ゼロイチ:スペクトル

あおいぬ

Pre:『夢想家』の前日譚

-04:少女は夜に夢を見ず

 …………コツ。

 コツ、コツ……コツ、コツ——。

 ゆっくりと、静かに。

 規則的なリズム、しかし少しだけ乱れたペースで音が鳴る。

 それは固く無機質なものに、なにか別の固いものが軽くぶつかる音だ。

 その音だけが空気を小さく揺らす空間に、あるとき、全く……。

 

 ————その、なんというか。

 今まで鳴っていた硬い感触の音とは真逆のイメージ、というべきだろうか。

 柔らかな、というかふにゃふにゃ、とも形容できそうな音——いや、「声」が漏らされる。


「ふぁぁぁぁ~………………」


 つまるところそれは、自分の口から漏れたものだった。

 思わず大きく口を開けてあくびをしたときの、なんとも情けない声。


「眠いです……。といいますか、もう疲れましたー…………」


 いつもなら視線を気にしてかみ殺していただろうそれも、周囲に一切の人の気配がないこの場では、遠慮なく出し放題。

 とはいえ、今までの人生で半ば本能的に身についてしまったらしく——周囲の視線がなくとも左の手は、反射的に口元を覆い隠すような形に動いていた。


「それにしても、もうこんな遅い時間だっていうのに、うら若い年頃の乙女がお仕事なんかしていてもいいんですかねー……?」


 不満とも疑問ともつかない独り言を漏らしつつ、口元を抑えていた左手の腕時計に目をやる。

 画面に浮かぶ数字の列は、間もなく日付が変わるということを示している。

 わたしは「むぅ」と口をとがらせながらも、歩を進めるペースはそのままに——大きな伸びをひとつ。


「んんんんぅ~……——っと、それにしても随分と殺風景ですねー、ここ」


 必要最低限の仕事しかしていない薄暗さの光源が、足元でさりげなく進むべき方向を教えてくれる。

 しかしどうにか話題に取り上げても、せいぜいこの場にあるのはそれくらいで——壁や天井には特筆すべきものがなにもない。まさに殺風景な視界だ。

 だが実際のところは、この場所に必要な様々なを優先したがあまり、そうしたものは不要——というのが、その光景の理由だった。


「最新鋭の防弾・防爆・防炎機能に加えて、その他危険因子を片っ端から対策するのが第一で、デザイン性は二の次ってことなんでしょうね。ミツキちゃんらしいです」


 この場所の設計指示に携わった少女の、いつものぶっきらぼうな顔を思い浮かべて、意図せずくすりと小さく笑みが漏れる。

 ここの通路の壁・床・天井は彼女が設計に携わり、秘密裏に外部へ依頼して開発されたものだ。

 そのため、普通のように見えて最高レベルの技術と建築素材が使われており、それ以外にもどうやら高度のセキュリティシステムが色々と張り巡らされている——らしい。


「詳しいことについては、あまり教えてくれなかったですからね……」


 彼女曰く、『一からお伝えしたところで、恐らく——といいますか確実に、貴女は途中でお眠りになられるでしょうから』、とのこと。

 今思い出してもひどい。あまりにも隠す気のない、どストレートな暴言ですってこれ。


「まあ実際……それに対して否定も反論もできないわけですけど」


 歯に衣着せぬ彼女の物言いは、今でもたまにチクチク刺さるものがある。

 彼女が自分と長い付き合いだからこそ、その指摘が適切であることこの上なく、反論ができないのも困る。

 でもその……もっとこう、手心といいますか伝え方といいますか、正直もっと、オブラートに包むとかありますよね……。


「こ、この件に関しては一旦、また後ほど改めて凹むとしましょうか……というかそれよりも——」


 ——と、天井を仰ぎながら若干目の端に滲みかけていたものを引っ込ませ。

 それまでずっと歩みを続けていた足をついに止めて、わたしはそれまで心の中で留めていた内容を口に出す。

 ……つまり。


「この通路……いったいいつまで歩けばいいんですかぁ!?」


 ——実は既に、現実時間にして30分ほど同じ景色の中を歩き続けていた。

 行けども行けども同じ殺風景な通路、なんの面白みもない壁と天井に囲まれて歩いていたんだけども。

 ここは機密エリアということで——セキュリティだか何かで、きっとそういう長い通路なんだと思いながらしぶしぶ歩いてはいたが……流石にいくらなんでも終わりが見えない状況に対して、いよいよその疑念を口に出さざるを得なかった。


「ど、どうしましょうか? こうなったらミツキちゃんに連絡を……! いやでもそうしたら……むむむむむ」


 と、わたしは頭に横切る解決手段と、それに伴うデメリットを秤にかけながら。

 うんうんと唸り声をあげて、その場で腕を組み始めるのだった——。


 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 先ほど防音効果を備える壁に吸い込まれていった虚しい叫びから、数分後。


