第126話 路地にて
さざ波通りのクレープ屋の周辺には甘い匂いが漂っていて、それを嗅いだだけでモーゲンはうっとりと頬を緩めた。
店の前には整理券を受け取る人の列とクレープを受け取る人の列がそれぞれできていて、アルマークたちは急いで列に並ぶ。
幸い、七人全員が整理券を入手することができたが、実際にクレープを受け取る時間まではまだずいぶんと間があった。
「じゃあ、その時間にまたここに集合な」
どこかへ行きたくてうずうずしているらしきネルソンが言った。
「整理券、なくすんじゃねえぞ」
「それはこっちのセリフよ」
ノリシュがため息をつく。
「一番なくしそうなのはあんたでしょ。整理券に名前でも書いときなさいよ」
「バ、バカにすんじゃねえ」
「あんたのためを思ってるのよ」
「うるせえっつうの」
ネルソンはレイドーの肩を抱く。
「もういいよ。俺はレイドーとちょっと向こうの通りに行ってくるからよ」
「あ。また何かくだらないおもちゃ買うつもりでしょ」
ノリシュはネルソンを睨んだ。
「この前の蛙の人形みたいな」
「なんだよ。あれ、可愛かっただろ」
「どうしてそれを人の席に置くのよ。そういういたずらは一年生で卒業してよ」
「いいや」
ネルソンは力強く否定した。
「武術といたずらは、一生やめられねえ。これは俺の生き方そのものだ」
「バカじゃないの」
ノリシュは最短距離のダメ出しをしてため息をひとつ。
「レイドー。ネルソンにおかしなものを買わせないで」
「僕もそのつもりなんだけどね」
肩を抱かれたまま、レイドーは微笑む。
「でも、おもちゃを選んでるネルソンの無邪気な顔が、まるで弟みたいに見えてね。ああ、あいつもこんな風に選ぶんだろうな、なんて考えたらついつい、買ってもいいかな、なんて気になっちゃうんだ」
「お、弟?」
ネルソンがちょっと戸惑った顔をする。
「ネルソンに甘いんだから」
ノリシュは諦め顔で首を振った。
「正気に戻って、レイドー。ネルソンはあなたの弟じゃなくて、同い年のバカよ」
「バカとはなんだ、バカとは!」
「何よ!」
言い合いを始めたネルソンとノリシュを尻目に、モーゲンはきょろきょろとあたりを見回す。その目はまるで獲物を探す猛禽類のように鋭かった
「じゃあ、僕も時間までこの辺を見て回ってくるよ」
「どこに行くんだい」
アルマークが尋ねると、モーゲンは鋭い目のままでにこりと微笑む。
「この通りで二、三軒、ちょっと顔を出しておきたいお店があってね」
「そうなのか」
「うん。じゃあまたあとで」
きりっとした顔でそう言うと、モーゲンはふかふかした手を振りながら、歩き去っていった。
食べ物のことになるとやっぱりモーゲンは違うな、とアルマークが感心していると、視線の先の路地を、さっと誰かが通り過ぎた。
その人物に、アルマークは見覚えがあった。
あれは。
アルマークは友人たちを振り返る。
まだ言い合いをしているネルソンとノリシュ、仲裁しているレイドーとおろおろしているリルティ。ピルマンはいつの間にかいなくなっていた。
「リルティ」
アルマークはリルティにそっと囁く。
「僕もちょっと行ってくるね。またあとで」
「あ、うん」
リルティは一瞬何か聞きたそうな顔をしたが、それよりも早くアルマークは彼女から離れてしまっていた。
アルマークは、足早に通りを歩き、先ほどの人影を追った。
「ウォリス」
路地裏にたたずんでいた金髪の少年は、自分の名前を呼ばれて振り向いた。
「……ああ、君か」
アルマークを見返すウォリスの表情は冴えなかった。
「イルミス先生の補習はどうした。こんなところで何をしてるんだ」
「君の方こそ」
アルマークはゆっくりと近づく。
背の高い建物に囲まれた薄暗い路地は、なんだか妙に埃っぽかった。
「今日は補習が休みでね」
アルマークは言った。
「それで、モーゲンたちとクレープ屋に来たんだ」
「クレープか」
ウォリスは薄く笑う。
「北にはないのか」
「似た食べ物はあるけどね」
アルマークは答える。
「めったに食べない」
「それなら、食べておくといい。どうせ北に帰ったら食べられないのだろうから」
「うん。人気の店らしくてね。整理券をもらったところだよ」
アルマークは小さな紙片をウォリスに見せる。
興味なさげに小さく頷くウォリスに、アルマークは尋ねた。
「君こそ、こんなところで何をしてるんだ」
「別に、君には関係――」
そう言いかけて、ウォリスは気が変わったようにアルマークを見た。
「関係ないということもないか。そうだな、それなら少し付き合ってもらうか」
「え?」
「影を追っていた」
ウォリスは言った。
「影?」
アルマークは目を見張る。
奇妙な影について、ウォリスと教室で話したばかりだった。
「例のやつかい。学院の中にいるって言ってなかったか」
「ああ。だが痕跡を追いかけたら、こんなところにたどり着いた」
ウォリスは路地の石畳を指さす。だが、アルマークはそこに何の痕跡も見つけられなかった。
「ここから痕跡が二手に分かれている。どうしようかと思っていたところだ」
そう言うと、ウォリスは路地の脇の、建物の隙間のような細い小道を指さした。
「一つはあの先へ続いている。君はそれを追ってくれるか。僕は」
ウォリスは大通りへと通じる道の先を見る。
「こっちを追ってみよう」
「ごめん」
アルマークは言った。
「君には、何かが見えているんだね? でも僕には何も見えない。追えと言われても、何を追えばいいのか分からない」
「ああ、そうか」
ウォリスは、聡明な彼にしては珍しく、今それに気が付いたような顔をした。
「そうだったな。それなら」
ウォリスは左手を上げた。細く長い人差し指が、ぼうっと光った。
と思うと、路地にぽつぽつと小さな光が灯る。
「獣追いの術の応用だ。影の痕跡に色を付けた」
こともなげに、ウォリスは言った。小さな光は、小道の先へと続いている。
「その光を追えばいい」
「その先で、影の正体を見つけたらどうする?」
ウォリスは、そう尋ねるアルマークの表情に一切の恐れの色がないことを見て取ると、薄く笑う。
「君の好きにしたらいい」
「え?」
「魔術師は果断であれ」
ウォリスは言った。
「さあ、頼んだぞ」
そう言うと、自らは大通りへと向かって滑るように駆けだした。
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