第四章 愛は定め
第四章 愛は定め 1
一方その頃、黄都が燃えさかる中、月白を連れて脱出した露草は、南西にある枯れた廃村へと辿り着いていた。
そこはほんの数年前までは人口百人程のありふれた農村に過ぎなかったが、ある日を境に突然作物が枯れ、二度と根付かなかった。
作物の育たない土地で農民は生きていけない。
村人たちはそれぞれに縁を頼って散っていった。
村跡には朽ちた建物と、枯れた土地。そして何故か今も生き続けている井戸があった。
露草は提灯を手に村跡をつぶさに調べて回った。
前に来た時から誰か訪れていないか。なにか変わってはいないか。
念には念を入れて確認を行っていく。
露草が確認を終える頃には東の空が暁に染まっていた。
村の中心にある廃屋に露草が戻ると、痛んだ畳の上で膝を抱えて月白が眠っている。
目を閉じ、寝息を立てているところだけを見れば、毛の薄い猿族にしか見えない。
露草は月白の顔の横に手を突いて、その顔に自分の顔を近づけた。
薄暗闇の中で瞳孔の開いた瞳がじっと月白を映している。
まだ幼いが、整ったその顔立ちはもう少し成長すれば誰をも魅了する美貌へと花開くだろう。
露草は恐ろしいほどに嫉妬を感じた。
月白は黒檀に守られて成長してきたのだろうと思ったからだ。
世間から遠ざけられ、あの山麓の狭い世界で生きてきた。
露草は彼女が刀を持って戦う姿も見たので、月白をその外見から箱入りのお嬢様だなんて思わないが、大切に鍛え上げられたのだとわかる。
彼女の刀は誠実だったからだ。露草とは違う。
露草のような悪党にとって彼女のような清廉さは毒だ。
存在していること自体を信じたくない。
思わずその頸に手を伸ばしそうになる。
「ん……」
その時、月白が身じろぎしたので、露草はさっと月白から離れて座った。
人の気配に気付いたのか、月白はゆっくりと覚醒する。
そして少し離れて座る露草に気付いた。
「……露草?」
「おはよう。月白ちゃん。起きちゃった?」
「うん……」
上半身を起こした月白は手のひらで顔を拭い、露草の方を見て首を傾げた。
「露草、何をしてたの?」
この廃村に辿り着いたのは昨夜遅くだ。
今朝早くと言った方が正しいくらいに。
だが着崩れしていない露草の着物を見れば、露草が寝起きでないことはわかる。
そこから露草が寝ていないことは推測できる。
賢い娘だと思いながら、露草は笑みを浮かべた。
「村の様子をね、確認していたの」
「誰もいないよ」
「誰かが潜んでいるかもしれない。黄都から逃げた犯罪者には屋根のあるこういう廃村は便利だから。そう考えたの。でも大丈夫。私たち以外には誰もいなかったわ」
嘘ではない。
黄都から程近く屋根があり、畳があり、生きた井戸があるこの廃村は犯罪者にとってはいい隠れ家になる。
だから露草は時折、この廃村を訪れて後始末をするようにしていた。
せっかく用意したのだから、他人に掠め取られるのは気に入らない。
「なら、もう少し寝よう」
そう言って月白は再び体を横たえた。
だが目を閉じることはなく、露草のことを見つめている。
露草にも寝るように促しているのだろう。
たしかに疲労を感じている。休息は欲しい。
だがその前に確認しておきたいことがあった。
「心配じゃないの?」
月白はあまりにも平常過ぎた。
黄都であれだけの騒動に巻き込まれ、あれだけの死を振りまき、あれだけの敵中に保護者を残してきたというのに、その言動はあまりにも普段通りのものに見える。
「黒檀のことは心配してない。でも不安はある」
「不安?」
「黒檀がいなくなるかもしれないのは怖い」
露草は驚いた。
この娘は相手をおもんぱかる心と、自分の不安を別個のものとして認識しているのだ。
普通はこの年齢でこの二つを切り離して考えるのは難しい。
いや、大人でも分けて考えられるものは意外と少ない。
よくあるのだ。
他人を心配するような素振りで、いや本気でそう思っているが、その実態は自分の不安を押しつけているだけ、というようなことが。
だがそれでも月白も普通の娘なのだと分かって露草は少し安心した。
黒檀のことをなんとも思っていない、それこそ人の心の無いような娘なのではないかと、少しだけ思っていたからだ。
「そうだね、黒檀様とずっと一緒にいたいよね」
「うん。でもお別れは必ずあるの」
「そんなことはないよ。愛する人を永遠にする方法はある」
普通の娘だとわかると、途端に欲が迫り上がってきた。
