第2話 三秒で終わった採用面接と、仕事紹介



「採用」

「え」

「……」

「……」

「なんだ、働く気がないのに来たのか?」

「いえそんなことは」

「では働け」

「はぁ。えっと、じゃあ明日からよろしいでし」

「今すぐ」

「え」

「今まさにこの瞬間から働け。無論日当は出す」

「え、えーっと」

「とりあえずお茶。給湯室はあっちだ。服はそのままで結構」

「……はい」

 有無を言わせぬ迫力に押され、気が付けば幸は給湯室のポットに水を入れていた。

 面接とはああいうものだっただろうか。

 沸騰の赤いボタンを押してから、幸は腕組みをして考えた。前日にあれだけ気合を入れて書いた履歴書が僅か三秒で脇に放り投げられた。確認があったのは名前の呼び方だけ、その後服装チェックなのか頭からつま先までしげしげと眺められつつ、その直後に冒頭「採用」の一言があったのである。

 変な人だ。

 今般幸の雇い主となったあの人物。見た目は結構、いやかなり整っており、身長が高かった。年の頃は三十を越えたくらいだろうか。目は切れ長で、声は少し低め、張りがある。履歴書を持つ手が端整で、指が長かった。薬指に指輪はない。端的に言うと女性に大変モテそうなタイプである。

「……どれ?」

 考えながら戸棚を漁っていると、目的の茶葉はすぐに見つかった。しかし幸の独り言の通り、これでもかというほど種類が多い。

 見た目からコーヒーが似合いそうな人だったが、並んでいるのは昆布茶だのほうじ茶だのそんなものばかりである。そして申し訳程度に何故か隅っこに蓮茶が鎮座ましましている。

 なんで日本茶九割で蓮茶が一割なのか。最もメジャーどころのコーヒーとか紅茶とかないのか。明らかに変だ。

「梅昆布茶」

「ひー!」

「驚きすぎだ」

「い、一体いつからいましたか」

「さっき」

「そ、そうですか」

 突然背後からかけられた声にまだばくつく心臓を押さえながら、かろうじて幸が愛想笑いを浮かべると、雇い主は何故か幸の足下をまたもしげしげと眺めつつ、満足気に事務室へと戻っていった。

 そんなにこの靴変か?

 色も奇抜じゃない、形も普通のパンプスなのに?

 お茶の趣味にしてもそうだが、どう考えても変な人だった。



「お前足は速いか」

 ずー。

 梅昆布茶をすすりながら、件の雇い主が唐突に問いかけてきた。

「足? ですか?」

「そう」

 ずずー。

「普通でした」

「確かに速そうには見えんな」

「うっ」

 事実だから返す言葉もない。まだここで働き始めて一時間足らずというのに、早くも幸は先行きに不安を抱いていた。

 なんせこの雇い主、口が汚い。

 汚いというか、言葉が鋭い。ぐさりぐさりと突き刺さる。遠慮もオブラートもあったもんじゃない。

「び、びりではなかったですよ」

「ふぅん」

 ず。

 自分で話を振っておきながら、これまたびっくりするくらい興味なさそうな返事である。

 雇い主は午後の斜めの光を背に受けながら手元にある書類を見ている。ものすごく、やる気がなさそうに。定年間際のおっさんでさえ、もう少しやる気を見せて仕事をするんじゃねえのかと突っ込みたくなるほどに。

 同じく梅昆布茶をすすりながら、幸は遠慮がちに事務所内を窺った。

 件の扉。見た目に違わず開ける時は結構な力が必要で、その立派な分厚さに先程の幸が言った「ごめんください」はまったくもって無意味だった。

 ちなみにではどうやって入ったかというと、何のことはない、直接手で思い切り扉を叩いたのである。里が知れるとかマナーがどうとか、庶民の幸にとっては関係ない。手も声も届かなかったのだから致し方ないというものだ。

