第110話 前へ
武術場から程近い草むら。
そこに練習用の剣と防具が二組、ぽつんと置かれていた。
「練習に付き合え」
「……まさか、このために待ってたのか?」
「悪いか」
言いながらトルクはさっさと自分の防具を着け始める。
何かと思えば、武術の練習か。
アルマークは思った。
トルクも、武術大会のチームリーダーとして、責任を感じているのかもしれない。
しかし、それにしても。
「練習なら、武術場でやらないか。この時間ならウェンディやレイラもいるだろうし」
「ダメだ」
トルクはにべもなく断る。
「ここでやる」
アルマークは顔の前を飛び交う羽虫を手で追い払って、仕方なく防具を着け始める。
「付き合うけどさ……何もこんなところで。すぐそこが武術場なのに」
「無駄口を叩くな。早く着けろ」
トルクは既に防具を着け終えて、剣を持って待っている。
「……分かったよ」
アルマークも防具を着け終えて、トルクの前に立った。
「……手加減無用だぞ」
トルクは言って、剣を上げる。
アルマークがその剣先に自分の剣を合わせる。
それから二人は素早く間合いを取る。
おっ。
アルマークは目を見張った。
トルクの構えが変わっている。
以前は、体格を利して相手を圧していこうという隙だらけの構えだったが、今、目の前のトルクは、慎重にアルマークに対して半身を維持して隙を見せないように工夫している。
そのまま二人は間合いを保ったまま、ゆっくり、ぐるりと円を描く。
「うまくなったな、トルク」
アルマークが声をかける。
「ほざけ」
トルクが吐き捨てる。
その額に汗が滲む。
「隙がない。前はどこからでも打ち込めたのに」
アルマークは素直に驚いてそう言った。
確かに、規則上打ち込めるのが胴だけなので、実戦と比べてどうこうというものではないが、それにしてもトルクの上達ぶりは顕著だった。
隙がないなら、崩すしかない。
アルマークは自分から剣を軽く突く。
トルクがそれに反応して飛びずさって間合いを取る。
そこにアルマークは踏み込んで追撃の突きを打ち込む。
トルクがそれを剣で弾く。
アルマークが突き、トルクが受ける。
動きが激しくなればなるほど、そこに隙が生まれる。
攻防を続けながら、アルマークはトルクの防具に打ち込める隙をいくつも発見した。
「だんだん隙が多くなってきたぞ、トルク」
「うるせえっ」
トルクは必死に剣でアルマークの攻撃を受け流しながら叫ぶ。
「隙があるなら打ちゃいいだろうが!」
「それじゃ……」
アルマークは踏み込みの角度を急に変えて、トルクの胴の脇を突いた。
「ぐっ」
トルクがうめいて膝をつく。
「くそ」
拳で地面を叩く。
「もう一度だ」
そう言って立ち上がる。
「ずいぶん構えは良くなったけど、そこから攻撃しないと勝てないぜ、トルク」
「んなこたあ言われなくても分かってる」
トルクは剣を構えた。
「もう一度だ」
「分かったよ」
アルマークはトルクの剣先に剣を合わせる。
その後は、最初と同じ展開になった。
構えはいいのだが、攻撃がろくに出ないので防戦一方になり、隙が出来たところをアルマークに打ち込まれてしまう。
「くそったれ」
トルクは毒づきながら立ち上がる。
「もう一度だ」
アルマークはトルクに応じ、その後七回も立ち合ったが、いずれも同じ展開となった。
「ちきしょう」
膝をつくトルクに、アルマークが声をかける。
「トルク、君の長所はその大きな身体とパワーじゃないか。構えは良くなったけど、その後の慎重さは、君の良さを殺している気がする」
「うるせえ」
トルクが立ち上がり、剣を上げる。
「何度やっても同じだと思うよ。もうだいぶ暗くなってきた。今日はもう終わりにしよう」
アルマークはそう言って剣を地面に置いた。
「もう一度だ」
トルクが言う。
「終わりにしよう。僕はもう行く」
「ダメだ」
トルクは首を振る。
日はほとんど沈み、その表情もおぼろげにしか見えない。
「もう一度だ」
トルクが繰り返す。
「これ以上は危ない」
アルマークも首を振る。
「武術の練習なんて、周りも見えない暗い中でやるものじゃない」
「アルマーク!」
トルクが吼えた。
「受けろ。これで最後でいい」
トルクは必死の表情をしているように見えた。
「……分かったよ」
アルマークは渋々頷いて、剣を拾い直した。
「これで本当に最後だぞ」
言いながら剣先をトルクの剣に合わせる。
互いに間合いを取って向かい合う。
トルクが先程までと同じ構えでじりじりと動く。
日が沈み、その身体が黒い影のように見える。
これ以上暗くなると本当に危険だ。さっさと決めてしまおう。
アルマークは前に出た。
しかし間合いを詰めた瞬間、トルクも前に出てきた。
お、やる気か?
