第26話 善意

 学院長に会うのは、入学の前日以来のことだ。

 失礼します、と言いながらアルマークが重い扉を引き、学院長室に入ると、ヨーログは何かの書類に目を通しながら、事務仕事の真っ最中だった。ちらりと顔を上げてアルマークを見て、すぐにまた書類に目を落とす。

「おお、来たなアルマーク」

 言いながら書類にさらさらとペンを走らせる。

「……どうかね、学院の生活は」

「はい。毎日、とても新鮮です」

「そうか。それは何より」

 ヨーログは相変わらずアルマークに目を向けず忙しそうに手を動かしている。

「聞いておるよ。さっそく色々あったそうだね」

「はい」

 アルマークは苦笑いしながら頷く。

「私も先生方から報告は受けている」

 ヨーログの口調に厳しさはないものの、アルマークは少し緊張した。いったいどのような報告がされているのだろう。

「それはそれとして、私としては君自身の口から聞きたいね。この学院で何があって、それについて君がどう思ったのか」

「……わかりました」

 アルマークは今までのことをヨーログに語った。クラスのこと、授業のこと、先生のこと。魔術のこと、灯の魔法の失敗と、瞑想の特訓のこと。ウェンディの涙と、トルクのこと。そして今日の武術の授業でのこと。それらを、自分がその時々に考えたことを交えながら簡潔に語っていく。

 ヨーログは、時折うなずいたり、ふふっと笑い声を漏らしたりしながら、口を挟むことなく聞いていた。

 聞き終わると、なるほど、と言ってヨーログは初めてペンを置き、アルマークの方を見た。

「有意義な時間を過ごしているようだね」

「はい」

 アルマークは頷いた。

「肝心の魔法の方はからっきしですが」

「それについてイルミス先生は」

「あせるな、と」

「うむ」

 ヨーログは頷いた。

「彼の言葉を信じなさい。魔法について学び考える時間。それと、仲間たちとともに過ごす時間。どちらも君が一人の魔術師として立つために必要な時間だ。疎かにしてはいけないよ」

「はい」

「体は大丈夫かね」

「なんともありません」

「さすが鍛え方が違うね。その年で竜の炎をいきなり使って、その日のうちに歩いて帰るとは驚いた」

「それもイルミス先生やセリア先生が助けてくれたんです。この十日間、僕はずっとみんなに助けられてきました。ウェンディやモーゲンたちにも。自分一人じゃ何もできなかった」

「うむ、その気持ちは魔術に通じる。決して忘れてはいけないよ。ところで……」

 ヨーログは話題を転じた。

「金は足りているかね」

「あ、はい。使い道もないので」

 学校では学生に衣食住、すなわち制服のローブと服、毎日の食事、寮の部屋を無料で提供しているが、それ以外に日用品や嗜好品を買うためのわずかなお金を学生に毎月支給している。皆それをやりくりして休日に街でお菓子などを買ったりするが、中にはそれとは別に、裕福な実家からかなりの仕送りがある子もいる。

「そうか。君のことは父上から重々お願いされている。なにかあれば遠慮なく言いたまえ」

「はい」

 アルマークはだんだん、学院長になぜ呼ばれたのか不思議になってきていた。

「あのー、今日のご用は……」

 するとヨーログはにこにこしながら、もうすんだ、と言いはなった。

 キョトンとするアルマークに、もう帰りなさい、と告げる。

 なんだか分からないまま学院長室を出たアルマークを、心配顔のウェンディ達が出迎えた。聞けば、アルマークがボーエンに学院長室へ行くよう言われた際、たまたま近くにいたモーゲンがその言葉を聞き、それを皆に話し、その後アルマークが本当に学院長室に行ったことから、話に尾ひれが付き、更にアルマークが学院長室に長いこと入ったままなので憶測が憶測を呼び、どうやらアルマークは学院長から何か処分を受けるらしい、下手すれば退校かも、というところまで話が進んでしまっていたというのだ。

 アルマークは苦笑いしながら、処分なんてない、と話すとともに、そこまで自分のことを心配してくれていた仲間に感謝した。

 こういった損得勘定のない善意、というのは北の人間にはほとんど見られないものだ。言葉は悪いが、北の人間はこの類の善意を、「愚かさ」や「弱さ」と同一視するだろう。

 しかし彼はこの善意に今日まで助けられてきた。この善意のお陰で受け入れられてきた。そして今日。多少なりともその恩を返すことができた。北生まれの彼なりの方法で。

 よかった、と胸を撫で下ろすウェンディやモーゲンの姿を見ながら、アルマークは自分もようやくこのクラスの一員になれた気がした。

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