1章-3.異変(2) 2020.8.20

 振り下ろされた刃は、ユミの首筋にわずかに触れたところで止められていた。


「気が変わった」


 どうやらもう一人、フードを被った少年の他に人間がいる。

 ユミは首だけで振り返りその姿を視界の端に捕らえる。その人物は、少年からナイフを取り上げ、ユミの上から退くように指示していた。

 解放されたユミは上半身を起こす。まだ足元は固定されていて動けるのは上半身だけだ。上半身をひねり背後をしっかりと確認すると、先ほどまで自分を殺そうとしてきたフードを被った少年と、茶髪の青年がいた。


 茶髪の青年の切れ長の目、瞳は濃い茶色だが、赤みがかったラインが瞳孔に向かって数本入っている。そんな不思議な目をしていて非常に印象に残った。

 175センチメートルほどの体格で歳は10代後半か20代前半かくらいに見える。


 ユミが相手を観察しているうちに、ユミの足先から太ももあたりまで固定のために刺されていたピンは少年の手によって地面から抜かれ、下半身も自由になった。


 なぜ解放されたのかさっぱり分からない。

 2人がかりならば、武器のない自分など驚異でもなんでもないということだろうか。

 

 だが、実際のところ2人の人間を目の前にして逃亡できるなんて思えなかった。

 本能的に分かるのだ。逃げ出す隙なんて一切ないという事が。自分にはこの状況を覆せるような行動を起こすことが出来ない。自分の命は彼等に握られているのだと本能的に分かってしまう。


「俺はシエスタ」


 茶髪の青年はシエスタと名乗り、にこやかに笑う。どこか嘘っぽいその笑顔にユミは更に警戒する。


「君は、死にたい?」


 シエスタはしゃがみ込み、地面に座ったままのユミと視線を合わせてくる。顔を覗きこまれたことで不思議な色彩を持つ瞳が間近に見えた。


 何となく分かる。これは人生の岐路だ。

 ここで死にたいと言えば殺されるだろうし、生きたいと言えば生きられるのかもしれない。


 シエスタの問いかけに逃げ場はない。まっすぐに目を合わせられ視線を逸らすことすら叶わない。

 今ここで、どちらか答えなければならない。

 そんな気がした。


「生きたい」


 ユミは答えた。これは紛れもない本心だった。

 何も分らないまま死にたくなどない。生きていたい。

 たとえどんな地獄が待っていたとしても、生き続けていたい。

 

「おっけー」


 シエスタはニコリと笑うとユミに手を差し出した。不思議な色彩の瞳に吸い込まれるように、ユミは出された手を掴もうと地面に付いていた右腕を上げた。

 けれどすぐにハッとして固まる。


 何故自分はこの差し出された手を掴もうとした?

 こんなに嘘っぽい怪しい人間の手なんか、どうして。


 しかしその時だった。ガシッと右腕を掴まれ無理矢理に引き上げられる。


「嫌っ!」


 とっさに抵抗するも無駄だった。気が付けば両肩を掴まれ、完全に目を合わせられていた。

 シエスタの瞳の赤いラインが太く大きくなっていくように見える。


「ちょっと眠ってて」


 額にガンッと強烈な衝撃が走ったと感じた時には、ユミは遠のく意識を必死で掴もうとしていた。

 ここで気を失ったら絶対にダメだ。そう強く念じるが、体中の力が抜けていく。そして数秒後には、ユミは意識を完全に手放してしまった。

 薄れゆく意識の中、暗転していく視界に、シエスタと名乗った男の苦笑いする顔が見えた気がした。


***


「まさか、催眠に抵抗されるなんてね。これは化け物かもしれない」


 シエスタは意識を失い力の抜けたユミを肩に担ぎながら言った。


「いや、確実に化け物っしょ。絶対一般人じゃねぇよ! 何で怖がらねぇの!? 命の危機でしょ!? しかもチェーンソーとか重いもん軽々ぶん回してるし、意味分からなすぎ! それに人間殺す事にも全く抵抗無さそうだし……」


 未だに少し不機嫌な様子のフードの少年は荒っぽく答える。


「まぁねぇ。この子は狂気に染まってるから……。目を覚ました時には正気に戻ってくれていたらいいんだけどね」


 シエスタはそう呟くように答えて苦笑した。

 

「で、どうすんの? そのお姉さん。そんな化け物扱える人いねぇよ」

「ん-? とりあえずシュンレイさんに引き渡す。あの人なら何とでもできるだろうし、それになんか面白そうだし」

「はぁ? 面白そうってなんだよ。面白そうって……。何も面白くなくね?」


 フードの少年は会話をしながらも、淡々と周囲の後片付けを行う。弾き飛ばされた自身の武器、使用したピン、ユミのチェーンソーやカバンを丁寧に回収していく。


「ちな。今日殺されたバカップルって一般人じゃねぇの?」

「いや、らしいよ。一般人に溶け込んでる系で死んでも問題ない人間。というかもはや生贄だよねぇ」

「マジ?」


 フードの少年はドン引きと言わんばかりの表情を見せた。


「警察さんの資料見てない? 生贄リストも入ってたでしょ」

「生贄リストって……。言い方よ言い方。そこまで見てねぇよ」

「それは事前に見ておけ」


 シエスタは少年の頭に軽くチョップした。


「ぐぇ。わーかったよ」

「分かればいいよ。さてと。片づけも問題ないみたいだし。報告しに帰ろうか」

「りょ!」


 少年の元気な返事を最後に、二人は気絶したユミとユミの持ち物を全て回収してbarへと戻っていった。

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