第5話



 この世界にも鳥は存在する。動植物も地球のそれと類似している。言ってしまえば生活様式も地球のそれだ。


 でも魔法が存在して、アザミからしてみれば馬鹿げた挙動で人が動く世界で、そもそも人がどうして存在しているのか。もっと別の構造に進化しなかったのか。考えは尽きない。


 ラノベの中なので似ていて当然と割り切るのは楽だが、そこを『何故』と思い、その問いについて作中で明かされるというのが最適な創作物のあり方だ。アザミとしてみても設定が凝っている作品は大好物で、舞台や登場人物のバックボーンが明かされる瞬間を待ち遠しく思い、焦ったいと感じることは何度もあった。


 ではこの『TOS』はどうか。


 答えは”まだ明かされていない”、だ。


 ゴマダンゴ先生は徐々に設定を明かしていくタイプらしく、本人のインタビューでそう語っていた。まだまだ白日の元に晒されていない過去の事件や、この世界の成り立ちについて敢えて書かないでいるとも。


 兎に角、『TOS』の環境は何故か地球に酷似していた。


 だからだろう。地球のと似た鳥の音で目が覚めると、自分が“音桐アザミ”だと認識してしまうのは。


「あぁ……そうだよな。俺はネロの体に入ってたんだ」


 いつも通りの朝がやって来たと信じきっていた。目を開けて見知らぬ部屋と窓外の景色を見るまでは。


 その誤解は直ぐに解け、発した自分の声が思うそれより数倍イケメンだと更に実感が湧く。


 アザミが一晩を過ごしたのはミリエスタの研究室、隅に無造作に置かれていたソファの上だ。只のソファと侮るなかれ。何の素材を用いているのか不明だが、普通のクッションからは想像出来ないふわふわな感触を味わえた。


 ただ、快適な寝具とは対照的な汚い部屋。物が沢山散らばっていて、それはもう埃が凄いのだろうという一抹の不安は残されていたが……結論から言うと、全く埃っぽくなかった。片付けられていないのに、埃は一切溜まっていない。この謎についてアザミは記憶になく、しかし大方ミリエスタの魔法だろうと見当をつけていた。


 こういうわけで、慣れぬ場所であるが、アザミの意識は寝転がった途端に急速に薄れていった。


 元々ストレスに満ちた一日であったし、体を凍らされたり押し倒されたり。首を切りつけられたり氷塊で足を固定されてしまったり。


 結論を言うと、散々だった。


 しかし騒然とした時間を経ても、色褪せず心の中に残る思いは一つ。




「ミリエスタ……俺はネロを取り戻すというお前の想いを尊重する。その上で、俺も協力させてくれ」


 いつも通りの服装で寝室から姿を見せたミリエスタがテーブルに着くと同時に、アザミは自分の考えを明かした。


「ふぅん……?」


 それに対するミリエスタの反応は、アザミの胸中の熱さと違って少し冷めたものたった。眉を顰め、疑念を隠そうとしない。


 以前は自分の悪感情を覆い隠し、相手に警戒心を抱かせず、また心を許さなかった。ミリエスタはそういう人間だ。


 だが昨晩、うっかり心の中をアザミに明かしてしまった。自身を信頼していると勘違いしたアザミへの警告だろうか、はたまたネロの顔で他人行儀に扱われる事に苛立ちを抑えきれなかったからだろうか。


 事の真相に拘らず、ミリエスタはらしくもなくアザミを邪険に扱った。それは逆に、アザミを信用しているからこその行動とも受け取れる。


 ミリエスタが一度だけでも素の姿を見せただけでも、それが契機となりアザミに感情を隠さなくなった。それが相互理解への一歩だということに、妙な所で鈍い二人が気付くことはない。


 そんな二人はテーブルを挟んで睨み合う。といってもミリエスタは警戒、アザミは緊張から来る睥睨なのだが。


「なんで? キミがボクに協力する理由は無いだろう。それに、キミに対するメアリスやボクの対応からして、ボクたちに愛想を尽かしても不思議じゃない。てっきり、こんな場所は嫌だ。早く別の場所へ逃げたい……なんて言い出すかと思ってたんだけどね。そう思ってたからね」


 まぁ理性を保ってボクとサヤを襲おうとしなかったのは認めるけれど、と一度断りを入れから、咳払いをして話を戻す。


「今のキミは随分と極力的じゃないか。疑っちゃうボクはおかしいのかな?」


「いや、俺も一概に信用されるなんて思っちゃいないよ」


 アザミは頭を振る。ここでも予想外に聞き入れたアザミを面白く思い出したのか、口元に微笑を浮かべながらミリエスタは追及する。


「ならキミはどうやってボクの信頼を獲得するのかな。それを与えない限り、ボクがネロ奪還にキミを本格参加させるつもりはないんだなぁ、これが」


 サヤの理論構築を経て人格観測が終了次第、ミリエスタはアザミを軟禁するつもりでいた。ネロの体で自由に動き回られるのは諸々のリスクが高く、自身が考えていたようにアザミが逃げ出さないとは限らない。軟禁して“ネロ”を取り戻すまでの間、大人しくしてもらうのがベストのはずだ。



