第2話 遺伝子を愛せ

「わたしじゃ、ダメですかっ!」


 茜色に染まる空き教室に、透き通った声が響き渡った。


「え、ええぇ!?」


 どういうことだ!?


「えっと、つまり下野先輩のことが好きってことです。」


「っ!?」


 鞠亜さんは顔を紅潮させた上目遣いでこちらを見つめてくる。

 その姿に思わず胸がドキドキする。


 一旦整理しよう。俺は好きな人がいるが、はっきり言って脈ナシ。というかまともに話せてすらいない他人のような状態。その人の妹(ガチ他人)から告白を受けた。

 なるほどわからん。


「え、ジ、ジョーク? 陽キャ女子にはこういうノリあったの?」


「そんなわけないじゃないですか! わたしは、本気で下野先輩が好きです……何度も言わせないでください」


「じゃあ、なんで……俺の事を好いてくれてるの?」


 俺も人の事は言えないけど、ほとんど喋ったことない人に告白するなんておかしいじゃん!


「わたし、ずっと見てたんです。下野先輩がお姉ちゃんにアプローチしてるところを」


「ガチか」


「はい。下野先輩が何度もお姉ちゃんに話しかけようとして、逃げられたところも、下野先輩がお姉ちゃんに告白して、逃げられたところも」


「そんなにはっきり言わなくて大丈夫だよ」


「分かりました。最初は何とも思わなかったんです。お姉ちゃん美人だから、言い寄ってくる男も沢山います。だから、そのうちの一人だとしか思っていませんでした。でも、下野先輩は違ったんです。何度お姉ちゃんに逃げられてもへこたれずに何度も何度も話しかけて、告白までしちゃって……」


「……」


「下野先輩の姿をお姉ちゃんの隣で見ているうちに、下野先輩が本気でお姉ちゃんの事が好きな気持ちが伝わってきて……。こんなに本気で愛してくれる人がいたらどんなにうれしいだろって思って……。そのうち、いつの間にか下野先輩の彼女になれたらいいなって思うようになったんです。それで、今日お話して確信したんです。下野先輩は絶対にわたしが思ってるような人だって」


「そうだったんだ……。ジョークとか茶化してごめん」


「いえ、大丈夫です!」


 鞠亜さんはまだ赤い顔で柔らかい笑みを浮かべる。


 姉の有澄さんの面影もありつつ、有澄さんよりもどこか人懐っこく、天真爛漫な印象の鞠亜さん。

 有澄さんが綺麗系なのに対し、鞠亜さんはかわいい系だ。


 ……正直、めちゃくちゃかわいい。

 見るからに陽キャな明るい性格で、男子とも分け隔てなく話すところをみると、ひょっとしたら有澄さんよりもモテるかもしれない。

 こんなにかわいい子が俺の事を好きなんて、有り得ないレベルだ。


 しかも、今まで話したことはほとんどなかったが、鞠亜さんは多分俺の事を本気で好いていてくれてる。鞠亜さんの真っすぐな瞳を見れば、さっき伝えてくれた言葉が全くの嘘とは思えない。


 客観的に見ても、鞠亜さんの告白を受けない理由なんてない。


 でも、俺は……、


「鞠亜さん、鞠亜さんの気持ちはすごく伝わったし、ほんと抑えきれないくらい嬉しい」


「は、はい!」


「でも……ごめん!」


「え……」


「俺は、有澄さんのことが好きなんだ。鞠亜さんも俺なんかと釣り合わないくらい魅力的な人だと思う。でも、有澄さんのことを諦められない。だから、ごめんなさい!」


 誠心誠意謝った。

 胸が張り裂けそうに苦しい。


「わ、わたしだって……」


「ん……?」


「わたしだって本気で好きなんですよ!」


「……っ!」


「わたしだってそんな簡単に下野先輩をこと諦められません!」


「ありがとう……でも――」


「お試しとかでもいいです! 一か月だけとかでも全然いいです! 都合のいい女でも全く問題ないです!」


「いやそれは駄目でしょ!」


「わ、わたしお姉ちゃんと同じ遺伝子持ってますし! 実質お姉ちゃんと付き合うようなもんですよ!」


「どういう理屈!?」


「遺伝子を愛してください!」


「何言ってんの!?」


「むう……でも実際わたし、お姉ちゃんと姉妹だから、お姉ちゃんと好みとか好きな事も似てますし、されたら嬉しい事とかも似てます。それを知れたらお姉ちゃんへのアピールもしやすくなるんじゃないですか?」


「いや、でも――」


「しかも、妹のわたしに近づくとお姉ちゃんに近づくチャンスも増えますよ」


「鞠亜さん、俺はそんな不誠実な気持ちで鞠亜さんと付き合うなんて失礼なことはできない」


 鞠亜さんの気持ちは嬉しいが、中途半端に気を持たせてしまうのは申し訳ない。


「――お願いしますっ!」


 鞠亜さんは目に涙を潤ませ、声を上ずらせて声で言う。


「……好きなの! ほんとに……!」


「……っ!」


 鞠亜さんの悲痛な言葉で、俺は思い出した。


 『好きな人に拒絶される痛み』を。


 自分の好きの気持ちが相手に受け入れてもらえない。これがどれほど辛いことか。

 俺も何度夜な夜な好きな人の事を想って枕を濡らしたか。


 俺は俺なんかのことを『好き』って言ってくれた女の子に、辛い思いをさせてしまっていたのか……。


 これ以上鞠亜さんにこんな顔をして欲しくない……! 鞠亜さんを傷つけたくない……!


 どんな理屈よりも、今目の前で悲しい顔をしている女の子が大切だ!


「鞠亜さん」


「はい」


「俺は、やっぱり有澄さんのことが好きだ」


「……ぐすっ」


「でも! 鞠亜さんが俺に好きって本気で伝えてくれて、正直めっちゃ嬉しかった!」


 これが正しい事なのかは分からない。でも、俺の事を好いてくれる子を悲しませたくないという気持ちは本物だ……!


「だから……! 俺と友達から始めませんか?」


「え……?」


「有澄さんが諦められないから、鞠亜さんとお付き合いはできない。でも、鞠亜さんに気持ちがないわけじゃないし、このまま関係を切るのは嫌だと思ったから。友達から始めませんか……?」


 告白してくれた相手に、好きな人がいるけど友達になってくださいなんて言うのは失礼かもしれない。

 でも、鞠亜さんの想いを拒絶したくない……!


「……はい!」


 鞠亜さんは俺の手を取る。

 そして、満面の笑みで言う。


「先輩、ふつつか者ですがよろしくお願いします」


「いやなんか付き合ってるみたいになってるんですけど!」


「えへへ……。冗談です。これからよろしくお願いしますね――一之進先輩!」

 突然の名前呼びと、あどけない笑顔に、体が熱くなった。

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