九番目の貴方へ
二上たいら
序章 貴方を愛しているから
注)
この作品は当時の文化水準に基づき執筆されており、特定の民族性別思想を貶める意図はありません。また日本語への翻訳にあたり、わかりやすいよう意訳されている部分があります。
☆★☆★☆
この国は滅亡に瀕している。
何を馬鹿な、と思うだろうか。
八大知的種族のうち七種が参加した先の大戦で
政治家は腐敗し、国民は愚かで救いようがない。
この国に民主主義はまだ早すぎた。
将軍は実権を失ったものの、旧大名たちは今でも上院議会に議席を約束されている。
煌土国の最高意思決定者である大統領を指名するのは、国民が選挙によって選んだ下院議員たちだが、そのほとんどが旧大名の縁者だ。国民は国の未来のためではなく、自らの利権に絡む立候補者に投票している。
そして結局、今の大統領は旧大名家の出身なのだ。
もちろん誰もがその状況を良しとしているわけではない。
いま大通りに面する集合住宅の三階部分から、外を覗う猿族の青年がいる。
上等な絹の着物に身を包み、髪や髭はよく手入れされ、袴から除く足元は海外製の革の深靴がある。外見から良家の子弟だというのがわかる。
彼の名は
煌土国の未来を憂慮する志士だ。
曇った硝子の向こう側では、通りを埋め付くさんとする群衆が、大統領の乗った車列が通るのを今か今かと待ちわびている。
愚衆め。と青鈍は吐き捨てた。
あの中に一割も、いや一厘でも強い志のある者がいればすべては変わるはずなのだ。
青鈍は窓から離れ、戸棚に立てかけてあった長銃を手に取った。
青鈍の理想に共感する理解者から入手した銃だ。
彼らは青鈍の思想に共感を示し、最大限の助力を約束してくれた。
資金、武器、情報、青鈍が欲したものは数日のうちに手に入った。
この長銃もそのひとつだ。
青鈍が銃口を覗き込むと螺旋状に刻まれた溝が見える。
これは煌土国ではまだ出回っていないライフルという銃だ。
煌土国で一般的なマスケットと比べると射程距離がずっと長い。
青鈍は従軍経験が無く、このライフルを手にするまで銃を撃ったことはなかったが、この一か月の間に百メートルほど離れていても必要な範囲に弾を当てられるようになった。
百メートル離れた移動する目標を必ず撃ち殺せる、とは言わないが手傷を負わせる自信はある。
そしてこの部屋から街道の中心点までは五十メートルも無い。
警備兵は街道沿いに群衆に目を光らせている。
襲撃者がマスケットを撃ってくる可能性は考慮しているようだが、ライフルまでは考えていないようだ。
つまり、殺せる。この国の最高意思決定者を。
現大統領が諸悪の根源だというわけではないが、この国を変える一撃になる。
少なくとも青鈍はそう信じている。
協力者もそう言っていた。
歓声が大きくなって、大統領が近付いてきたことを青鈍に伝えてくれる。
ライフルを持った彼の手に震えは無い。
強い信念が彼を支えている。
青鈍は窓際に向かった。
こんこん。と――、
部屋の扉を叩く音がした。
青鈍は無視することにする。
しかし――、
こんこん、こんこんこん。
がちゃりがちゃりと扉の取っ手が錠前に遮られる音がする。
「ねー、ねーえ、いるんでしょう?」
それは若い女の声だった。
青鈍は部屋の隅に目線を向ける。
そこには首を切られて血だまりに倒れ伏した若い男性の死体が転がっている。
「ごめんってばぁ、昨日言ったことは謝るからぁ! ねえ、開けてよ。ねーえ!」
青鈍は死んだ青年が倒れている傍の戸棚の上に伏せられた写真立てがあることに気が付いた。
そっと起こすと、先ほど青鈍が殺した青年と、彼に寄り添う若い猿族の女性が並んで撮られた写真があった。
「愛してるからぁ。昨日あんなこと言ってごめんってばぁ、ねぇ聞いてる? 聞こえてるんでしょぉ? 開けてよ! せめて顔を見て話ししよって。ねえ!」
女の声は甲高く、だんだん音量も大きくなっていく。
