解説4




リエズウヌン?」


 記事が完結する本当に直前、フジモリさんはノートパソコンのモニターを凝視しながらそう呟いた。


 蒸し暑い日没前。


 学生会館のサークル部屋はドアや窓を閉め切って、私達の血でむせ返るように臭い。


 独り言の後、彼女が手を机から下ろして黙り込むこと数分間。


「何やってるんですか? 早く書いてください。マナが怒りますよ」


 私は目や鼻から血をダラダラ流しながら、その脱力した肩を叩いた。


 彼女は徐に立ち上がりながら、問う。


「……書いて、どうすんの?」


 その時の私は『どうしてそんな当たり前のこと聞くかなあ』と本当にイライラしていた。


「死ぬんですよ、当たり前じゃないですか」


 フジモリさんは振り向くや否や、私の頭を引っ叩く。


「じゃあ書くわけねーだろバカ!」


 首が折れるんじゃないかってぐらい、本気の一撃。


 私は椅子ごと吹っ飛んで転がった。


「クソ、あー気持ち悪っ」


 わけがわからず目を白黒させる私を尻目に、フジモリさんは自分の赤いブラウスで顔の血をゴシゴシ拭き、何度も何度も血混じりの唾を吐く。


 そうしたら、拭き過ぎで肌は赤く腫れていたが、血は嘘のように止まっていた。


「嘘……何で!?」


 思わず疑問を口走ると、フジモリさんは冷たい目でこちらを見下す。


「嘘だからに決まってるでしょ。バカだなXXXXXちゃんは、だからこんなのに騙されんだよ」


 私は目の前で起きていることが信じられなかった。


 だって、彼女はこんなぶっきらぼうな喋り方する人じゃなかったし。いつも周りに気を使ってニコニコ笑っている人だったのに。幼馴染のXXXとの間に入ったり、自分の部屋に匿ってくれたし。XXXや他の仲間が死んだ後も、私と一緒に記事を書いて死ぬ為に今日この時まで協力してくれたのに。


