淹れる。香ばしい香りが部屋中に広がる中、彼はパソコンの前に座った。メールをチェックすると、いくつかの仕事の依頼と、友人たちからの些細な近況報告が目に留まる。
「エイプリルフールか…」
悠介は小さく笑みを浮かべた。彼はこの日が苦手ではなかったが、かといって特別好きというわけでもない。ただの、平凡な日常の一コマに過ぎないのだ。
性格は真面目で物静か、しかし心の中では鋭い観察眼を持っている。彼の書く文章は洞察に富み、依頼主からの評価も高い。
仕事を始めようとした、その時。1通の奇妙なメールが目に飛び込んできた。
◇ 予期せぬ出会い
件名に「エイプリルフール」と書かれた友人からのメールを開くと、そこには「今日から俺、宇宙飛行士になることにしたわ」といういたずらのような一文が記されていた。悠介は思わず吹き出しながら、適当な返信を書こうとする。
「はいはい、冗談は顔だけにしてくださいよ」
メールアドレスを入力して送信ボタンを押した瞬間、悠介は宛先が友人ではなく、見知らぬアドレスになっていることに気が付いた。慌てて送信を取り消そうとするが、時すでに遅し。メールは見知らぬ誰かへと送られてしまった。
「しまった...」
悠介は溜息をつきながら、誤送信先へ謝罪のメールを書こうとした、そのとき。返信があった。差出人の名前は、佐々木美咲。聞いたことのない名前だった。
「エイプリルフールのメッセージ、面白いですね。私も宇宙飛行士になりたいな。」
そんな内容の、明るく楽しげな返信だった。悠介は戸惑いながらも、思わずその返信に心惹かれていた。美咲と名乗る女性は一体どんな人物なのだろう。好奇心が次第に芽生えてくる。
「すみません、先ほどのメールは間違いで送ってしまったものです。でも、宇宙飛行士になりたいなんて、素敵な夢ですね。」
悠介はそう返信をし、美咲からの返事を待つことにした。ほんの偶然の出会いだったが、彼の平凡な日常に、予期せぬ変化の兆しが見え始めていた。
◇ 嘘の共有
美咲からの返信は、悠介の期待を裏切らないものだった。
「間違いメールだったんですね。でも、気にしてないですよ。宇宙飛行士になるのは私の夢なんです。子供の頃からずっと憧れていて...。今はまだ叶っていませんけど、いつか必ず実現させたいと思っています。」
そんな内容の、夢に満ちた返信が届いた。悠介は思わず微笑んでしまう。しかし同時に、これはエイプリルフールの嘘なのだろうか、という疑問もよぎった。
「それは素晴らしい夢だと思います。でも、今日はエイプリルフールですから...。本当のことを言っているのかどうか、正直わかりませんね。」
悠介はそう正直な気持ちを返信した。すると、美咲からはすぐに返事が届いた。
「あなたは疑り深いのですね。でも、それもそのはず。今日は嘘をつき合う日ですから。私も本当のことを言っているのか、自信がありません。」
美咲の返信に、悠介は思わず吹き出してしまう。彼女のユーモアのセンスに、気が合うような気がした。
「じゃあ、今日は思い切り嘘をつき合いましょうか。宇宙飛行士になる方法、私なりに考えてみますね。」
「ぜひお願いします。私も、宇宙食の新メニューを提案してみますね。」
そんなやり取りが、エイプリルフールの一日中続いた。現実と非現実の境界線が曖昧になる中で、二人の間には不思議な連帯感が芽生え始めていた。嘘から始まったやり取りが、いつしか本当の気持ちを通わせ始めているようだった。
◇ 相互の興味
エイプリルフールが過ぎ去った後も、悠介と美咲のメールのやり取りは続いていた。最初は冗談めかしたやり取りが多かったが、徐々にお互いの日常や考え方、感じ方などを打ち明けるようになっていく。
「今日は締め切りに追われて、一日中部屋に閉じこもっていました。外の空気を吸いたいですね。」
そんな悠介のメールに、美咲は共感するように返信をしてくる。
「私も仕事で忙しい毎日を送っています。でも、時々は自分へのご褒美が必要だと思うんです。小さな幸せを見つける努力を。」