その瞬間、アルマークは違和感を感じた。
トルクの間合いがやけに近い。
いや、これは。
やばい。
アルマークは危険を感じて、出しかけていた剣を引っ込めて防御しようとする。
しかし、トルクの剣の方が速い。
先程までとは明らかに質の違う、渾身の突きが飛んでくる。
アルマークはとっさの判断で、剣で受けるのを諦めて身体をよじりながら大きく飛び退いた。
その防具にトルクの剣が掠めて鋭い音をたてる。
「ちぃっ」
トルクの舌打ち。
渾身の突きで伸びきったトルクの胴をアルマークの剣が捉えた。
「ぐうっ」
トルクが地面に倒れ込む。
とっさのことでかなり強めに打ってしまった。
「大丈夫か、トルク」
慌ててアルマークが膝をつく。
トルクは苦しそうな顔でアルマークの顔を見上げた。
しかし一瞬の沈黙の後、大声で笑い始める。
「くくく、ははは。やっと本気の顔をさせてやったぜ」
「え?」
「気に食わなかったんだ。武術の時はいつも余裕綽々の面しやがって。くくく、さっき俺の突きをよける時のお前の顔、最高だったぜ。胴に思いっきり当たってりゃ言うことなかったんだがな」
「トルク、君はまさかそのために」
アルマークは呆れた顔でトルクを見る。
「暗くなるまで僕に相手をさせたのか」
トルクは汗にまみれた顔でニヤリと笑う。
「毎回同じ展開で負けて、僕を油断させておいて、それで最後の勝負だけ、間合いを取ったときに闇に紛れて剣を左手に持ち換えたのか」
明かりのある武術場ではなく、外での勝負にこだわったのもそのせいだったのか。
「左手の突きが甘かったな。やっぱり利き腕じゃねえからな」
言いながら、トルクは上体を起こした。
「急に間合いが近くなって焦ったろう」
アルマークが素直に頷くと、トルクはもう一度笑って、首を振った。
「惜しかったぜ」
「でもこれ、武術大会では使えないじゃないか」
「武術大会なんざ」
トルクは鼻で笑う。
「お前の言うように、俺の体格とパワーでいくらでも圧倒してやるよ。そんなもん端から眼中にねえ」
「じゃあ、もしかしてこれは」
「そうだよ。お前に負けたあの日から、一泡吹かせてやろうとずっと考えてたんだ。あと一歩だったけどな」
アルマークはため息をついて立ち上がった。
「そうなのか。僕はてっきり武術大会の練習かと」
「……実力で勝てねえ相手には、策も使わなきゃならねえ。お前が勘違いしてるなら、それも利用する。嘘はつかなかったつもりだがな」
確かに、トルクは一度も、武術大会の練習に付き合え、とは言わなかった。
「無様に負けたままで、お前に一矢報いもせずに前に進むのは、自分で許せなかった」
トルクは言った。
「さっきのお前の顔。とりあえずあれで良しとするぜ」
これで前に進める、とトルクは呟く。
「俺を卑怯と軽蔑するか」
そう言って、トルクはアルマークを見上げた。
暗くて表情ははっきりとは分からないが、強い目の光がアルマークを見据えていた。
アルマークは首を振った。
「いや。尊敬するよ、トルク」
その強さは、もしかしたらアルマークには馴染みのある強さに通じているのかもしれない。
アルマークは立ち上がろうとするトルクに手を貸そうと、右手を差し出した。
トルクは、首を振ってそれを拒絶する。
「助けはいらねえ」
言いながら、自分で立ち上がる。
「俺は自分の力で立ち上がる。今までも、これからもだ」
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