第6話  楓の痛み


 いつもの空、いつもの道、いつもの風景。なのに、不思議と全てが優しく見えた。


 楓は亜澄と向き合うことを決意していた。

 きっと何かが変わる……心の片隅で小さく芽生えた感情。


 一息ついて肩の力を抜くと玄関を開けた。

「……ただいま」

 誰の返答も返ってこない。静まりかえる家はいつも寒気がする。

 亜澄はいないのかと辺りを探す。


「どいて」

 後ろから背中を強く押され、前のめりに倒れそうになった。


 亜澄は楓のことなど見向きもせず、冷蔵庫を開け水をグビグビと飲む。すごく不機嫌そうな顔をしている。


「何!」

 亜澄が楓に吠える。いつものことだが今日は特にイライラしている様子だった。

 楓の心臓がうるさくなり、身体が震える。


「……何なのよ、さっきから私を変な目で見て。気持ち悪い。言いたいことがあるなら言いな」

 体中の血の気が引いていく。


 嫌だ、逃げたい……。嫌、駄目だ、逃げちゃ駄目だ。


「母さん……私、私っ……」


 いざ言おうとすると言葉に詰まる。想いが声にならない。どう表現すればいい? どう言えば伝わる?

 楓が黙ってしまうと、母はため息をついて楓に詰め寄ってくる。


「あんたさあ! 何なの? 私は疲れてるのよ。私の貴重な時間を割いてあげてるのにさっきからその態度! 何様?」


 亜澄の感情が高ぶっていく。楓の恐怖は増していく。


「……っごめんなさい、でも、私、母さんに伝えたいことがあって」

「だから何って聞いてあげてるでしょ!」


 亜澄の血走った目からは憎悪の感情しか読み取れない。楓は怖くて怖くて逃げだしたかった。体は小さく震え心臓がバクバク音をたてる。

 体はいうことを効かない、石になってしまったかのように動かない。

(逃げたい逃げたい、助けて助けて、助けて、嫌嫌嫌、もう嫌っ!)


 ……でも、ここで逃げてはダメだ、逃げたら今までと変わらない。

 胸が張り裂けそうになって、楓は血が滲むほどきつく手を握りしめた。


「私……母さんに…………愛されたい」


 必死に絞り出した声は物凄くか細い声だった。

 亜澄は物凄く意外だという顔をしたあと、不気味な笑い声をあげる。


「ふふふっ、何言ってんの? 愛してるわよ。いつも可愛がってるじゃない。あんたは美奈と違って手がかかるから母さん大変なのよ。それでもきちんとあなたのこと相手してるでしょ?」

 さも当然でしょ? と言わんばかりに自慢げに語った。


「違う! 母さんは私を愛してない! すぐ怒鳴るし、殴るじゃない。私の気持ちなんて全然考えてくれてない! 私を大切に思ったことなんてないでしょう? 美奈ちゃん、美奈ちゃんってそればっかり。私のことなんて都合のいい道具としか見てない!」


 楓は今までの思いをすべてぶちまける。

 こんなに楓が反発するのは初めてだったので亜澄は酷く驚いた。

「なんて子なの! 母さんにそんな口……」

 亜澄はしばらく開いた口が塞がらなかった。しかしすぐに嫌味な笑みを浮かべる。


「ふーん、そう……そうよ。あんたなんて愛してない! これでいい?」


 楓の心臓はナイフで抉られたような痛みに襲われた。この痛みはどうすれば伝わるのだろう。


「あんたが悪いのよ。あんたの方から言い出したんだから、私があんたを愛してないって。そりゃそうよね、実際愛してないんだもの。愛しいと思えないの」

 亜澄は楓のことを一瞥もせず、言い放った。


「っなんで? ……なんでそんなに私のこと嫌いなの?」

「そんなのわからないわよ! ただ……あんた見てるとイライラするの」

 亜澄は居心地悪そうに爪を噛む。


「母さん……私は母さんが大好きだよ。母さんは私が嫌い? ……いらないの?」


 楓は心の中で必死に祈った。


 どうか、どうか、あの言葉だけは言わないで。


「嫌いよ、いらないわ」


 全て終わった気がした。

 今まで必死に築いて守ってきたものが崩れ落ちていくような感覚に襲われた。


「母さん、いやっ、私必要だよね? いてもいいよね? ……母さん!」

 泣きながら足にしがみ付いてくる楓を亜澄は虫けらを見るように見下ろした。


「うざい。今日は疲れてるって言ったろ? ほんと、空気の読めない子」

 しがみついている足とは逆の足で楓を蹴り飛ばす。

 楓は痛みに耐えながらも必死で亜澄にしがみ続けた。


「もう! なんなの!」

 亜澄は楓を何度も蹴る。その強度は段々と強くなっていく。

 楓はだんだんしがみついていられなくなり、腕がゆるんだ。その瞬間を亜澄が見逃さず、一番強烈な蹴りを楓に入れた。


 鈍い音がして楓が地面に伏す。

 低く呻きながらゆっくりと起き上がる楓にさらに蹴りをいれた。


「ふんっ、ちゃんといつも通りしときなさいよ。それと……二度と変なこと言わないで。今度私をイラつかせたら、こんなもんじゃ済まさないわよ」

 そう言うと亜澄は楓を置いてさっさと行ってしまった。


 残された楓は蹴られた痛みでしばらく起き上がれずにいた。


 体は痛かった……でもそれ以上に亜澄から言われた言葉が楓の頭を支配して全てを奪っていく。

 感情や思考が停止してしまった人形のように、楓はただ虚空を見つめていた。




 翌日、楓は学校へ現れなかった。


 要は心配でしかたなかったが、事情もわからなかったのでしばらく様子を見ることにした。

 三日目、我慢の限界をむかえた要の足は楓の家へと向かっていた。


 チャイムを鳴らすとしばらくして亜澄が顔を出した。

「っ! あなたっ」

 あからさまに嫌そうな顔をされた要は平然と返す。


「楓さんがずっと休んでるんで心配で……います?」

 要が家の中を覗き込むと、それを塞ぐよう亜澄が要の前に立つ。

「さあ……私は知らないわ。あの子が勝手に休んでるんじゃない? まあ、いたとしても会わせないけどね」

 一方的に言い放つと亜澄はドアを強く閉めた。


「あはは……だいぶ嫌われてんのね」

 さてどうしたものかと要が思案していると、

「あの……」


 後ろから声がした。

 振り返ると楓の妹の美奈が何か言いたげにまっすぐこちらを見ている。


 要はすごく嫌な予感がした。美奈の口が開く。


「……お姉ちゃんを助けて」






 読んでいただき、ありがとうございます!


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