1章-3.異変(1) 2020.8.20

 次のターゲットは……。と、ユミは鼻歌を歌いながら感覚を研ぎ澄ます。静かな夜の道を歩き次の気配を探しはじめた。

 しかし数十分ほど歩いたが、最初の2人以降、人の気配が全く感じられない。これはおかしい。本日2回目の違和感を覚えてユミは足を止めた。


「今日はもう帰ろう……」


 何となく今日はもうやめておこう。直感的にそう思った。ユミは自宅の方向へくるりと向きを変える。そして一歩足を踏み出した時だった。


「っ!?」


 その方向に顔を向けた瞬間、ユミは驚きのあまり声にならない声を上げ瞬時に身構えた。

 視界にとらえたのは、わずか5メートルほどの距離に佇むフードを深くかぶった少年の姿だった。


 いるはずがない。

 絶対に存在してはいけない。

 なぜなら、周囲に生き物の気配なんて一切無かったのだから。


 この異常事態に、一瞬にして脳内では大音量の警報が鳴り響く。


「ねぇ、お姉さん。この辺でチェーンソーを振り回す女の子知らね?」


 そんなユミの状態とは裏腹に、フードを被った少年は不敵に笑いながら落ち着き払った声色で尋ねてくる。長く黒い前髪から覗く灰色の瞳がギラついている。

 少年の言葉、態度、表情、そして纏っているオーラ。その全てが異質で異様。


 だって明らかにおかしいのだ。真夜中に血まみれのセーラー服を着た人間にそんな問いかけをするという事自体が。

 

 いつからいたの?

 どうしてそこにいるの?

 なんで逃げないの?

 なんで笑っているの?

 

 分からない事ばかりでユミは混乱する。


 また同時に、心臓を周囲から細い針で刺されるような感覚がする。この初めての感覚にユミは戸惑いを隠せない。

 焦りや不安からか、体中に嫌な汗をかいている自覚もある。体が本能的に危機を感じてパニックを起こしているのだろう。どくどくと早まる鼓動は自覚できるほど大きな音で、生唾を飲み込む音はそれよりもはっきりと聞こえた。


 ただ、そんな正常ではない今の自分でも、これだけは確信を持って分かる。


 


 ユミは静かにスポーツバックからチェーンソーを取り出し、手際よくエンジンをかけた。

 こんな異常事態でも、迷いなく無駄なく動く手足は非常に優秀だなと思う。ブォオオオオンと軽快にエンジン音がしてチェーンソーの歯が回転し始めた。


「へぇ。大当たりじゃん。チェーンソーを振り回す女の子みっけ!」


 チェーンソーを目視した少年はニィっと笑って両手にナイフを持つ。そして一気にユミの方へ飛び掛かってきた。


 直後にはキンッと金属と金属がぶつかり合う音が響き渡った。少年が持つナイフの刃とユミが持つチェーンソーの歯がぶつかり合う。

 無回転状態で受け止めたナイフを絡めるようにして、一気にアクセルを押し込み回転力でナイフを薙ぎ払い弾き飛ばした。

 ギギギギィイイイイインと異常な音を鳴らすチェーンソーをその勢いのまま少年へ押し込んだ。


「いいね! やるじゃん!」


 しかし、少年は飛びのいてユミの攻撃を軽々と躱してしまう。


「今のを止めちゃうか~。お姉さん絶対完全にでしょ~。こんないねぇよ」


 少年は相変わらず不敵な笑みを浮かべながら言う。右手に持ったナイフをくるくると回し手遊びをしているようだ。


 何を言われているのかは分からない。ユミは少年の手の上でくるくる回るナイフを見て、右利きなのかな、などと思う。


 ユミは直感に任せて少年の左側から回り込むように距離を詰めてチェーンソーを振るう。避けられることは想定済みで、畳みかけるように死角から攻撃を繰り出す。

 だが、何度振るっても刃は届かなかった。


 埒が明かない。

 どうしたらいい?

 どうしたら殺せる?


 思考しながらも、チェーンソーを振るい続けていた時だった。

 一瞬にして足を掬われた。

 

 どこから攻撃された?

 わからない。

 

 途端に体のバランスが崩れていく。

 

 やばい! やばい! やばい! やばい!!


 完全に転ぶ直前でユミは体を捻り、軸足を地面につき踏ん張る事で何とか転倒を免れた。

 だが、この隙はあまりにも大きすぎた。


「いない……」


 すぐ近くにいたはずの少年の姿をとらえられない。とっさに振り返るがそこにも姿はない。当然気配もない。


 まさか上!?


 見上げるよりも先に背中と右腕に衝撃が走って、ユミは顔面から地面に倒れた。

 背中に乗られているのだろう。全く身動きができない。チェーンソーは手から離れスピンしながら遠くへ行ってしまった。起動状態の控え目なエンジン音だけが聞こえてくる。

 両腕も少年の足で押さえつけられて動かすことができない。足はピンなどで止められているのだろうか。痛みこそないが動かすことができない。


「狩られる側ってどんな気持ち?」


 少年の声が降ってくる。


「さてと。どうやって殺そっかな。爪でもはぐ? 末端部から刻んでこか? お姉さんどんな死に方したい?」


 ニヤニヤと笑ってそうだ。目視こそできないが声色から容易に想像できる。


「なんで……?」


 ユミは小さく言葉を吐き出した。

 何故自分は殺されなければいけないのだろう。理由が分からない。

 何で自分はこの少年に拷問を受けて殺されなければならないのか。


「そりゃ、仕事だから」


 少年から返ってきた言葉に更に疑問が膨らむ。

 

 仕事?

 一体何の仕事だというのか。

 何も分からないまま、自分は殺されるというのか。


「俺は殺し屋。だから仕事って事。はぁ。もういいか。お姉さん全然怖がってくれないじゃん。分かってる? これ絶体絶命だよ? 普通は泣いたり懇願したりするんじゃねぇの?」


 そういうものなのだろうか?

 普通とはどうすればいいのか。よく分からない。


「俺優しいから、一思いに殺したげる。じゃぁね、お姉さん楽しかったぜ!」


 地面に映る、街灯に照らされて出来た少年の影で分かる。少年は右手に持った長めの刃先を持つナイフを振り上げ、勢いよく振り下ろした。


「おい」


 しかし次の瞬間に聞こえてきたのは少年の唸るような低い声だった。


「どういうつもり? ねぇ、シエスタ」


 不機嫌丸出しの少年の声。首筋にわずかに触れる金属の刃先の感覚。どうやらユミは殺されなかったようだ。

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