レトロ電車を訪ねて

🚜余野木隆行

レトロ電車を訪ねて

 富山市内を走行しているレトロ電車を見に、昼前に高速道路に乗って、富山駅に向かった。外は快晴で天候に恵まれたが、高速道路に乗ってすぐ、小松IC付近で道路工事をしていて30分ほど渋滞を食らった。


 私がレトロ電車の存在を知ったのはつい最近で、それもほとんど偶然の巡り合わせに近いものだった。私はもともと「ななつ星in九州」という鉄道車両が好きで、その車両のデザイナーが水戸岡鋭治氏ということも知っていた。いつかはななつ星に乗ってみたいという淡い思いを抱きつつ日々を暮らしている状況だったが、たまたま入った書店で、水戸岡氏がデザインした車両の一覧が載っている本を目にした。その時に富山地方鉄道が保有する、レトロ電車という車両が、水戸岡氏が手掛けていることを知った。私は石川県在住だからかなり近い場所ということで、実際に確かめてみようと思ったのである。こう思い立った時無邪気な子供のように胸が躍った。


 それともうひとつ、不思議な偶然があり、レトロ電車のミニチュアを私がすでに持っていたことである。以前中古品のホビーショップに入った時に無性に気になる電車のミニチュアがあった。車両の半分より上が乳白色で、下半分が深い緑色、車体下部の側面にはロゴ風にデザインされた「地」という文字が入っていた。私はこの車両が気に入って、2000円ほどで買って机の上に飾っていたが、数週間もするとその存在を忘れて興味も無くなっていた。そんな時に先の書店でレトロ電車を知って、もしやと思い調べると、私が所持していたのはレトロ電車のミニチュアだったことが判明したのである。思いがけない偶然に私は喜んだ。


 富山県にはほとんど来たことがなかったから、一抹の不安を抱きながらナビを頼りに運転していたが、無事に富山駅に着いた。拠点駅である富山駅周辺は交通量が多く混雑していたが、なんとか近場の立体駐車場に入ることができた。中は多くの車が停まっており空きが全くなかった。仕方ないのでゆっくりと屋上まで上がると数台分の空きがあったので、すかさず駐車した。車を停めるだけでも一苦労だったが、屋上から富山市を眺めると気分が少し晴れやかになった。隣接する公園の敷地内に蒸気機関車が展示されているのが見えた。おそらくD51だろうと思う。


 立体駐車場専用のエレベーターで1階に下り富山駅の正面入り口に向かって歩いた。中に入るとコンコースで小規模な古着のマーケットが開催されており、それを尻目にレトロ電車が入線するホームを探した。案内板を確認すると、富山地方鉄道の路線は私の目の前のホームらしかったので、近くのベンチに座ってレトロ電車が来るのを待った。


 私は知らなかったが富山市内は路面電車が活発に運行しており、市民や観光客の重要な公共交通機関らしかった。5分おきに様々なデザインの電車が入線して来るので面白かった。古風なものもあれば先進的なものもあり、無料の博物館のようだ。しかし目的のレトロ電車が一向に来ないので富山地方鉄道に運行状況を確認するために電話をしようと思った。その時に知らない老人が私に向かって歩いて来た。その老人は何日間も風呂に入ってないような悪臭を放っており、身なりも汚く、首から大きなカメラを提げていた。どうやら鉄道ファンらしい。老人が「何を見にきたんですか?」と訊いて来たので「レトロ電車です」と答えた。

「レトロ電車ですか。僕は午前10時ぐらいに見ましたよ。ほら、カメラに写ってるでしょう」

 老人はカメラに写されたレトロ電車を私に見せて来た。老人の悪臭が鼻をついたが、その写真がうらやましかった。老人は私に友好的で、最新車両のセントラム、ポートラムが姉妹車であることや、近く開催される鉄道イベントなどいろいろな鉄道知識を教えてくれた。10分ほど話してなんとなく一区切りついたので、別れの挨拶をして彼は街中に去って行った。彼はその途中、全く関係の無い家族連れにも話しかけていたので、私は驚いた。変な人だった。