「や、やっと、目的の、へぇ、部屋に、着きましたぁ……はぁ、はぁ…………」


 息も絶え絶えに——よろよろと壁に寄りかかりながら、わたしは固く閉ざされた電子ロック式の扉の前に立っていた。

 しかしまるで鉄の塊でも巻きつけられたかのようにずっしりと重くなった足は、もうその場からぴくりとも動かず。

 ……十数秒の間ひたすら肩で息をし続け、ようやっとして呼吸が整い始める始末だった。

 あれからほんのちょっと走っただけで、もうこのレベルの息切れ……あのわたし何歳ですか。

 っていうか、あれ……こんなに体力なかったでしたっけ、私……。

 いやこれ、割と真剣に運動しないとマズいですよね……。


『……主席、貴女の記憶力に加えて体力まで低下されているとなりますと、いよいよ業務への支障にも不安を抱かざるを得ないのですが』

「ぐ、ぐうの音も出ませぇん……」


 耳元——に先ほど装着した小型装置インカムから、ため息交じりの声が容赦なく、舌峰鋭い言葉を浴びせてくる。

 既に聴き慣れた声ではあるけれど、相も変わらず的確かつ攻撃力の高い言の葉、もとい言の刃には、心がいとも容易くズタボロにされる。

 ——ということで、その毒舌にまるで言い返す言葉もなく、わたしはほんのり涙目になるのでした。


『主席。該当の部屋に辿り着くのに必要な手順について、出発前にお伝えしたと私は記憶しています』

「…………はい、仰る通りで……」

『そしてそれを実行しない限り、通路は堂々巡りにしかならない仕組みになっている——と注意点まで、懇切丁寧にお教えしたはずです』

「…………は、はいぃ、聞きましたー……」

『ただでさえお伝えする情報の数を絞り、要点だけをまとめたというのに……全く、貴女という人はですね……』


 淡々と呆れた声色で、しかし明らかに怒りを滲ませた冷たい声が機械越しに責め立ててくる。

 わたしは、そんな声の主の気分をどうにか和ませようと、普段の会話のノリでちょっぴり冗談めかして言ってみる——


「……あ、あははー、それはえっと……ちょ〜っと歩いてたらうっかり忘れちゃった、と言いますかー……って、誰が鳩ですかぁ!! な、なんちゃって~……」

『…………』

「え、えっと……ミツキちゃん?」

『…………………………は?(バキッ)』

「ご、ごめんなさ~い! こんなときにふざけて良いわけがありませんでした! わたしが悪かったですからっ! 本当に反省してますから~っ!!」


 落ち着いて考えれば分かっただろうに、和むどころか逆効果。

 不自然な沈黙を破って発されるたった一音の言葉(と、何かが折れる音)と共に、ゴゴゴ……と地鳴りが起きている錯覚がするほどの怒気が、インカム越しに漏れ出るのを感じて。

 即座にわたしは、目の前にはいない相手に向けて平身低頭——地に膝をつき、必死に謝罪の言葉を泣き叫ぶのだった。


『…………目的地に着いたのであれば、もう案内は不要でしょう。通信は切ります』

「あ、ありがとうございましたミツキちゃん! 今回も助かりました! ほんっとにいつも頼りになります~!」

『……はぁ、貴女はその切り替えをですね……いえ、何でもありません。主席、貴女は貴女のすべきことをなさってください。では』


 ——ピッ。

 通信終了を告げる音が響き、音源を失った通路は再び静寂に包まれる。

 同時に、張り詰めた風船が一気に萎んでいくかのように、わたしは「はぁぁぁ……」と大きく息を吐いた。


「こ、こわかった……やっぱりミツキちゃん、怒ると怖すぎますって……!」


 正直、連絡という手段を使うのはできるだけ避けたい方法だった。

 何故かといえば……まあ先ほどの会話を聞いてもらえばわかるだろう。

 ……怒らせたらあんなに怖い人相手に、そもそも怒られるのが確定しているような状態で通話を始めることになるのだから。

 それは気も重くなりますし、連絡するかも迷うというものでして……。

 いや、原因は事前に聞いていた内容を綺麗~に忘れてしまったこちらにあるんですが……。


「いやー、本当はお話をちゃんと聞いていたつもりだったんですが……。いえ、もう何を言っても言い訳にしかなりませんよね」


 そう、伝える相手なき言い訳をぼそりとこぼしながら、改めてわたしは眼前をふさぐ扉へ向き直る。

 電子ロックによって閉ざされたそれを開くべく、すぐ横の壁に設けられたタッチパネルへ静かに手をかざす。


『特殊収容区画セクターへのアクセス申請、確認』

『申請者の生体情報を認証中———そのまま動かずにお待ち下さい』


 機械音声による抑揚のない声が発される中、タッチパネルが怪しげな光を放ち、わたしの手のひらを余すところなく分析している。

 いやぁ、そんなに面白いものでもないんですけどね~……などと小さく呟いていると、また機械音声が一方的に喋りだした。


『生体情報データ、権限者ユーザーリストに登録された情報と照合を開始』

『登録者番号:01——色織セラの生体情報と99.99%一致。アクセス申請を許可』

「あ、あれ……なんか、思ったよりも結構スムーズにいきましたね」


 あまり待つことなく、すんなりとセキュリティを通ってしまった。

 かなり厳重なシステムだと彼女ミツキは言っていたはずだが、こんなもので終わりなのか。


「まあ、そもそもここに来ること自体が難しいですし……生体情報だって、もちろん立派なセキュリティですからね」


 想定したよりもあっさりと認証が済んだ様子に、わたしは思わず拍子抜けする。

 ミツキのあのを考えれば、正直もっとなにか面倒な手順を踏むことになるだろうと覚悟していたのだが……。

 それはそれでことが早いのでよし、ということで納得しようとした——その矢先。


『申請の受理を確認。申請受理プロセス開始のため、パスワードを入力して下さい』

「まあ、そうもいきませんよね~……はい」


 予想的中。案の定というかなんというか、彼女が設定したセキュリティがひとつだけなはずもなく。

 段々体を蝕んでくる疲れに伴い、ゆっくりと首をもたげ始める眠気に、わたしは目をこすりつつ抗う。


「ふぁぁ~…………はぁ」


 たしか、ミツキちゃんから教わったセキュリティの通り方を、手帳にメモしておいたはず。

 今思えば、ここへ来る手順も一緒に書いておけばよかった——などとそんなことを胸の内で考えながらも、わたしは羽織っていた上着の内側へと手を滑りこませるのだった。








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