第9話 親子
夕暮れの海は朱色に染まり、波が寄せては引いてを繰り返していく。風は少し冷たくて、楓が肩を竦めると要が自分の来ていたジャケットを肩にかけてくれた。
「ありがとう」
「うん」
二人は亜澄と約束した海岸で待っていた。
楓の思い出で唯一幸せな時間を過ごした場所。
亜澄がまだ小さな楓と美奈を連れてきては二人が遊ぶ姿を優しい笑みを浮かべて見守っていた。あの頃の亜澄は今と違って普通の母親のように楓を愛しく思ってくれていたように思う。
「ここが思い出の海?」
懐かしそうに目を細め海を眺める楓の邪魔をしないように要はそっと聞いた。
「うん……よく母さんと妹と三人で来た。母さんが私たちを優しく見つめる目が好きだった」
要は楓の言うことを静かに聞いていた。
「あの時から母さんはきっと辛かったんだ……笑ってても、たまにすごく寂しい目をしてた。ここへ来ては自分を慰めてたんだと思う」
そのとき背後から砂を踏みしめる音が聞こえた。
「こんなとこに呼び出して、何?」
楓が振り向くと、そこにはすごく不機嫌そうにそっぽを向く亜澄が立っていた。
「母さん……来て、くれたんだ」
楓が嬉しそうな顔をすると、亜澄は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「しょうがないでしょ……美奈ちゃんが行けって言うから」
美奈が嫌がる亜澄を諭している様子が楓の脳裏に浮かんだ。なんだか微笑ましくて、楓は自然と笑顔になる。
「美奈っていい奴だよな」
要も可笑しそうに笑っていた。
「それで、私に何か用?」
この場の雰囲気が嫌なのか亜澄はさっさと要件をすませようとする。
楓は要を見つめ、要もそれに応えるように力強く頷く。要は楓の背を力強く押して送り出した。
手は震え、口は乾き、足は竦む。
逃げたい、逃げたい……でもここで逃げたらまた同じ。
「……母さん、私、母さんに伝えたいことがある」
楓は真っすぐ亜澄を見つめた。
見たこともない楓の姿が亜澄の心を揺らした。
本当はこういう日がくることを恐れていながら、少し……期待していたような気がした。何か変えたかったのかもしれない、でもその勇気がなかった。誰かが動くことを期待していた。
まさかそれが楓だとは亜澄は夢にも思わなかったけれど。
楓が静かに話し出す。
「いつも不安だった……。私は母さんにとって必要ないんじゃないか、家族や世の中に必要とされてないんじゃないかって。もしそうなら……私はいったい何のために生まれたんだろうって。誰からも愛されることなんて一生なくて利用価値が無くなれば捨てられてしまう、誰からも必要とされない。そう思って、……生きるのは苦しかったっ」
楓は胸の辺りをギュッと掴むと苦しそうに息を吐いた。
「誰でもいいから愛されたい、……そう思ってた……でも、今はわかる。私が本当に愛されたかったのは母さんだった。だから母さんが苦しんでる姿は見たくなかったし、母さんが少しでも楽になるなら私はどんな目にあってもよかった」
楓は一度大きく深呼吸する。そして一度目を閉じてからゆっくりと開けた。
「でも、……でもね、それじゃあ駄目なんだ。私が壊れていく、私が無くなっていく。私は私を愛してなかった。私……自分を愛したい、大切にしたいの。要がそれを教えてくれた、気づかせてくれた」
楓と要の視線が交わる。お互いの考えていることがわかる。どこまでも強くなれる、……そんな気がした。
「母さんも、もっと自分を大切にして、愛してあげて。我慢しないで欲しい、母さんには笑って生きてほしい」
黙っていた亜澄がこの言葉にはすぐさま反応した。
「何言ってるの? 私は私を愛してるわ!」
強気な口調とは裏腹に亜澄は何かに怯えるように小刻みに震えていた。
「母さん、今誰のために生きてる? 父さん? 美奈?」
「違う! 私がみんなに尽くすのは私のためよ。愛されたいから尽くすの、それが幸せだから!」
「でも、それで自分が苦しんでたら意味ないよ」
亜澄は頭を抱え、楓の言葉を振り払うかのようにブンブンと横に振った。
「そ、そんなことわかってる! わかってるわ! でも……どうすればいいのかわからないのよ! 私はずっとこうやって生きてきた、そんな簡単に自分の生き方を変えることなんてできないわよ!」
亜澄の声がこだまする。
震えて怯えている……亜澄も一人でもがいてあがいて泣いていたのだろうか。一人闇の中を彷徨い歩いていたのだろうか。
そんな亜澄の姿はなんて……。
楓が亜澄の両手をそっと握る。
ビクッと驚いて見開いた瞳が楓を捉えた。楓が優しく微笑みかける。
「少しでいい、……ほんの少し変わろうと思うだけで、きっともう何か変わり始めてる。母さんは一人じゃないんだよ。美奈がいるし……私もいる。私は絶対に母さんを見捨てない、裏切らないよ。私……頑張る。母さんにもらったこの
いつの間にか亜澄から一筋の涙がこぼれ落ちていた。
亜澄は力が入らずその場に崩れ落ちる。楓は亜澄を支え、たどたどしく抱きしめた。
亜澄の瞳からは涙が次々と流れ、泣き声を押し殺している。
楓は困ったような顔をしていたが、次第に亜澄を愛しそうに強く抱きしめていた。
その様子を離れたところで見ていた要は微笑む。その目には涙が今にも零れそうだった。
沈みそうな太陽に目を向けて、そっと涙を拭う。
親子はあたたかな夕日の光に照らされながらいつまでもそこにいた。
読んでいただき、ありがとうございます!
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