 今だって、彼の提案を一蹴し、ボクのやりたいようにやるのが、確実とまでは行かずとも“ネロ”を安定して取り戻せる近道だ。


 なのに何故、ボクは笑いながら彼を煽っている。面白がっている。


 ネロの偽物に期待しているのか?


 このボクが?



 多少の興味が湧くも、それを現実へと押し流す。これ以上考えるのが、不思議と怖かったから。


「さてさて。キミはどうするのかな……」


 それでも、目の前の“ネロ”ではない男が自分を説得することなど不可能だと考えていた。


 この時点で、アザミの提案を受け入れるかの是非は2:8といったところ。アザミに頼る、力を借りるよりも自分一人で淡々と調べた方が楽だし、居たとしても対して役に立たない。少なくとも魔法に精通した自分の方なら何倍も“役に立てる”から。


 男は少し悩み、言った。


「魔法の秀才、ミリエスタ。俺はお前ほど役に立てるとは思っちゃいない。こんな状況で理論的に説得するのは、まぁ無理だな」


「潔いね」


「誰よりもお前が分かってることだろ。だから俺は……感情に訴えかける」


 ミリエスタは嘲笑った。


 よりにもよって感情。自分の涙で訴えでもするのか?


 話にならないと思った。




「『田舎上がりの雌鶏が偉そうに』、だったっけ」




 ミリエスタは嗤った。


 田舎者を、それも身の程を弁えない女だと蔑むための罵倒だ。この文句には聞き覚えがあったから。


「なんだい、ボクの過去を掘り返、し……、て……は?」


 決して豊かではない農村出身で、街へ上り魔法を学んでいたミリエスタは優秀な成績を修めた。そんな境遇であるから、当然、他の生徒、特に裕福な家の出の女子生徒に多数の嫌がらせを受ける。


 初めは耳を通り抜けていたそれも、物理的な妨害に代わってしまえば流石に無視出来なくて。徐々に心を削られていって、本当の本当に心が折れてしまいそうな時……ネロが手を差し伸べた。助けてくれた。


 そんな訳でころっとネロに惚れてしまって。でも空想上の王子様かと見紛うほどに運命的な出会いを果たしてしまっては、惚れ堕ちるのも仕方がないと自分に言い訳して。


 恋の力かもしれないけれど、結果的にミリエスタは周囲の嫉妬を乗り越えた。



 さて、自分がかつて投げられた侮蔑を言われたところで、救われた今となっては“そんなことも言われたな”くらいで軽く流せる。


 アザミが肉体に入っている以上、ネロの記憶を有していることは早めに想像できていた。自分の心がネロに救われた事実を知られていても特段驚く要素は無いと予想していた。


 実際その通りだったし、そんな事で自分を説得出来るものかと。自分を罵倒してどうするつもりかと、彼を嘲笑した。


 でも違う。時系列がおかしいのだ。




 “私”が救われたのは、心が折れる直前。学園中で最も場末な古い教室の、その更に片隅で。孤独にご飯を食べているところを彼に誘われたから。


 じゃあ何で、“私”が受けた罵倒を知っている?


 それはネロに言ってない。言えるわけが無いから。


 “ボク”の記憶を読んだ?


 聖術にそのような技は存在しない。あれは私的に、安易に使える便利道具ではない。


 魔法ならあり得るかもしれないけれど、一度でも聖術に身を捧げた者は“堕落”するまで魔法を行使できない。目の前の男が聖術を使えないとしても、その身体はネロのもので。ネロのものならば魔法を使えないことに変わりはない。


 つまり、記憶を読めるわけがない。




「なんで、なんでなんでなんで! ……なんで?」


 ここで初めて、ミリエスタが動揺を見せる。余裕の態度を崩さなかった表情は姿を消し、恐怖と黒い好奇心と、嫌悪に染まる。


 アザミはあっさりと明かした。自分がこの世界……『TOS』の読者であり、ある意味ミリエスタ達の観測者なのだと。


「無理に信じようとしなくて構わない。俺だって、こんなこと急に言われて馬鹿正直に受け入れられるわけがないから」


 寧ろ狂ったんじゃないかと思うだろ、と苦笑しながらアザミは言う。そんな態度だからミリエスタもあっさり受け入れ、自分でも驚くくらいに納得した。嫌悪感は拭い切れないけれども。