美咲の言葉に、悠介は心の中で深く頷いた。彼女の感性や価値観に、強く惹かれるものを感じていた。
メールを通して知る美咲は、仕事に誇りを持ち、日々の生活を大切にしている。その一方で、人生の意味や目的についてよく考える、深く繊細な心の持ち主でもあることがわかってきた。
「美咲さんと話していると、不思議と心が安らぐんです。こんなに気の合う人に出会ったのは、初めてかもしれません。」
悠介はそんな本音を、思わずメールに書いてしまう。
「私も同じように感じていました。悠介さんは、私の考えを理解してくれる唯一の存在です。」
美咲の返信を読んだ悠介の胸に、温かいものが広がっていく。エイプリルフールの嘘から始まったやり取りが、いつしか本当の心の交流になっていた。二人の興味は、日に日に深まっていく。
◇ 現実とのギャップ
美咲との日々のメールは、悠介にとってかけがえのない時間になっていた。しかし、ある日の彼女からのメッセージを読んで、悠介は思わず眉をひそめる。
「今日は宇宙飛行士の訓練があって、大変だったわ。無重力状態での作業は、思ったより難しいのね。」
宇宙飛行士の訓練?!
現実には、まだ美咲はそこまで夢を実現できていないはずだ。悠介は、彼女の言葉が冗談なのか本気なのか、判断に迷ってしまう。
「美咲さん、その訓練というのは、どういったものなのでしょうか?具体的に教えてもらえませんか?」
率直な疑問をメールすると、美咲からは意外な返信が届いた。
「秘密の訓練だから詳しくは言えないのよ。でも、本当に大変なのは確かよ。体力的にも精神的にも。」
悠介は困惑してしまう。美咲は一体、何を言っているのだろう。現実の彼女と、メールで感じる彼女の間に、大きなギャップを感じ始めていた。
「美咲さんが言っていることが、本当なのかどうか、正直わからなくなってきました。」
思い切って、そんな正直な気持ちを伝えてみる。しかし、美咲の返事は、さらに悠介を混乱させるものだった。
「悠介さん、信じられないのはわかります。でも、私は本当のことを言っているつもりよ。いつか、あなたにすべてをお見せできる日が来ると思います。」
悠介は頭を抱えてしまう。美咲の言葉は、あまりにも非現実的に聞こえる。彼女が語る世界は、現実とかけ離れているようだった。信じていいのだろうか。疑問が、次第に大きくなっていく。
◇ 真実への疑念
美咲との会話に違和感を覚えながらも、悠介は彼女とのやり取りを続けていた。それでも、彼の心には疑念の種が植えつけられたように、絶えず彼女の言葉の真偽を考えてしまう。
「今日は月面着陸の訓練があって、大変だったわ。地球に戻ってくるのが、待ち遠しいわ。」
そんな美咲からのメッセージを読んだとき、悠介の心は決定的に揺らいでしまう。
「月面着陸だって?ありえない...。美咲さん、あなたは一体何を言っているんですか?」
困惑した悠介は、思わずそう返信してしまう。するとすぐに、美咲から返事が届いた。
「悠介さん、信じられないのはわかります。でも、私は嘘をついているわけではないのよ。」
その言葉に、悠介は思い切って尋ねてみる。
「美咲さん、あなたは本当に宇宙飛行士の候補生なんですか?正直に答えてください。」
しばらくの沈黙の後、美咲からの返信が届く。
「悠介さん、私は...嘘をつきました。本当は、宇宙飛行士になる夢は、まだ叶えられてはいないです。」
その言葉を読んだ悠介は、深く溜息をつく。やはり、美咲が語っていたことは全て嘘だったのだ。現実と非現実の区別がつかなくなるほどに、彼女の言葉に引き込まれていた自分を情けなく感じる。
「美咲さん、どうしてそこまで嘘をついたんですか?」
悠介は問いかける。美咲の返事は、しばらく届かなかった。真実が明らかになった今、二人の関係はどうなってしまうのだろう。悠介の心は、深い喪失感に包まれていた。
(続く)
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