新世界。

第1話 第2副都心。

 《号外ー!号外だよー!新薬の発表だー!》


 世間を騒がせた抗生物質の存在を、国が認め、承認する事となった。

 コレでもう、カビの性質に悩まされる事は。


 ドンッ!


 大きな音と共に突風が吹き。


「…み、君、だ……ぶかい」


 自分はいつの間にか地面に倒れていた。

 そして、耳が。


「すみません、耳が、聞こえないみたいで」

「ち……で、ばく……が有ったんだ。ひな…しよう、ゆう……する」


「すみません、聞き取れないんですけど、お願いします」


 てっきり、僕の手が震えているのかと思った。

 けれど、震えているのは警察の制服を着た彼の手だった。


 僕は何も分からないから、ただ動揺しているだけだけれど。

 彼は見て、知っているんだ、僕の後ろで何が起きたのか。


 振り向こうとした僕を少し強引に御し、前へ。


 分かっていた。

 けど理解したくなかった。


 もし理解してしまったら、僕は彼の様に震え怯える事になってしまう筈。


「い……所があっ……言って下さい」

「何処も痛く無いんですけど、トイレには行きたいですね」


「……そいますから、戸を……て貰えますか」

「お任せします、全て。ありがとうございます」


 それから最寄りの公共施設に入り、トイレに向かい、目の前で用を足す事に。

 正直、お互いの為とは言えど気まずい。


 でも、こうして用を足した後に倒れる人も居ると聞くし。


 僕は、敢えてトイレの鏡を見なかった。

 何処かに怪我をしていると認識したら、きっと痛みを感じてしまう筈だから。


 何も見ず、聞かず。

 僕は黙ったまま、救急隊が来るまで小さく丸まっていた。




「どうやら耳が聞こえ難くなっているみたいで、痛みは訴えて無かったんですが」

『トリアージレッド!搬送最優先患者!!』


 救急隊員が言っている事は、理解出来た。

 警察学校でも習っていたから。


 けれど彼は歩いて、トイレにも行き。


 確かに少し目を離した。

 震えも無しで、俺には仕事が他にも。


「あの、トイレにも普通に」

『尿の色はどうでした確認しましたか』


「いえ、ですけど目には入って、多分、普通だったと思います」

『地面に倒れていたんですよね』


「はい」

『分かりました、後は我々にお任せを』


「はい、宜しくお願いします」


 警官としては不適切かも知れない。

 道すがら、唯一無傷で倒れていた彼の事ばかりを考えるのは、不適切かも知れない。


 けれど、せめて彼だけでも救えたら。

 あの惨事の中、彼だけでも。


《お疲れ》

「あ、はい、どうも」


《現場の近くに居たんだってな》


「はい」


 無線連絡が有り、車内に入り応答している最中だった。

 少し遠くで轟音がしたかと思うと、暗くなり。


 車外で対応中だった先輩は、瓦礫の中に消えた。


 俺は気が動転し、音の発生源へ向かって行った。

 もし犯人が居るなら、捕まえるのが1番だ、と。


 けれど、それは本当に間違いだった。


《誰かは救えたんだ、まだマシだ》


「でも、俺」

《無事らしいぞ、こう言う時、少し位会うのは許されてんだ。相手と医師が許可すればな、ほら、搬送先と病室の番号だ》


「本当に、良いんでしょうか」

《ログインしてみろ、項目が増えてる筈だ》


 大先輩に促され、仕事用のスマホを見ると。

 確かに、甚大災害後休暇、及び面会特権の項目が増えていた。


「コレ、先輩は」

《俺は、気にするな、ちゃんと休暇は取る。コレも義務だからな》


 注意事項には、医師が許可を出すまで有給休暇扱い、又はデスクワークへの臨時配置となる事が記載されていた。

 そして、今回の件で殉職した者の名も。


「先輩」

《だからだ、休め、俺に命令させるな》


「はい」


 出来るだけの事はした。

 けれど、仕事をしていないと、どうしても後悔が。


 いや、だからこそ、救助した相手に会えるのかも知れない。


 彼は、会ってくれるだろうか。

 彼の不調に気付けなかった俺を、許してくれるんだろうか。




「ありがとうございます、案内してくれて無かったら死んでたらしいんですよ、本当にありがとうございました」


 彼の顔を見て、直ぐに分かった。

 僕を助けてくれた警官だと。


 だからこそ、嬉しくてお礼を言ったのが。


「恨んで、ませんか」

「そんな、内臓損傷が激しくて、血尿が出る前だったから無理ですよ。僕は本当に何も感じて無かったんですから、寧ろ目覚めてから、術後の方が大変で。だから、ありがとうございました、見ない様に誘導してくれたお陰です」


