第97話 地下室

「アルマーク!!」

 部屋を出た途端、興奮したモーゲンがアルマークの肩を掴む。

「伝説の地下室は実在したんだ!」

「伝説って」

 アルマークは鍵を手で弄びながら、モーゲンを白い目で見る。

「モーゲンが勝手に言ってたやつだろ。なんだっけ、マイアさんの拷問室だっけ」

「いやいや、マイアさんの秘密の地下室」

 二人は寮の外に出て、言われた通りに壁沿いにぐるりと歩いて、植え込みの陰にまわる。

 確かにそこに、壁に半ばめり込むようにして、粗末な金属扉があった。

「ずいぶんちゃちい伝説への扉だけど……君はこんな扉があるって知ってた?」

 アルマークがモーゲンを振り返る。

「ううん、全然知らなかった。こんな植え込みの陰、何もなかったらまず来ないもん」

 モーゲンはそう言って首を振る。

「そうだよな……」

 モーゲンも知らないなら、アルマークが知らないのも無理はない。

「じゃ、開けるよ」

 アルマークは鍵を扉の歪んだ鍵穴に差し込んだ。

 ひどく固い。

 がちゃがちゃと何度か乱暴に回すと、ようやく扉は開いた。

「うわ……」

 アルマークの肩越しに中を覗き込んだモーゲンが、情けない声をあげる。

 人一人やっと通れるくらいの粗末な石段が、扉を開けてすぐに地下に向かって伸びていた。

 石段は緩やかに曲がって、その先は地下の闇に消えている。

「あ、アルマーク……ごめん、僕はこれはダメだ」

 さっきまでの元気はどこへやら、モーゲンが後ずさる。

「暗いところと狭いところ。僕の苦手なものが二つも揃ってしまった……」

「地下室って暗くて狭いもんだろ」

「これはもう無理……」

 モーゲンは青い顔で首を振る。

「いいよ、モーゲン。どうせ看板と木材を外に運び出すだけだろ? 僕が取ってくるよ」

 アルマークは言った。

「ここで待ってて受け取ってくれ」

「ごめんよ、アルマーク」

「いつもは僕が役に立たないからね。今日は働くよ」

 とはいえ、地下室の中は相当暗そうに見える。

 灯の術一つ使えないアルマークにはランプがないと厳しそうだ。

 一旦ランプを取りに戻った後、改めてアルマークはそれを掲げて階段を下り始めた。

「じゃ行ってくるよ」

「足元気を付けてね」

 モーゲンが心配そうに言う。

「ああ、大丈夫……」

 アルマークは階段を慎重に下りていく。

 階段は途中で緩やかに曲がり、外から差し込んできていた光を遮ってしまう。

 石段を下りるにつれて、外の音も遠ざかり、アルマークの靴が石段を叩く硬質な音だけが響くようになった。

 しばらく下りると、これも粗末な木の扉があり、階段はそこで終わっていた。

 アルマークが押してみると、扉はきしんだ音をたてながらゆっくりと開いた。

 室内は予想した通り真っ暗だった。

 ランプをかざすと、意外に広い部屋であることが分かる。

 色々な物が雑然と置かれているようだ。

 壁に燭台を見つけたので、つまずかないようにそちらに移動し、ランプの火を移す。

 明るくなった室内で、アルマークは思わず呟いた。

「どれだ……」

 無秩序に置かれた様々な物に混じって、いくつもの木箱がある。

 まさかこの中から看板とやらの入った木箱を探せというのか。

 アルマークがため息をついた時、灯りを遮るようにして一瞬何かが動いた気がした。

「!!」

 アルマークはとっさに身構えた。

 息を殺して、動いた何かの気配を探る。

 燭台とランプの灯りに照らされた地下室内に、アルマーク以外に動くものはいない。

 虫か何かが飛んだのだろうか。

 アルマークはそれでも警戒を緩めず、しばらく待った。

 それから、室内に全く何の気配もないことをようやく確信して、警戒を解いた。

「さて……」

 この数ある中から、看板とやらが入った木箱を探し当てなければならない。

 アルマークは手近の木箱を開けてみた。

 かび臭い何かの布が詰め込まれている。違う。

 他に適当に二つほど木箱を開けてみたが、全く違うものが入っていた。

 そういえば、とアルマークは思い出す。

 マイアさんは、奥の木箱、という言い方をしていた。

 アルマークは地下室の奥に足を向けた。

 奥、というほどの広さはない。

 すぐに壁に突き当たった。

 と、その壁に、物に埋もれるようにして小さな木の扉があることに気付いた。

 ……まさか、奥ってこの奥か?

 そんなわけないだろう、と思いつつも周りの物をどかし、念のため扉を押してみる。

 開かなかったらそれでやめようと思っていたのに、扉は安っぽい音を立てて簡単に開いた。

 アルマークは仕方なく扉をくぐり、ランプを掲げてから、ひどく困惑した。


 なんだ、ここは。


 奇妙な空間だ。

 さっきの簡素な長方形の地下室と違い、この空間はきれいな円形をしていた。

 床も、名前は分からないが、さっきの部屋と明らかに違う上質な石が使われている。

 見上げれば、天井もドーム状に組まれている。

 旅の途中で見た、盗掘にあった古代の貴族の墳墓に似ていた。

 大きさはさっきの部屋よりも一回り小さいが、この空間には何もないせいで、ひどく広く感じる。


 ……木箱も何もないじゃないか。


 やはり、ここではなかった。

 アルマークが元いた部屋に戻ろうと振り向くのと、木の扉が音を立てて閉まるのはほぼ同時だった。

 アルマークは、閉じた扉の前に何かがうずくまっているのを見た。

 いつの間に。

 さっきまで確かに何もいなかった。

 気配もなかった。

 しかし、今確かにそこに何かがうずくまっていた。

 それが、ゆっくりと身体を起こす。

 アルマークは息を呑んだ。

「デリュガン」

 思わず、その忌まわしい名前が口をついて出る。

「なぜ、こんなところに」

 灰色の狼のような姿だった。しかし、その毛並みが刃のように逆立っていた。

 アルマークはそれに出会ったことがあった。

 戦ったことがあった。

 その時の記憶を思い起こせば、今でも掌にじっとりと冷や汗が滲む。

 闇夜、森の魔笛が鳴り響いたとき、森の奥から現れる、闇の眷族。

 今目の前にいるものは、アルマークが北の森で見たものより、やや小柄に見えた。

 しかし、その姿は紛れもなく、あの忌まわしき闇の魔獣、デリュガン。

「ここ……寮だよな」

 アルマークは呟いた。



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