 そこまで考えて、ようやく私は気付く。


「私、なんで記事を書いて死のうとしてるんですか……?」


 信じられなかった、記事の為にXXXやみんなが本当に死んだことも、自分もこれから死ぬことも普通だと信じていた自分が。


 すると途端に恐怖と恐怖が押し寄せてきて、私はぎゅっと頭を抱えようとする。


 しかし、できない。


 ちょうど今殴られたところへ手首の骨が当たり、ズキズキして悶えたのだ。


 それで泣くこともできずに震えている私のつむじに、フジモリさんが言い捨てる。


「だからバカだからってんじゃん」


 いたわる感じなんて少しもなく、彼女は自分のリュックから手鏡を取り出して自分の頭を確認した。


「畜生! なんだよこの髪!? いつからだ? 思い出せねえ……」


 真っ白く長い髪をガシガシ掻く。


「クソーっ、染め直しだ!」


 そのままリュックに手鏡を投げ捨て、今度は財布とマイバッグを取り出してドアの方に向かった。


 私は置いてかれてしまうのかと怯え、でも豹変した彼女が怖くて。


「あの……」


 と、絞り出すのが精一杯だった。


 すると彼女は憤怒の表情で振り向いて怒鳴る。


「喋り出したら最後まで言い切れ!」


「ひっ」


「いつも思ってたけどなあ、私の『さっりょく埋蔵まいぞうりょうは無尽じゃねえんだぞ!」


「ご、ごめんなさい……」


 謝る私を見て溜飲を下げた彼女は、息を長く吐いてから告げた。


「近くのセブンで黒染めのスプレーとドデカミン買ってくるから。十五分ぐらいで戻ってくる」


 それから私を指差して命令する。


「お前もツラぐらい整えとけよ、これから外出るんだから」


「外って、何するんですか……?」


 その問いに、マスク越しでもわかるほど唇を吊り上げ、小馬鹿にするような笑みを浮かべて、彼女は。


「決まってんだろ、マナをぶっ殺しに行くんだよ」


 フジモリマナさんは、確かにそう宣言した。







 マナは最初、世界のどこにも存在しない女の子だった。


 世界のどこにも存在しない、架空の女の子。


 私達が考えた。


 「モキュメンタリーホラーを作る制作者達の中に異常な存在がいて、その存在に率いられるうちに全滅するモキュメンタリーホラー」


 この複雑な入れ子構造は、面白さの為というより、無駄に回数を重ねた企画会議の迷走の産物に過ぎない。


 だからこのドキュメント群のうち、初回から記事(4of4)の終盤までの全ては解説を除きプロット通りに作られたものになる。


 しかし、今となっては何が創作だったのか、もうわからなくなってしまった。


 制作が進むうち、「本当に授業中に撮影しよう」と誰かが言い出す。「あの研究員の退勤時間を調べておこう」と誰かがSNSや現地の張り込みを始める。


 私達は、ただ遊びやまがい物じゃない、本物が作りたいだけだった。


 私達はみんな、呆れるほど平凡で普通な大学生で、でもそのことに満足できなかったのだ。何か凄いものを作って、自分達は本物だと証明したかったのだ。


 だから動画の制作担当者が死んでも、「本物にする為なんだから、まあ本当に死んでも仕方ないか」と気にも留めなかった。


 LINEのトーク履歴もWordにキーボードで直打ちして作ったのか、スマートフォンからデータを抜いてマウスでカチカチとコピぺしていたのか、定かではない。


 仮名だったはずが、架空のキャラクターだったはずが、私はいつの間にか記事におけるカメイ=制作者達におけるXXXXXとして振舞うようになった。本当に幼馴染だったベッショ=XXXとプロット通り喧嘩をし、過去の真相も知る羽目になる。どこまでが演技で、どこまでが自分の意志だったか、どこまでが嘘で、どこまでが本当だったのか判別がつかない。


 そして、マナも大手を振って私達の前に現れた。




 藤森フジモリ愛奈マナさんは、元々この企画とは全く関係ない私の友達。


 上海からの帰国子女で、中国語が上手かった。いつも黒いマスク、ちょっとパンクっぽいファッションで怖い見た目だけど、私がグループワークや勉強で困っているとすぐ助けてくれる優しい子。誰の悪口も言わない、失礼なことを言われてもその場で言い返す、強い人だった。


 私やXXXとコースが同じなだけで、サークルのメンバーでも無い。企画を組んでいくうち、作品の魅力となる『強烈なキャラクター』を加えることが必要だと考えて、それは女の方が画面的に映えるかな、となった時、サークル内にはもう女の子がいなかった。それだけの理由で彼女に声をかけ、その時に「マナ」と名前も決まった。


 だが、マナを演じていたのはフジモリさんだけではない。


 撮影中以外も、打ち合わせや準備の最中、不意にマナが口を挟んできた。作品の演出をもっと本物にしろ、過激にしろ、と強い言葉で言い募り、反論する者には激しい口撃を加える。


 それは多くの場合制作の音頭を取っていたXXXだったし、たまには演者のフジモリさんだったし、たまには他の男の学生だったし、たまには私だった。


 初めはみんな「この人は熱が入ってるんだな」だと考えていた。でも、段々その話し方で、仕草で、マナが言っているのだと理解させられる。そして、私達はその言いなりになってしまった。


 だって、彼女こそが本物で、理想的な女の子だから。


 誰よりも魅力的で、誰よりも綺麗で、神様みたいに偉い人。


 私達はみんな女の子で、彼女に嫌われないよう振舞うことしかできない。


 XXXも頭が良くて運動ができて可愛くてすごく素敵な女の子だったけど、マナとは比べようもなかった。


 だから、XXXでさえマナの力に耐えきれず死んでしまう。


 マナは他のみんなや彼女の生と死によって力を付け、最後はフジモリさんの身体でこの世に顕現しようとした。


 何故マナがそんなことをしたのか。


 それは私達が「本物を作りたい」と思ったせい。


 本物の女の子なんて嘘でしかないのに、私達が願ったせいだ。




 フジモリさんがセブンイレブンから帰ってくるまでの間、私はそんなことを考えていた。






 この次の投稿が最後になるが、それは先日私の元に届いたメールに添付されていた、『女の子が出しちゃいけない声.zip』というフォルダの中身である。





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