露草には眩いほどに美しいものを見ると、汚したくなるという悪癖がある。
美しい心を引き裂いて、クソの詰まった臓物を確認したくなるのだ。
「本当に? どうしたらいいの?」
子どもらしい純粋な好奇が返ってきて、露草は嬉しくなる。
思わず言葉がするすると流れ出る。
「殺せばいいのよ。その人をそこで終わりにするの。それでその人は永遠に自分のものになる」
「?」
月白は寝転んだまま首を傾げた。
「誰かを自分のものにすることなんて誰にもできないよ」
子どもらしからぬ正論に露草の笑みが増した。
「できるのよ。誰かを想って心が一杯になっているとき、その人は想っている人のものになっているの。その瞬間を切り取ることができれば、その人は永遠にその人のものになる」
月白は寝転んだまま、少し黙った。
それから起き上がり、膝を揃え、背を伸ばして、きちんと座り、露草と向き合った。
その子どもらしかぬ所作に、露草はわずかに動揺を覚えた。
なにかさらに大きなものと相対しているような感覚があった。
露草が何かを言わなければ、と思ったところで月白の言葉はまとまったようだった。
「露草の言っていること、よくわからない。私が望むのは明日もまたその明日も黒檀と一緒にいられることなの。黒檀が死んじゃったら、それはもう無いよね」
「いいえ、そうなっても黒檀様はいるわ。貴方と一緒にいるの。貴方の心の中に黒檀様はちゃんと息づいているはずよ」
誰より、何より、月白はそのことを知っているはずだ。
露草の推測が正しければ、覚えていなくても、その魂が知っているはずだ。
命を奪うことは、その命を自分のものにすることなのだ。
命を喰らう宝玉であったなら、そうして命を得た存在であるのなら、誰よりもそれを体現しているのは月白なのだ。
「それは思い出。大切だけど、思い出に明日は来ないんだ」
しかし月白は露草の言葉にはっきりと異を唱えた。
それも露草にとって非常に気に食わない答えを。
「へぇ、明日が今日よりも良いものになるって信じているんだ。貴方は子どもだね。私が貴方くらいの年の頃にはそんなもの幻想だってわかっていたよ」
思わず意図しない物言いになってしまうが、止められなかった。
月白ならわかってくれるはずだという思い込みが露草にはあったのだ。
「明日をどう感じるかは自分次第。未来を信じずに努力を怠った人に、より良い明日は訪れない」
まるで説法のような言葉だった。
ほどほどに生きる人々には刺さる言葉なのかもしれない。
自分の頑張りが足りなかったんだろう。もっと頑張っていたら良かった。明日からはもうちょっと頑張ろう。
そう思えたのかもしれないが、露草は血の滲むような努力の果てを知っている。
「未来を信じて努力をしても明日が良くなるとは限らないのが人生なの」
努力だけでは報われない。
生まれが、才能が、素質が備わっていて、初めて努力には意味があるのだ。結果となり得るのだ。
「たとえそうでも、努力したこと。頑張ったことは無くならないよ」
月白の正論は露草には刺さらない。
このような言葉くらいで変わるような人生を送ってきたわけではない。
だがつい声が大きくなるのはなぜだろうか。
「よく頑張りました、ではご飯は食べられないの。結果を出さない努力になんの意味も無いわ」
「でも頑張ったことを自分は知っているよ。誰も褒めてくれなくても、自分だけは自分を褒めてあげられる」
褒める? この血に染まるように努力してきた人生を?
ああ、駄目だ。真っ当な声になんて耳を貸すな。
「貴方はとても幸せな人生を送ってきたんでしょうね。どうしようも無い飢えを、理由の無い暴力を、謂れの無い差別を知らないのよ」
思わず手が伸びた。
月白を害するつもりは無かった。
彼女は黒檀を誘き出すための餌だ。
黒檀の後にであれば殺しても良いが、先には不味い。
黒檀には疑問に思ってほしい。
なぜあの娘が? と露草のことを考えて、頭を一杯にしてほしい。
幸い月白は露草の手がその頸を捉える前に横に倒れ込んで避けた。
そのままぐるりと体を回して、起き上がると、部屋の隅に転がっていた短刀を手にした。
「じゃあ教えて。私はまだ子どもで知らないことだらけだけど、知ろうとする努力をする」
露草もゆるりと立ち上がった。
「じゃあ、教えてあげる。昔々あるところに――」
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