第一章 枯草は燃える 2

 実のところ枯草は鉛丹が訪れるより前から知っていた。


 狐族シエンドのヴァルメルクスなる豪商が、魔王動乱期に失われた宝玉に一億円の値を付けたという話は、裏社会の裏側で確かな筋の情報として出回っている。

 あまりにも大金であるので、誰もこの話を裏沙汰・・・にできなかった。

 これは知っていることを知られたらいずれかの組織に消される類いの話だ。


 百円もあれば普通の家庭であれば一年食いつなげる。千円もあれば豪邸が建つ。一億円はもはやその価値を感じられない。

 枯草の許容値を超えている。


 だがそれでも枯草は気付いた。


 この金があれば国が買える・・・・・

 先の大戦で失われた狼族の国を買い戻せる。


 シルヴァンシェードの森は戦後、狐族が買い取ったと聞いた。

 おそらくヴァルメルクスなる狐族も関係しているに違いない。例え関係していなかったとしても一億円を出せる狐族だ。そいつから交渉の糸口くらいは掴めるはずだ。


 この考えが思い浮かぶまで、枯草は狼族に対してそれほど強い感情を抱いていなかった。正しくは抱いていないと思い込んでいた。

 戦時、枯草はまだ幼かったし、そのまま戦利品として煌土国に連れて来られ、買い手が付かず、組織の工作員として育てられた。

 訓練を受け、さまざまな任務をこなした。猿族とはあまりにも見た目の違う狼族が煌土国でまともな任務などできるはずもない。


 多くは暗殺で、その他もろくなものではなかった。


 枯草は奴隷ではないが、それゆえに自らを買い取る権利すら無かった。

 狼族としての誇りなど忘れた。

 そう思っていた。


 だが違った。


 枯れ果てたと思われた彼の心にはまだ熱が残っていた。

 ふぅふぅと空気を送り込んでやればすぐに燃え上がるような熱い何かが。


 月夜の森林を駆け抜け、獲物を狩る生活。

 そのような極上の夢は、実際には泡沫の夢で、枯草にその金を手に入れる機会などない。

 そう思っていた。つい先ほどまでは。


 鉛丹が組織から受けた命令を想像するのは簡単だ。

 どのような手段を使っても宝玉を手に入れろ、というのがそれだ。

 狼族を集めることから、すでに宝玉の在処については目処がついていると見ていい。狼族が得意とするのは暴力であって、情報収集ではない。


 つまり鉛丹はなんらかの衝突があると考えているのだ。

 いや、不思議なことではない。

 枯草は宝玉の在処についての知見を持たないが、一億円もの価値のあるものがそこらに飾られているとは思わない。

 どこか深いところで、相応の武力によって守られていると見るべきだ。その突破に枯草たち狼族の力を必要としているのだろう。

 戦争には負けたが、個々の戦闘能力において狼族を上回るのは象族フォルトローンくらいのものだ。そして巨体の象族は力こそは強いがその性質は温厚そのもので、荒事に向いているとは言えない。


 誰かしら見張りは付くだろうが、突入部隊は枯草たち狼族が担うことになる。

 ということは枯草たちには直接宝玉を目にする機会があるかもしれない。場合によっては手に取ることもありうる。事と次第によっては、見張りを殺して宝玉を奪って逃げられるかもしれない。そのままヴァルメルクスと交渉に臨めるかもしれない。


 もちろんこの考えを丁字染たち狼族の同胞にも知らせる気は無い。状況がそれを許さない可能性の方が高いからだ。


 だがもし可能であれば、そうする・・・・


 その覚悟を持っていれば、いざというときに体が動くと枯草は知っている。


「で、説明をいただけるってぇ話でしたが?」


“監獄”には中庭がある。

 運動場と呼ばれているが、さまざまな障害物が置かれたそこは普通の運動には向かない。ここは未熟な者たちが訓練を行う場である。

 二藍、縹の部屋を訪ね、大所帯になった一行を先導した鉛丹が向かったのは、この運動場であった。


「詳しい話をする前にお前らの実力が見たい。丁字染は、まあ、一緒に仕事をしたこともあるから知ってはいるが、他の面々が仕事をしてるところを見たことが無いからな。おい、ちょっと一角を借りるぞ」


 鉛丹がそう言うとあっという間に運動場の一角が空いた。

 監獄にいる者は誰もが鉛丹のことを知っている。囚人たちがこっそりと情報共有している“逆らってはいけない人物”の一覧にその名前があるからだ。


「鉛丹様が相手してくださるんで?」


「そんな訳あるかよ。俺にいたぶられる趣味は無い。お前らが戦えるってことを良い感じに俺に見せろ。要は仕事が欲しけりゃ自分を売り込んでみろってことだ」


 自分から巻き込んでおいてよく言えたものだと枯草は思ったが、それを口にするほど愚かではなかった。

 むしろ意外なのは鉛丹が自分の実力をきちんと推し量っていることだ。

 組織で重鎮扱いされていれば、増長しそうなものであるというのに、鉛丹は自分が狼族には敵わないと理解している。


「さぁて、どうする?」


 枯草は一同に声をかけた。


 わざと手を抜いて仕事から抜けることもできる。

 だが国買いの可能性を見いだした今、枯草が自らそうする理由は無い。

 他の面子は気付いているだろうか? 手を抜くことについて、そして国買いについて。


 縹は頭の回る男だ。

 気付いているかもしれない。

 だが基本的に狼族はあまり物事を考える性質ではない。どちらかと言えば枯草や縹が狼族としては変わり者なのだ。


 枯草が縹に目線を向けると、彼はわずかに首を横に振った。

 その身振りを、自分は気付いているが、他の面子は駄目だろう、という意味だと枯草は受け取った。

 枯草は縹に向けて小さな身振りで答えを促す。


「……鉛丹様はさぁ、丁字染の強さなら合格だぁつうことなんだから、うん、丁字染と戦って見せるのが一番じゃあねえかな」


「いやいやいや、三連戦はきついよォ」


「なら丁字染が縹とやる。勝ったほうと俺。勝ったほうと二藍だ。これなら一定の水準を満たしつつ、それぞれの強さが、それとなくわかる感じになるはずだろ」


「それってよォ結局俺の三連戦にならんか?」


「条件はどうするよぉ」


「鋭いものと殺しは無しだ」


「聞いてるゥ?」


 刃物、それと爪と牙を禁止すれば、勢いを間違えて殺してしまうようなことは、まあめったには起こらない。つまり――、


「じゃれあいだな」


「三連戦」


「そういうことだァ」


 だが遊びではない。

 本気で殺し合うようなことはしないが、有用な人材であることは示さなければならない。

 枯草が流れで決めたように見えた順番だが、実はそうではない。丁字染は縹より強いが、今回の禁止事項があれば縹が勝つだろう。縹はおそらく枯草との手合わせでは手を抜く。二藍と枯草は、まあ勝敗は正直わからないが、良い見世物にはなるだろう。


 これは全員が採用されるための順番だ。

 縹も気付いたはずだ。

 もし参加したくないというのなら丁字染相手に無様に負ける演技をすればいい。狼族は基本的にそのようなことはしないから、疑われることはないだろう。

 だが枯草がこの順番を選んだ意図に縹が気付いているのであれば、縹は勝ちを取るだろう。


「さっさと始めよォかね。鉛丹様、一対一を三回、それでよろしいですか?」


「やり方は任せる。いつでもいいぞ」


「じゃあ、丁字染と縹からだ。開始の合図はいるか? いや、もう始まってることにするかぁ」


「応よ!」


 丁字染が先手を取るために縹に向かって地を蹴った。

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