第11話 喪失と本音

「――六通天眼」

 そう呟き、周囲を見渡す。

 その瞬間から、この目はようになる。ただし、余分な情報も視界に入る為、必要なものはその中から探し出さなければならない。

 その余分な情報というものが、恐ろしく多い。

 例えば、現在の大気成分から紫外線指数、風向風速、湿度などの気候情報を始めとし、目の前の鬱蒼とした木や雑草、目視できない程小さな虫の情報、現在周りに居る人間の位置、身長、体重、性別、年齢等……。他にも、土壌成分や夜空に輝く星々の名前……。キリがないほど多い。

 しかもこれらは同時に頭の中に雪崩れ込む。そんなもの、いちいち覚えていられない。だというのに無理矢理目を通してくる、意識させる、認識させられる。これが非常に辛い。

 このせいで、使用時間は一分やそこらしかない。その上、一度使ったら頭が限界を迎え、暫く意識を失う。無理して長く使おうものなら、一ヶ月は動けなくなる。

 今見つけたいのは、怪奇連盟本部の方向、距離のみ。この溢れきった情報の中から、この二つだけを選び出して伝える必要がある。

 あちらこちらを見ていると、それらしい情報が見つかった。間違いない、怪奇連盟本部の位置情報だ。

「香奈!方向は俺の正面、距離は三キロ!」

「――六通神足じんそく!」

 そう叫ぶと、梁坂さんを含めた三人が、その場から消滅した。

    ◆◆◆

 ――夕暮れの空。優雅に飛び交う鴉達を眺めていると、を思い出す。

 私は、なんとか一命を取り留めたらしい。正直、死ぬと思っていた。痛いなんて表現が生温く感じるほどの痛み、息苦しさ。決して忘れられないだろう。

 今いるのは、怪奇連盟本部の医務室のベッド。上体を起こし、ただ茫然と、窓の外の景色を眺めていた。

「梁坂さん、面会ですよ」

 扉を開けたのは看護婦だろう。医務室の扉は殆ど無音で開く。それは嫌いだった。

 面会があると話してくれるが、正直誰とも話したくない。声も聞きたくない。心の声も。

「……雪乃ちゃん、また来たわ。調子はどうかしら」

 抑揚のないこの声の主は、間違いなく矢坂さんだった。備え付けのパイプ椅子に手を伸ばしたのか、カタカタという音が背後からして、その後そこに座る音が聞こえた。

 ただ、今は夕陽を眺めていたい気分だった。だから、その反対にいるあなたの顔は見られない。

「落ち着いたら、またゆっくり話しましょう。とにかく、命があって良かった。修一くんと香奈ちゃんも、なんとか復帰したわ」

「………………」

 ――あの二人、ここに着いた時には何故か意識がなく、瀕死に近い状態だったらしい。外傷がないにも関わらずだ。

 そんな二人は、私が目を覚ました頃に復帰したらしい。だが、病み上がりであることは変わりない。出動は一ヶ月以上控えさせるという話を聞き、少しだけ安心した。

「また来るわね」

 矢坂さんも、私の無言の意を汲んでくれたらしく、無機質なパイプ椅子から立ち上がったらしい。

 正直、申し訳ないという気持ちはある。だがそれ以上に、今何とか保っている平静を崩したくないという気持ちが強かった。きっと、一言、ただの一言でも、人と話すだけで、私は気持ちを保てなくなり、今まで抑えていた本音を全て曝け出してしまうだろう。

 早く楽になりたい気持ちもあるが、楽にさせてくれる相手は選びたかった。

「私以外にも見舞いに来た人がいるの。代わるわね」

 そう言って、部屋を出る足音と、入ってくる足音が聞こえた。

「…………梁坂さん」

 暁、お前か。と言いたいところだったが、口を開く気も起きない。どうせこいつ辺りだろうと思っていたが、予想通りだった。

「梁坂さん、傷の具合、どうですか」

「………………」

「……あれから一ヶ月が経ちましたね」

 その後も、私への問いかけが続いた。今日は晴れて良かったとか、香奈が新しいメンバーと仲良くしているとか、矢坂さんが廊下で躓いて書類を散らかしたとか、他愛のない話ばかり……。

 しばらくすると、声が止んだ。やっと静かになったと思ったのも束の間、肩に手を置かれた。

 反射的に手を振り払ってしまう。その瞬間、胸が痛くなった。これだけ無反応を貫く私を相手に語り続けてきた人に対する態度じゃないと、自分に訴えた痛みだった。

「梁坂さん、らしくありませんよ」

「………………」

「いつもみたいに怒ってくださいよ。煩いとか、喧しいとか……」

「………………」

「梁坂さ――」

「煩い!黙れ!放っといてよ、一人にしてよ!もう、何もかも嫌なんだよ…………!」

 言わんこっちゃない、目からは既に涙が溢れてきた。顔を見られたくない、目線は決して合わせない。沈んでいく夕陽にだけ視線を向け、思いの丈をそのまま口から吐き出していく。