 現場の人程、大変だろうと思った。

 僕は寝て起きて、また寝て、起きたら病院だった。


 未だにカテーテルは入ったままで、しかもじわじわとまだ痛いし、リハビリも待ってる。


 けれど、彼はずっと仕事を続けていたんだと思う。

 休みなく現場に出ている者も居る、だからどうか決して非難しないで欲しい、怒りの矛先は犯人へと向けて欲しいと。


 警察のトップの人も、国の人も悔しそうに話していたし、ニュース映像も見た。

 僕は被害者だけれど、本当に何も知らないままで。


「生きててくれて、ありがとうございます」

「アナタのお陰です、コチラこそありがとうございます。座りませんか?面会に来てくれたんですよね?」


「はい、それと、お見舞いにも。なんですが」

「あ、品物の譲渡が禁止なのも理解してますから、大丈夫ですよ。それに、謝罪が禁止なのも」


 非を認めた、として訴訟沙汰になってしまうからだ、と。

 救護に当たった者からの面会要請を受けるかどうかで、そこも念押しをされていたし。


 説明してくれた人も、謝りたくても謝れないって言ってたし。


 彼も、凄く歯を食いしばっているし。

 手、凄い握り込んでるし。


「断る事でアナタに不利益は」

「あ、嫌なら構いませんよ、僕は本当に何も見て無いんですから。思い出しちゃいますよね、僕を見ると」


「いえ、違うんです、念の為に」

「どうぞ、何を話しましょうか」


「マニュアルには、体験を、と」

「あー、あの尿意が、内臓損傷の影響だったなんて驚きだって事ですかね。確かに良く考えれば内臓を圧迫してるからで、でもあの日、コーヒーがぶ飲みしてて寝不足だったんですよ。本当に、それで、現場になった所に行って、その帰りなんです」


「あ、あの製薬会社の」

「はい、まぁ、あの新薬については全く知らないですし、犯人でも無いんですけどね」


 起きて直ぐに念の為にと事情聴取をされたけれど、僕はβで、本当に事件には全く関わっていない。

 寧ろ新薬の事は僕には嬉しい情報だった、コレで知り合いも苦痛から解放されるし、僕はαになりたかったし。


「あの薬については」

「僕βなんで、αになりたかったんですよ、好きな相手がΩだから。だから、号外を見た時、凄い良かったって思って。で、気が付いたら地面に倒れてて、震える位に凄かったんですよね、すみません」


「あ、いえ、少し。殆ど煙で見えなかったので」

「少なくとも僕は助かりました、ありがとうございます、大事にします」


「使うんですか、新薬」

「はい、適合試験の結果が出てから、ですけどね。話して、受け入れて貰えたら、ですけどね」


「その、差し支えなければ」

「良いんですか?惚気ますよ?付き合ってもいないけど」


「はい、俺、出来れば事件に関わらない事が聞きたいんです」

「良いですよ、じゃんじゃん出せますから」




 彼は、とても嬉しそうに話してくれた。

 猫の様に気紛れで、気高く、惚れたら尽くし過ぎる相手なんだと。


「どうしたんですか」


 特別面談は3回まで。

 それ以上は利害関係が発生し、問題が起きる事例が多い事から、届け出た日と場所だけでしか会えない。


 今日は2回目。


「βだからって、恨まれてたみたいなんです。全然、気が付かないバカで、だからαにさせたんだって。βになってたんです、結婚相手と、結婚してたのも知らなかったのにって」


 成功しても、失敗しても、報告をしてくれると約束してくれた。

 だからこそ、まさか、そんな事が。


「詐欺で」

「良いんです、きっと僕は恨まれる様な事をしたから、だから。もう良いんです、他の理由でもαになりたかったので、仕事をもっとしたかったんです。稼いで、幸せにしたいって、でもそれが嫌だったって。恩着せがましい、余裕が有るヤツや嫌いだ、とか、いつもなら寝て起きれば多少の事は平気なんですけど。眠れないんですよね、αって、動けば寝れるかと思って動いても体が付いていかなくて」


「まだ退院して」

「代わりに死ねば良かったのにって、言われたんですけど、それは言い返しましたよ。助けてくれた人に悪いから、絶対に死なないって、そしたら唾を吐き掛けられて立ち去られて。やっぱり、僕ってβだなって思ったんですよね」