 それはさておき、そんな扉のすぐ横に大きな観葉植物がある。種類はベンジャミン。ちなみに名前は「太郎」、らしい。そんな彼はこのオフィスの俺がオアシスと言わんばかりに青々と元気よく茂っている。

 扉を入って向かって右手に応接用のソファとテーブルがある。これもやたらと高そうで、テーブルなど幸が一人では到底動かせないだろう。ちなみに覗き込めば顔がはっきり映る。

 応接の反対側は二段ほど床が高くなっており、そこが雇い主の居城である。

 大きな木机に黒い革張りの立派な椅子。少し離れた背後の壁際には本棚が並べてあり、小難しそうな本がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。しかしよくよく見れば六法全書とかの横にグリム童話があったりして、もはやカオスの様相を呈している。

 面接一つ、本棚一つとっても分かるとおり、どうやらこの雇い主、細かいことには頓着しないようである。

 本は本棚に入れるべきものであるからそうしているが、そこからさらに微細な並べ替えなど時間の無駄。恩師である大学教授の口癖を思い出し、この事務室の本棚がまるで同じであることに気付いた幸は、ほんの少しだけ気持ちが解れた。

 雇い主の大きな机の上は、基本構成が書類と本と湯のみと次郎である。ちなみに次郎は鉢植えのディフェンバキア。さらにちなみに、三郎は二階への階段手すりに絡み付いているポトスらしい。

 なぜか存在感溢れるものばかりだが、しかし全般的にものの少ない空間というのが、このオフィスの印象だった。



「手を繋いだら走りづらかろうになぁ」

「え?」

 物凄く深いことを考えていそうな雇い主の声だったが、しかし内容は唐突だった。

 つい反応した幸に対し、彼はつらつらと続ける。

「速かろうが遅かろうが人間走るときは両手を振るだろう」

「振りますね」

「そう、どれだけお前が鈍くさかろうと、お前が人間である限り走る時は両手を振ってひたすら足を前に前に出し続けるわけだ。走るという行為の最も自然な形だな」

「鈍くさいはあんまりじゃ」

「じゃあお前、さばける人間である自負はあるか」

「……ありません」

 どうしてこう、ほぼ初対面に等しい相手に向かってずけずけと言うのか。しかも当たっているから性質が悪い。

 指摘された通り、幸自身は特段頭の回転が速いわけでもなく、人並み外れた度胸もない。なんせライオンの輪っか付き扉をノックするのに、二十分も悩むくらいなのだ。しかしそうは言っても、こればかりは生まれもった性分だからしょうがない。