「私なんて……私なんて何の役にも立たない、昔からそう、今も変わらない。ただの足手纏い、邪魔者、要らない存在なの…………」

 普段から装っていた自分、偽りの自分……。その鍍金が剥がれていき、本来の自分が顕になっていくのがわかった。

「昔からそうだった……。今だって、何も救えない、助けられない。自分一人だけ無様に生き残って、結果何も成し得ない存在なの」

 目から溢れてくる涙を拭き取ることはしない。ただ流れるまま、自然に頬を伝って、かけられた布団に染み込んでいく。

「…………私ね、友達が二人いたの。玲美ちゃんと柚葉ちゃんって子。凄く仲良くしてくれて、いつも三人一緒にいたんだ。この夕陽は、三人で過ごした最後の景色、神社から見えたものとそっくりなの。これを見ていると、あの頃に戻りたい、帰りたい、返してって気持ちが溢れてくるの。とても寂しい」

「……何があったんですか」

「怪異。あの時あの神社に、突然現れたの。私たち三人、何が現れたのかわからなかった。私は何故か、あいつらに耐性があったから、正気を保てたけど、玲美ちゃんと柚葉ちゃんは、あいつらへの恐怖、畏怖、異常な要素に当てられて正気を失った。二人とも生きてはいるの。でも、あれはもう、死んでるようなもの。声をかけても反応はないし、目は焦点が合っていない。指一つで上体を倒せるし、その後起きあがろうともしない。廃人よ。そんな状況で助けてくれたのが、椿だった。彼、地元で噂だった守神。体現性怪異だったの」

「そうだったんですか……」

「でも今回、椿も失った。帰ってないんでしょ、彼」

「……はい、まだ確認できていません」

「情けないよね、みっともないよね……。友達も守れず、守ってくれたあいつを守ることもできなかったなんて。ねえ、どうしてなのかな。私、何か悪いことしちゃったのかな。どうしてみんな、私の手から零れちゃうのかな。あの時だって、君が助けてくれなかったら、みんな死んじゃってた。私一人じゃ何も出来なかった。足引っ張るなって言っていた私がこの様だもの、合わせる顔がないよ。惨めだよね、本当」

「そんなこと、ありませんよ」

「無理しなくていいよ。いつも口が悪いから、気を遣ってくれてるんでしょ。あれは私の嘘。嫌われるのに慣れてるっていうのも嘘。本当は優しくしたい、仲良くなりたい、嫌われたくない」

「…………」

「でも、私が望めば望むほど、それらは全部、私からすり抜けていった。だから、初めから突き放すことにしたの。口が悪い嫌な女を演じて……。でもどうしてかなぁ……、みんな、離れてくれない……。私なんかと仲良くしたって、何も無いのに……。ねえ、どうして嫌いになってくれないの。あれだけ冷たくして、声を荒げて、嫌な物言いをしていたのに。ねえ、教えてよ」

「大切だからです、好きなんですよ。みんなあなたの事が」

 その言葉が嘘であると思いたかった。でも、思えなかった。矛盾の無い、そして真っ直ぐ言い切られたこの言葉は、私の胸を深く抉った。

「ねえ…………私、生きてていいのかな」

「勿論です。知らないでしょうけど、梁坂さんが寝ている間、みんなあなたの無事を祈っていました。それこそ、矢坂さんと八風さんの二人が、入れ替わりで常に側に居られるように、夜も眠りそうになりながら居てくれたほどです。僕はその時倒れていたので、見たわけじゃありませんが……」

「君は…………私のこと、どう思ってるの」

「誰よりも優しい、あなたにしかない優しさが溢れて止まない……。そんな人だと、今は思っています。上手く言えなくてすみません」

「嫌いにならない……?」

「はい」

 さっきまで綺麗に見えていた筈の夕陽が、唐突に滲み出し、同時に押し殺していた筈だった、嗚咽に近い声が溢れ出す。思わず身を屈め、手で顔を覆い、私は年甲斐もなく大声を出して泣いた。

「……今まで僕に強く当たっていたのも、僕を身を案じてくれていたからだと、分かっていました。あの時だって、撃たれてボロボロになりながらも、真っ先に僕たちに逃げろと言ってくれました。そんなあなたが悪い人だなんて、嫌いになるだなんて、あり得ません。僕も含めて、この場の全員、あなたの事が好きだし、大切だと思っています」

「だったら、だったらさぁ、もう少しここに居て……一人にしないで……」

「ええ、もう少しここに居ます」

 結局、どれぐらい泣いただろう。腹の痛みも忘れて散々泣き続けた。気がつけば夕陽はすっかり沈み、空には星が輝いていた。

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