第36話 おじいちゃん
二度目の庭園は、夜の闇がさらに濃くなっていた。ネルソンが左手に灯の魔法を灯す。
四人はしばらく無言で歩いた。じきに迷路の入口に着く。
迷路に入り、だいぶ歩いてから、ノリシュがようやく口を開いた。
「……私ね、一年生のとき、泣き虫だったからよくいじめられたんだ」
ノリシュはアルマークの聞いたことのない男子の名前を二人挙げた。
「今は二人とも3組。結構意地悪なとこのある子たちで」
とウェンディが教えてくれる。
「私、生意気なこと言うわりにすぐ泣くから、面白がられちゃって。毎日いろいろ意地悪されて」
とノリシュ。ネルソンは灯の魔法を掲げながら無言で3人を先導する。
「学校から帰って毎日辛くて悔しくて泣いてたの。でも、ルームメイトのリルティの前で泣いてるところ見られたくないし」
アルマークたちは黙ってノリシュの話を聞く。ネルソンの炎が時折、ぼぼぼ、と音をたてる。
「ある日、気まぐれにこの迷路に入ってみたの。ここなら誰にも見られずに泣けるかもって」
結局男子が遊びによく使うからそんなことはなかったんだけど、とノリシュが付け加える。ネルソンたちのことだろう。
「でも、その時すごい発見がひとつあったの」
ネルソンが無言で植え込みの切れ目を左に曲がり、三人もそれに続く。
「それが……この人」
いつの間にか中央の広場にたどり着いていた。ノリシュはボルーク卿の石像を見上げる。
「それまでは注意して見たことはなかったんだけど、その時初めて気付いたの。……私の大好きだった死んだおじいちゃんにそっくりだってことに」
比較的裕福な大農家の娘であるノリシュには、大好きな祖父がいた。元来学者肌だった祖父はもう農作業からは引退し、毎日ローブをまとって老眼鏡を掛けて昔の書物を読みふけり、老後生活を満喫していたのだそうだ。
「だからこの学院に私が入ることが決まって一番喜んでくれたのもおじいちゃんだった」
穏やかな口調で色々なことを教えてくれる、ノリシュの大好きだった祖父は、しかしノリシュの入学を待たずに亡くなってしまった。このボルーク卿の石像は、その祖父にそっくりなのだという。
「もちろん細かいところは色々違うよ。でもその時の私は思っちゃったんだもん。おじいちゃんがいる!って」
それからはノリシュは嫌なことがある度に『おじいちゃん』に会いに来るようになった。やがて二年生に上がりクラス替えをし、いじめっ子たちと離れ、泣くことがなくなってからもその習慣は続いた。
風の魔法が得意で、最近、風便りの術に挑戦していたノリシュは、風のメッセージを送る場所として、『おじいちゃん』のことを思い付いたのだという。
「内容はほんとになんでもよくて。毎日夕食の後、その日あったこととか自分で思ってることとか、その場で思い付いたことをおじいちゃんに聞いてもらおうと思って。部屋の窓から風にのせて送ってたの」
それはおそらく、祖父が生きていればノリシュがやりたかったことでもあっただろう。しかし練習中の不完全な風便りの術は、途中でばらばらの言葉の断片と化し、うまくボルーク卿のところで風を結実させることなく、逆にそこに届いた瞬間に霧散してしまっていたのだ。
「それが謎の声の正体かぁ……」
ウェンディが呟く。
「でも、アルマークはあのときよくわかったね。風だって」
「うん。この迷路は植え込みで囲まれてるから、風が通るのは地面すれすれの足元しかないだろ。ごくわずかな風がずっと一方に吹いているのは感じてたんだ。それにこの庭園の地形からして、中央の広場に風が集まりやすいだろうと思っていた。だからもしかして、と思ってね。……全然魔法的な観点じゃないけどね」
「ううん、すごい。そういう観点って大事だと思う」
それに、私もネルソンもそんな微風には気付かなかった、とウェンディは付け加える。
「でもまさかそんな怪談じみた噂になってたなんて。練習はちょっと考えないといけないね」
ノリシュが恥ずかしそうに言ったとき、ネルソンが急に、
「あーあ!」
と声をあげた。
「なんだよ、男のロマンが。分かってみればただの魔法の練習かよ」
「ちょっとネルソン、そんな言い方」
ウェンディが言い掛けるが、ネルソンはさっさと出口に向かって歩き始めている。
「ノリシュ、魔法の練習も『おじいちゃん』とのお喋りもいいけどな!」
背中を向けて歩きながらネルソンは言う。
「お前の話なら俺たちだって聞いてやれるんだからな!」
「え?」
「エストンとポロイスだっけ? その二人。今から武術大会が楽しみだぜ!」
ネルソンは3人を振り返ることなくどんどん歩いていく。
「さ、もう帰るぞ! とんだ無駄足だったぜ!」
アルマークがウェンディを見ると、ウェンディはくすりと笑い、小さな声で言う。
「さっき、ここに来るとき灯の魔法が揺れてたでしょ? ノリシュが虐められてたって聞いて、ネルソン結構本気で怒ってる」
そういえば炎が時折、ぼぼぼ、と音を立てていた。あれはネルソンの心の揺れだったのか。
「彼なりの友情表現なんでしょ。分かりづらいけどね」
ウェンディの言葉に、ノリシュも笑顔を見せる。
「一年生のとき、この迷路で泣いてたときにネルソンに声を掛けられたことがあるの。その時はクラスも別だし知らない子だったんだけど。『かくれんぼしようぜ!』ってなんの屈託もない笑顔で言われて。びっくりして断っちゃったんだけど、嬉しかったな」
そんな言葉が聞こえているのかいないのか、どんどん遠ざかるネルソンの背中を見ながら、アルマークは、やっぱりネルソンは大したやつだな、と思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます