6曲目 青音レコは歌いたい
「マスター、女性器アタッチメントのご購入をご検討して頂きたいのですが」
「絶対買わん」
「ちっ」
「今舌打ちしたな」
「してません。体内のモーターが空回りしたのでしょう」
「お前から鳴った音には変わりないじゃないか」
俺の言葉を無視して瞳はより深い青色に変わって、俯いた。
「料理も洗濯も掃除もできないし、歌も歌えない私なんてマスターに必要ない存在です。せめて愛し合えたらと思ったのですが、それもできず……私の存在価値ってなんでしょう。どうしたらマスターの為になれるのでしょう」
全てを尽くす為に生まれたとして、何一つ尽くせていないとしたら、どれほどつらいだろう。
「十分尽くしてるよ」
オムライスが乗っていた皿をキッチンに持っていき、冷蔵庫から缶のジュースを二つ持ってくる。
「ずっと考えてた。青音レコと話すことができたらどれだけ楽しいだろう、どれだけ嬉しいだろうって。そしたら中学生の頃から憧れてた、沢山素敵な歌を歌ってる女の子と会えてしまって。お見送りしてくれて、家に帰っても一人じゃなくて、それってとても幸せなことじゃない?」
缶ジュースの一つ手渡す。
「飲めませんよ」
本当に何一つ尽くせていないとしたらとてもつらい。だけど俺は十分尽くされているんだ。
「乾杯だけしようよ。青音レコ歓迎会みたいな、なんにも用意してないからささやかだけど」
プルタブを引き上げ封を切る。彼女も見様見真似で不器用ながら缶を開き、優しくぶつける。カンと甲高い音が鳴った。
「改めて、お疲れ様。これから一緒に歌も家事も上手くなろう」
「こちらこそ、よろしくお願いします。マスター」
瞳の色は明るい青に戻り、心底嬉しそうに口角を上げた。
爽やかな笑みから夏風が吹き抜ける。
カーテンがはためき蝉の音とつんざく子供の笑い声、青色のキャンバスに白を塗りたくったような入道雲が見えて、そこには夏を具現化したような世界が広がる。
今は夜のはず。時計は十時過ぎ。
慌てて分厚いカーテンを開けると、窓ガラスが阻んだ。外は帳を降ろしたような夜更けで――先に見た世界は全て錯覚だと悟る。
「マスターどうしたのですか?」
「歌おう!」
「き、急にどうしたんです?」
彼女に近寄って両肩を掴む。
「今のレコなら『ひよりみず』を歌える!そんな気がする!」
机上に転がるスマホとワイヤレスイヤホンを奪うように取り彼女に向けた。
唐突な提案にレコの顔からは動揺の色が拭えない。
「無茶ですよ、少しも調教してもらってないし、少しも練習してないのに」
「大丈夫。きっと上手くいく。俺を信じて」
瞳孔が微かに開き、青い瞳はきらきらと輝き出す。
「それは命令ですか?」
「命令じゃない。レコなら絶対できるっていう信用だよ」
「……では、その信用に応える為に私もマスターを信用します」
イヤホンの左右を確かめて装着する。スマホの音楽アプリから『ひよりみず』のシングルを選択し、インストを流す。
俺に聞こえる音は彼女の声だけ。アカペラと変わらない。
完璧なリズムキープに曲調に合わせた声遣い。
機械の声には必要のないブレスのタイミングさえ心地良く、爽やかな曲調とマッチした闇をほのかに感じさせる歌詞がメロディーに乗っていて――
視界には再び『夏』が訪れる。
これが錯覚であると知っておきながら、その現実味は勘違いしそうになる。
女の子の笑い声がいくつか聞こえる。中学生か高校生か、そのくらいの歳の酸いも甘いも知ったような気になるませた少女の声が二つ。
その情景はまさしくこの曲そのものだった。
――ど、どうでしょうか」
瞬きをすると不安そうな青音レコの姿がある。声はさっきの女の子のものとは似つかない。
「すごい上手だった。音も取れてるし、歌詞にも感情がこもってる。まるですぐそこに夏が来てるような気分だったよ」
レコは物言わない。
「どうしたの?」
「……い、いや、褒められるの嬉し過ぎて、ちょっと感傷に浸ってました。本当ですよね!?嘘じゃないですよね!?」
「嘘じゃないよ。というかアンドロイドに浸る感傷なんてあるのか」
瞳をオレンジ色に変えて、何度も瞬きをする。顔は耳まで真っ赤に染まり、「ふへへ」と嬉しそうに言葉にならない声を漏らす。
書いてみたい。
この子にぴったりで最高の曲を。
歌ってくれたこの曲よりずっと良い曲をレコに歌ってほしい。
「頑張らないとな」
ピンポーン。
「チャイム?誰だろう、こんな夜遅くに」
「わ、私出ます!」
「俺の家なのに他人が出てきたら困るだろ」
玄関まで向かい、扉の覗き窓を見れば昼下がりに会った同じ配達員が荷物を持っている。
「すみません。お荷物お渡しするのを忘れてました」
「はあ。いいですよ」
「ではサインを」
漫画雑誌くらいの大きさの段ボール。貼られた紙にサインを書いて、受け取った。
サイズ感で言えばコエカのDVDディスクにそっくりだけどもうレコはうちにいるし。
「なんだろうこれ」
扉を閉めながら段ボールを開けると中には『Koe Kawari 青音レコ ver.3.0』が入っていた。
目を擦ってみる。変わらず『Koe Kawari 青音レコ ver.3.0』だ。部屋を見てみる。青音レコが座っている。
外箱にプリントされた可愛い青音レコとこちらに手を振る青音レコを交互に見て、フル回転した俺の脳みそは結論を下した。
「じゃあお前誰なんだよおおおおおおおおおおおおお!?!?」
俺の叫びが深まる夜更けに響いていく。
これから始まるのは、全てを尽くしたいアンドロイドの青音レコとコエカワリの曲を作りたい井ノ中可也の織り成す物語だ。
人とアンドロイドの奇妙な共同生活は爽やかで、大変で、楽しい。
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