「まあそれはともかくとしてだ。そも走るという行為は一人で完結する行為であるにもかかわらず、そこに他者が介入するといろいろと面倒だと思うわけだがお前どう思う」

「え、え?」

 何のことだかさっぱりである。

 しかし雇い主はそんなことおかまいなしに喋り続ける。そう、人にどう思うか聞いておきながら、一人で喋り続けているわけである。

 マイペースすぎだ。やっぱり変だ、この人。幸は心の中で遠慮がちに呟いてみた。

 しかしそうしたところでここで働くと決めた以上、雇い主のよく分からん話に付き合うのも仕事の内か。

「手を繋ぐ徒競走だ。知ってるか」

「手を繋ぐ? 徒競走?」

「お前はその歳で新聞もテレビも見ないのか」

 呆れた声で雇い主が言った。

「いえ、見ますよ」

「どうせ大食い早食い番組とお笑いだけだろう」

「うっ」

 図星を指されて冷や汗がでる。

 この雇い主、どうしてこう、的確に言い当ててくるのだろうか。

「たまに天気予報は……」

「どうせそんなところだろうな。まあいい。それで、徒競走に話は戻る」

「はあ」

「まったくくだらない悩みが多いな、世の中は。運動会で手を繋いで徒競走をするんだそうだ」

「はぁ、手を繋いで……って、ええ!?」

 幸は顎が外れるくらいびっくりした。さすがにここまで説明されれば、けして早くはないと自負している幸の頭の回転でもどういう状況かは想像できる。

 手を繋ぐ徒競走。

 それはつまり、皆で一緒にゴールイン、という結果になるのだろう。

「それって競走って言うんですか」

「ただのお遊戯だな」

「またはっきりきっぱり言いますね……」

「性分だ、諦めろ。そうそう、すぐに辞めるだなんて言うなよ。こっちはようやく見つけた後釜なんだから」

 ぎらり。雇い主の目が光ったような気がして、幸はお茶を噴きそうになった。

「そんなに激しい仕事なんですか、ここ!?」

「いや、客へのお茶出しと掃除がメイン。あとは雑務のみ。というかお前、募集広告を見てここに来たんじゃないのか」

「あ、いえ、見たんですけど」

 しどろもどろになりつつ、幸はポケットに後生大事にしまいこんでいた広告を引っ張り出し、その日二十四回目になる字面に目を落とした。

「そういえば仕事って何してるんですか? あ、それより名前。名前、教えてください」

「……見かけによらず中々良い度胸をしてるようだな」

「え?」

「名前は氷室ひむろ。こおりに教室のしつ、だ」

「そっそれくらいは分かりますけど!」

「そうか、安心したぞ。仕事は他人のごみ箱になること」

 相槌は出なかった。何言ってんだろう、この人。幸は真剣に考えた。

 ごみ箱。

 ごみ箱って、プラスチックとか古紙とか、分別しなきゃいけないごみを入れる箱のこと。少なくとも幸の理解ではそういうことになっている。けれど、ごみ箱って仕事だっただろうか。ていうかそれ以前の問題で、あれってモノであってヒトでないような気がする。

「お前が本当に広告を見てここにきたのか、いよいよもって疑わしいな」

 ずずっ。

 お茶をすすって雇い主が呆れたように言う。その言葉に、慌てて幸はもう一度手元の広告を見た。本日二十五回目。

「事務員募集。年齢、性別問わず。時給、勤務時間は応相談。氷室、悩み相談所……あの」

「なんだ」

「悩み相談所とごみ箱って、どう関係があるんでしょうか」

「……ふむ。お前悩みはあるか」

「悩み、ですか」

 また唐突な問いがきた。

「ないわけではないですけど……」

「お前はその悩みを誰かに相談したいか?」

 雇い主――氷室に真っすぐ見つめられながら問われたことは、幸の胸の奥にある不安を僅かばかりかきたてた。

 相談して解決するなら、話をするくらいいくらでもするだろう。相談というものは、きっと答えが見つかるであろう事柄に対して施されるものである筈だ。少なくとも今の幸の中にある理解に照らし合わせると、幸の悩みはあまり口に出す価値があるとは思えなかった。

 多分解決方法は見つからない自分の悩み。

 まして、この手厳しい雇い主。

 きっとぼろくそに言われて終わるような気がするのである。

「悩みっていうか、なんて言うか微妙なので……私のは誰に言っても解決しなさそうなので、あんまり相談とかはしたくないです」

「ほう。意外と殊勝だな。好ましいぞ、お前を採用したのは正解だったかもしれん」

 大概失礼だ。本人を目の前にして「意外」だの「かもしれない」だの。

 しかし小心者の幸がたった一言も抗議できずにいる内に、更に氷室は続けた。

「人生の悩み事の内、九割は金で解決できるもんだ。残る一割はもはや本人にも周囲にもどうしようもないことでいっそ諦めるしかない。ということはつまり、人が悩みを口にしたところでそれに対してしてやれることなんぞいくらもないのが世の中の実情なんだが、どうしたことか人は悩みを聞いてもらいたがる」

「そういうものですか」

 あまりに白黒分けた氷室の言に結局どう返したものか分からず、幸は曖昧に相槌を打った。

「困ったことにな」

 長く喋った割には心底どうでもよさそうに、やれやれ、と氷室がため息をついた時だった。

 ごんごん。

 鈍い音が二回、ドアから聞こえてきた。


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