すぐに扉を破られることはないだろうが、人が集まってくるのは青鈍の本意では無い。捕まる覚悟はしていたが、可能であれば逃げおおせたい。
青鈍は問題に対処することに決めた。
扉の鍵を開け、女を室内に引き込み、口を塞いで首を掻き切ることにする。
青年を殺した刃物を手に、青鈍は扉に歩み寄って、自然とのぞき穴を塞ぐ金具を指で押し上げて覗き込んだ。
そこに見えたのは廊下に立つ一人の女性だった。
だがその姿は青鈍の想定とは異なっていた。
頭の上に大きな耳のある金髪に碧眼。少女とも大人の女性とも言えるような女ではあったが、猫族だった。
彼女は渋面を満面の笑みに変え、手にした巾着袋に手を伸ばすと、手を引き抜き――、
「さようなら」
と、言った。
のぞき穴に顔を寄せていた青鈍の瞳に最初に飛び込んできたのはのぞき穴の
脳みそをズタズタに引き裂かれた青鈍の頭部は後ろに倒れたが、力を失った肉体は前に、扉にもたれかかるように倒れていった。
☆★☆★☆
扉の向こう側、部屋の外、廊下では金髪の女が硝煙の上げる拳銃を手にした赤い巾着袋に入れ、指先で大きく回しながら歩き出した。
「ほんっとーに、心から愛してる。今でも君を愛しているよ、青鈍くん」
花が綻ぶような可憐な笑顔で、鼻歌でも歌うかのように音頭を取って、足取りも軽く女は廊下を歩いて行く。
「君の境遇に心から同情する。心から共感する。本心だよ。本心だとも。君のために流した涙は嘘じゃない。辛かったろう。悲しかったろう。悔しかったろう。何よりも正義のための怒りがあったね。理想のために犠牲を厭わない崇高な理念があったね。わかる。よぉーく、わかるよ。青鈍くん。この国は腐っている。上から下まで。何から何まで、理想に排泄物を塗りたくってできた国だ。まさに汚泥だ。腐臭を撒き散らす化け物さ。そんな糞みたいな国……でなくちゃあ困るんだ」
建物を出れば外は大統領の行進を見ようと集まった群衆が人だかりを作っていた。
女はその中に紛れ込む。
立ち去るでも無く、まるで無害な一市民としてそこに残った。
「政治家、活動家、企業、犯罪組織、みぃんな泥水を啜ってるのさ。黄金色の泥水をさ。ごくごく、ごくごくって。ああ、悲しいねえ。悔しいねえ。君の怒りを私は愛するよ。ありがとう。死んでくれて。私に今夜の糧をくれて。今夜は神にでは無く、君に祈りを捧げるよ」
そして大統領の乗った車列がゆっくり、ゆっくりと進んできた。
人々が熱狂の叫び声をあげる。
女も声を合わせて手を振った。
その後、大統領が無事大通りを抜けていった後、彼女の巾着袋がいつの間にか少しだけ重くなっていた。
中に手を入れて探るといくらかの金と紙片が一枚、それから銃弾の補充が入っている。
「うへぇ、監獄に戻れって? “宝玉”だかなんだか知らないけどさあ。そんな任務に私を愛せる程の男がいるとは思えないなあ。私はいつでも愛してあげるけど、いつか愛されたいなあ」
猫族の娘はハァと熱っぽい息を吐く。
「すべてを出し切って、敵わなくて、押し倒されて、そして彼のモノが私を貫くの。深く。深く。取り返しの付かないところまで。そうしたら言ってあげるんだあ。もう私のすべては貴方のモノだよって。誰にも奪えないよ。ずっとずっと貴方と一緒に居てあげる。きっと皆も私と一緒に居るから、ね。ちっとも寂しくないよ」
愛について語る彼女は見た目以上に幼く見える。
しかしその表情はまるで泥のように変化した。
「はあ、あんな野蛮な連中と一緒に行動するとか。まあ、鉛丹様には借りもあるし、今回は我慢我慢」
猫族の娘は東に向け歩き出す。
求めるのは“宝玉”ではなく、愛であった。
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久々の新作となります。
毎日更新できるよう頑張りますので、
是非フォローと☆☆☆をよろしくお願いいたします。
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