あの人と魔法が消えた世界 〜『リムと魔法が消えた世界』外伝〜

京野 薫

アンナと魔法が消えた世界

書物が消えた!

 進む、進む、カヌーは進む。

 クレアトーレ・エルジアの屋敷での、ヤマモトさんのまさに一大叙事詩とも言える大活躍。

 ああ……私は紛れもなくそこに女神を見た。

 まさにヤマモトさんは地上に降り立った……こほん。


 そんな一件が終わった後、エルジア邸を出たカヌーの船上。

 心まで暖めてくれそうな空からのお日様の光に、乱反射する水面の光。

 それらは私の心をさらにウキウキとさせるようで、ついつい鼻歌も出てしまう。


「アンナ、珍しいなお前が歌なんて。しかもそれ、私も好きな歌だ。気が利くな」


 そう言ってよりによってコルバーニ先生が歌い出したので、意識が悪い意味で全て先生に持って行かれてしまった。

 あの人、どうやったらああまで全ての音を外せるんだろ……剣よりも武器になるんじゃないか。


 でも、まあいい。

 私、アンナ・ターニアは心からご機嫌、って奴だった。

 先生の悪魔の唸り声など、どうということない。


 何せやっと……あれが読める。

 ヤマモトさんに次ぐ私の宝物。

 コルバーニ先生より頂いたあの書物「夜の隙間に咲く百合の花」

 リルルとメルの清らかで、尊い愛。

 そして……ああ! 口に出すのもはばかられる、あの官能……的な……ああ! また邪念が!


 私は胸の前で十字を切りながら顔がニヤけているのが自覚できた。

 あの書物を手に入れて以来、睡眠時間は劇的に短くなったが、まさに新世界との出会いと言えるほどの感動に毎夜毎夜心が震えている。

 最初先生から「飽きたからやる」と渡された時は正直ゴミを押し付けられたと思ったが、今では足を向けて寝られない。


 そして、最近あの書物に対してとある革命的発見があった。

 そう、気付いてしまったのだ……リルルとメルの名前を私とヤマモトさんに書き換えると、とんでもなく幸せと言うことに。


(ヤマモトさんはアンナに言った。「私、あなたに触れたくて仕方ないの。私のものになってくださらない?」アンナは恥ずかしそうに俯いた。「私が……ヤマモトさんのものに。私はそんな子じゃ」「アンナだからいいの。私、アンナが大好き」「ああ……ヤマモトさん……」)


 ふわっ! 思い出すだけで!

 ダメだ、待ちきれない。

 幸いにも誰もこっちを見てないし、ちょっとだけ書物を……


 そう思ってバックパックを開けた私は、少しして血の気が引いた。

 書物が……ない。


「おい、アンナ! 貴様カヌーの上で荷物をぶちまけるな! 邪魔だ」


 クロノが何やら喚いているが、そんなのはどうでもいい。

 私は携帯食料の箱の中まで見てしまうくらい探し回ったが、影も形も無い。

 そんな……


 呆然としている私に先生が声をかけてきた。


「どうしたアンナ? 何を探してる」


「せ、先生……実は……書物が」


 カラカラになった喉から何とか言葉を絞り出して答えると、先生は事もなげに言った。


「ああ、あの本か。あれならエルジアの屋敷の更衣室に置いてあったぞ」


「はああ!?」


 な、何という鬼の所業。

 なぜ教えない! この若年寄りめ!!

 と、危うく口から出そうになったが、すんでの所で飲み込んで何とか平静を装った。

 なにせヤマモトさんもいる。

 いつも通り……冷静に……


「な……なぜ、若年寄……じゃない、先生! 教えてくれれば……」


「いや、もういらないから置いていったのかと思った。だがあの時お前に言わなくて良かった。お前の本音も知れたしな。私の事を若年寄と思ってたのか」


「そ……その話は後でゆっくり! オリビエ、近くの岸に止めろ。私はエルジア邸でやり残したことがあった。今から戻る!」


 オリビエは驚いた顔で言った。


「アンナ先輩、やり残しってなんです? お一人で戻るなんて……俺たちも行きますよ」


 くっ……普段は頼もしい奴だが、こういう時はあの誠意がイラッとくる。


「大丈夫だ! 私一人で問題ない。これは私の問題だ。一人で決着を付けなくてはならん」


「そういう事だ、オリビエ。そこの岸に止めろ。確かにアンナにとって己の存在を賭けた、必ずケリを付けねばならん問題だ。……ある意味な」


 そう言って先生は笑いをこらえながら私を見る。

 くっ……


「しかし先生……そんな事態なら余計に」


 黙れオリビエ! 