 αは非常に好戦的で、傷害事件の加害者の何割かはα、そして相手もα。


 ホルモンの分泌量から、仕方が無いとは言われているが。

 Ω特区との傷害事件発生率とは明らかな差異が有る、そして俺も体感している、殆どの仲裁はα同士。


 βは温厚だ。

 だが。


「まだ、好きなんですか」


「分かんないな、あまりにも衝撃的過ぎて、何も分かんないんだ」


 俺はαだ。

 幾つもの試験をクリアし、穏やかさを持つαの警官として働いていた。


 けれど。


「凄く俺はムカつくんですが」

「ごめんね、こんなαで」


「いや、そうじゃなく」

「疎まれるだけの何かをしたんだよきっと、幼馴染だったから、蓄積してたんだと思う」


 果たして、本当にそうなんだろうか。


「少なくとも俺は」

「付き合いが浅いし、あまり僕の事を知らないからだと思う」


「新薬は」

「暫く無理だろうし、αやΩの数がかなり変動しているからね、隠れたリスクが出るかも知れないから。3年は無理なんだ、それに、3年後に必ず服用出来るワケじゃない。服用出来ても元のβに戻れるとは限らない、本来なら1度だけの使用を大前提に作られた薬だからね」


 だからこそ、怒りが湧いた。

 人生を左右させる程の決断をさせ、傷付けた。


 本当に、彼が何かをしたのか。

 信じたくない、有り得ない、と。


「何か、誤解が」

「もう良いんだ、別に死なないし。ありがとうございました、こんな事知り合いには言えないし、聞いてくれてありがとうございました」


「待って下さい」

「また会うと、凄い愚痴ばっかりになりそうですし、すみません良い報告が出来無くて」


「カウンセリングを」

「勿論、コレは流石に相談しないと難しい事なので。本当にありがとうございました、また何処かで会えたら、立派なαになったって思って貰える様になります。本当に、ありがとうございました」


「まだ、もう1回」

「本当に、愚痴しか出ませんよ、ウジウジして、もっと後味が悪くなるかも知れません。だから、そうですね、1年後はどうでしょう。もう、凄いモテモテで自慢しちゃうかも知れませんし」


 真っ白な顔で、柔らかい笑顔で。


 彼が、本当に酷い事をしたんだろうか。

 本当に、彼が何を。


「分かりました」

「じゃあ、また」


 俺は彼の名前すら知らない。

 けれど多くの事を知っている。


 彼の誕生日も、趣味も、仕事先も。


 彼が謗られる様な人間には思えない。

 どうすれば支えられるのか、どうすれば。




《ごめんなさい》


 告白してから3ヶ月後、僕は急に現れた、かつての片思いの相手に謝罪されている。


「あの」

《あの時は近くに恋人が居て、あぁ言えって。でも、分かれたし、まだΩだから》


「えっ、でも、ココ特区じゃないのに」

《どうしても本当の事を言いたくて、知り合いに手伝って貰って》


「うん、ありがとう。でも直ぐに帰った方が良いよ、君と周りの為にも、医療タクシーを呼ぶから」

《待って、お願い、許して。あんな事を、本気で言ったワケじゃないんだ》


「うん、分かってる、αの支配下にあったんだよね」

《そうなの、本当にごめんなさい、本当に》


「うん、分かった、でも今日は帰ろう?」

《番を解除されたの、お願い、捨てないで》


「うん、会いに行くよ、だから待ってて、直ぐに行くから」

《約束だからね》


「うん」


 どうして、僕はこんな相手が好きだったんだろう。

 弱さも好きだったし、全てが好きだったのに。


 どうして、こんなに面倒で堪らないんだろう。


 僕がαになったから?

 αは、全てこんな風に思っている?


 でも、あの警官はαの気配がしたし。

 あの人に限っては、そんな風には。


 どうしているんだろう。

 僕は本当に平気になれたし、けどまだ心配しているかも知れない。


 でも、会えるのは残り1回。


 どうせなら結婚してから会いたかったのに。

 コレで申請を変更したら、心配させてしまうんじゃ。


 でも。


 あぁ、あの近くなら。

 無理か、もしかしたら配置変えされてるかも知れないし、それこそ偶々通りがかっただけかも知れない。


 でも、申請する前に試してみても。

 どうせあまり眠れないし、時間に余裕は有るんだし。


 うん、探してみよう。

 出来るだけ偶然を装って、自然に。

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