 肌から汗がじんわりと染み出す。これは夏の朝に襲う暑さなのか、未だ心の最奥に抱く恐怖なのかは分からない。


 肺から息を吐き出し、再度吸う。机の下の手をぎゅっと握る。


「……それで。キミがこの“物語”の読者で、この世界の観測者に位置する立場にあるとして。……それがどうしたっていうんだ。“ネロ”を取り戻す方法を知らないくせに……!」


 少し咎めるように言ってしまったけれど、気持ちは本当だ。ネロが戻らないなら目の前の男は観測者じゃない、傍観者だ。観ることしかできない、見ているだけの、“役に立たない”男。


 それならいっそ、明かさないでほしかった。明確な悪意の持ち主であったなら、感情を怒りにしてぶつけることができたのに。


 ……でも、単に傍観者だからといって当たるのは。それは本当に正しい事なのだろうか。


 観ていて何もしなかった愚者に憤るのと、“観ていただけ”で、“何も出来ない”目の前の男に怒りをぶつけるのとは、きっと違う。


 少なくともこの男は、信用されないことを、正気を疑われることを覚悟で秘密を明かしてくれた。その事実は変わらない。


 いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、戸惑いを見せるミリエスタに、アザミは思い出したかのように言う。


「一つ、まだ答えてない疑問があったよな。何で俺がネロを取り戻すのに協力したいのか、って疑問だ」


 そうだった。疑うよりも先に知らなくてはならなかったこと。目の前の男が、ネロを取り戻したがっている理由。


 ミリエスタの意識は全てアザミに注がれる。


 アザミは軽く、なんてことないように。




「俺はこの世界が、『TOS』が好きなんだ。特にネロ、メアリス、そして……お前、ミリエスタの三人が」




 ヒュッ、と息を呑んだ。


 世界を愛してるだなんて、そんな大それた言葉をさらりと出すその口は一体なんだと。

 止まらずアザミは言い続ける。


「俺はネロじゃない。だから二人の期待には応えられない。でも俺がネロの体に居るだけで二人がどれだけ悲しいのか、絶望したのか知ってる」


「……だから早くネロの体から去りたいと」


「結論を急ぐなよ。その感情は、俺にはない」


「じゃあなんで、」


 アザミの言う通り、ミリエスタは急いていた。早く知りたいと急いていた。


 だから迷わず答えた。


「悲しみと同じで、ミリエスタとメアリスが、どれだけネロのことを想っているのかも、俺は知ってる。……共感はできないけどな。その感情は、三人だけのものだから」


 それはこの昨日今日とで痛感したこと。理解した気になっていたけど、自分が思うよりもメアリスは。ミリエスタは。ネロのことを想っていて。


「でも、そんな三人をバラバラにさせたままになんていられない。この物語をバッドエンドには終わらせない。終わらせたくない、から……だから、協力させてくれ。俺を利用してくれ。笑いあっているネロ達が、好きだから」


 不意に頭に浮かんだのは、昨晩見つけた写し絵。自分の知らない笑顔を見て、感じたのは疎外感だけではなかったはずだ。


 羨望でもない。今更俺が入り込む余地なんてない。ネロの代わりになれるなんて、到底思えない。


 でも大好きなこの世界で、大好きな人(キャラクター)が笑っていてほしくて。


 それは俺が全力を賭すに十分な理由だった。


「……ふぅ」


 放った言葉はそこまで多くはなかったけれど、込めた想いが今までのどれよりも大きかった。


 全て言い終えたと感じて、上がった呼吸を整えるために小さく息を吐いた。


 感情で説得すると予告したが、想像以上にミリエスタの心に訴えかける理由になってしまった。要約して言えば、“お前達が好きだから手伝わせろ”といったところ。


 アザミ自身も、これだけで心を動かせたか判断がつかない。いずれにせよ最終的なジャッジを下すのはミリエスタで、そのミリエスタはいつの間にか顔を下に向けているせいで表情が伺えない。


 恐る恐る下から覗き込もうとする前に、ミリエスタが顔を上げた。まず目に入ったのは、呆れているような、でも妙に清々しいような表情。


 これはどっちの顔かと疑問に思う前に、ミリエスタは言った。


「ズルいなぁ。ほんとうにズルい。……何を言われても断る気でいたのに、そんなこと言われたら……受け入れざるを得ないじゃないか」


「ってことは、」


「うん。ボクはキミの協力を認めよう。共にネロを探そう」


 まだ疑心は拭い切れていないが、それでもアザミの言葉はミリエスタの心を揺らした。協力するに足る人物だと認めさせた。



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