 そして……ああ! ほら見ろ、お前がキャンキャンうるさいからヤマモトさんまでこっちを見てる!


「ふむ。リムちゃん、大丈夫だよ。……ただ、こんなにみんな心配するなら、やむを得ないね。おい、オリビエ! お前アンナに同行しろ。それなら心配ないよね、リムちゃん」


 ええっ!

 それは……困る。


 ※


 くっ……結局オリビエと一緒に取り返しに行く羽目に。

 2人で別のカヌーを借り、オリビエに漕がせながらの船上で私は歯嚙みする思いだった。


「アンナ先輩、その用事とは何なんですか? 任務の内容次第では持って行く武器も考えなければ」


「い、いや……武器は……大丈夫だ」


「武器では無い? と、すれば……何かを探索し、取り戻す」


 む、やはり察しが良いな。

 その時、フッとある考えが浮かんだ。

 そうだ! これなら……

 私は軽く息を吸うと言った。


「そうなんだ、オリビエ。この任務は極めて秘匿性が高い。なのでこれを知っているのは今のところ私と先生のみ。他の者には決して知らせてはならん。なので、お前に伝えられる情報も一部に留まる」


「……分かりました。で、その取り戻す物の情報は伺っても大丈夫ですか?」


 ふふ、やはり。

 私は表情がニヤけるのをすんでの所でこらえた。

 オリビエは有能だ。そして、自分で言うのも何だが私と先生を信頼している。

 決して余計なところまで踏み込んでこない。

 これはむしろ同行者として使えるのでは……


「それは一冊の書物だ」


「書物……」


「そうだ。それは古代の失われた禁書。もし誰かの手に渡り中を読み上げられたら、その瞬間に悪霊が解き放たれ、世界は……滅ぶ」

 

 言い終わり、私は何とも言えない高揚感に包まれるのを感じた。

 ああ……こう言ってると本当にそんな気がしてきた。

 まあ、ある意味禁書だから。

 なにせ、あの書物には名前の書き換え以外にも、私が夜な夜な空想した「私とヤマモトさんの愛の秘め事」もアチコチの余白に書き加えているのだ。

 あれがもし、他人に見られたら……

 想像しただけでも戦慄が走る。


「そんな重大な物とは……ただ、この世界は魔法が存在しなくなっています。そんな中で魔力を持つと思われるそのような書物……しかも、危険性がきわめて高い書は俺たちの手に余るのでは? やはり今から皆にも存在を共有して……」


「必要ない! ホントのホントに必要ない! あれは……えっと……その……わ、私と先生がとある任務で封印したのだ! 私と先生以外では扱えぬ!」


「しかし……ではせめてエルジア殿に書の詳細を」


「必要ないと言っている! オ、オリビエ! 貴様、私を疑うのか!」


「いえ! そのような……分かりました。先輩のお話であれば信じます」


 危ない……

 私は早鐘のように鳴る心臓を鎮めながら、汗を拭った。

 しまった。ホラを吹くにも程があった。

 くっ、コイツやはり気が回るな。

 単独行動を絶対させないようにせねば。

 もしかして先生、コイツを同行させたのはあの暴言への仕返しか!

 あの若年寄め。


 ※


「あれ? アンナちゃんどうしたの! 隣の方は?」


 屋敷に戻った私たちを見て、エッタさんは驚いた顔で言った。


「私はオリビエ・デュラムといいます。今回、アンナ・ターニアの共として同行しています」


「ちょっと……忘れ物を」


「あ、それは大変! 何を忘れたの? 取ってきてあげるよ」


「あ、いや……それは大丈夫です。ちょっと更衣室の所に置いてきてしまったので。なので、中に」


 だが、エッタさんの言葉に私は耳を疑った。


「え? 更衣室? おかしいな。昨日掃除したけど何も無かったよ」


「はへ? た、確か更衣室にあったと先生……アリサ・コルバーニが」


「本? う~ん。あ、もしかして……そうだ! あなたたちが出て行った後、子供達が冒険ごっこって言ってアチコチに忍び込んでたんだよ。その時、二人の子が更衣室から出てきてたけど……」


 私はめまいを必死にこらえながら、何とか言った。


「と言うことは、あの書物は子供達が……」


「分かんないけどね。その可能性は高いよ。」

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