 なんだかんだで1時間ほどベンチに座っていたが、レトロ電車は姿を見せなかった。たまにレトロ電車かと思う車両も来たがよく見ると違う車両で、その時は気が落ちた。私は富山地方鉄道に電話をかけることにした。というのも、実はレトロ電車は事前に予約をすれば、車内を貸し切って宴会ができるそうなのである。もしかしたらどこかの団体が、私とは無関係に、酒を飲みながら楽しい時間を過ごしているのかもしれない。早速電話をかけると女性の受付の声がした。レトロ電車の運行状況について訊ねると、「確認します」と言って保留音が流れた。もしかしたら私は迷惑な客かもしれないと思ったが、今日はレトロ電車を見に石川県から来ているので、何がなんでも確認しなければならなかった。30秒後ぐらいに男性が出て、話を聞くと点検整備作業中のため午後からは運行していないということだった。落胆したが仕方なかった。私はその男性に「どうも失礼しました」と言って電話を切った。ホーム沿いのベンチで呆然としている間にも新旧様々な路面電車が互い違いに入線している。


 せっかくなのでどこに行くかもわからない電車に乗った。この車両は私がレトロ電車を待っている間に何度か見た、比較的古風なデザインの車両である。とりあえず終点まで乗って、そこからまたとんぼ返りしようと考えた。車内の路線図に目をやると南富山駅前という駅が終点らしい。車内には年配のおばさんと学生らしい青年がおり、私含めて3人しか乗車していない。運転手が女性だったので珍しく思ったが、今の時代女性運転手も普通なのかもしれない。路面電車に乗るのは10年ぶりぐらいになる。在来線と違って自動車と同様に街中を走行するから、乗り心地がバスに似ている。ビルや商店、色々な建物に囲まれて、その間を縫うように走る。時速は40キロほどだろうか。真横を車が並走するからより安全運転を心掛けなければならないのだろうと思う。


 しばらくすると終点、南富山駅前に到着した。目の前には古めかしい三階建の建物がある。壁面に「富山地方鉄道株式会社研修センター」という看板が張り付けられていた。周囲には商店がいくつか並んでいるがお世辞にも賑わっているとは言えない。そもそも開店しているのか疑わしい店もある中で、こぢんまりとしたCDショップがあったので興味本位に入ってみた。中に入るとそれなりに涼しかった。棚の中には大量のCDがジャンルごとに整列しており、年代も昭和から現代まで取りそろえられている。通路わきの地面に置かれたダンボールの中にもCDが山積している。私は狭い店内を一周してみた。すると奥の方にアダルトコーナーがあるのを発見した。パッケージには艶めかしい女性が映っている。アダルトビデオの品ぞろえをチェックしてからまたCDコーナーの方に戻った。店番は若い女の人だった。私は何か買わないと悪い気がしたが、その時欲しいものが本当に無かったので、そのまま店を出た。店番は何も言わずに座っていた。店を後にした私は南富山駅前の待合室に行って富山駅に戻る路面電車を待った。私以外には眼鏡をかけた少し小太りのおじさんがいて、時刻表を見ている。私は何分後に電車が来るのかを調べる気にならなかった。次に来る電車に乗れば自然と富山駅に帰るのだろうと思った。


 車輪の音が迫って来たのでホームに向かうと古風な電車が到着していた。中からぱらぱらと人が降りてきた。私は乗りこんだ。電車がゆっくりと動き出して富山駅方面へと向かった。最初に乗った車両と違って今回は窓を背にして座る、ロングシートの車両だった。窓から西日が差して、緑色のシートを煌々と照らしている。


 結局レトロ電車を見られずに終わった。時刻も午後4時を回っていたため、高速道路に乗ってそのまま石川県に帰った。車を運転している最中、私はほとんど何も考えていなかった。夕方から夜の風景に移り変わって、無数のテールライトが私の両目に映り込んだ。


 無心で運転しているといつのまにか自宅に着いていた。私は2階の自室に駆けあがり、机に飾ってあったレトロ電車のミニチュアを手に取った。


 まずはカラーリングが印象的だ。乳白色と光沢のある深い緑色。光の当たり具合によってその緑色が艶々と光る。車体側面には、正方形の中に「富山地方鉄道」と書かれている。そしてロゴ風にデザインされた「地」というマーク。真ん中には「CHITETSU TRAM」と印字されている。屋根にはインバータや空調装置だろうか。それらが収められている銀色のボックスが設置されている。そしてZ型のパンタグラフが「く」の字を書いて立っている。正面の中央に丸い前照灯がひとつだけあって、ハロゲンバルブのような暖色のライトが可愛らしく点いている。性能面で見ればポートラムのようなLRTに比べると当然劣るだろうが、奥ゆかしさと気品を兼ね備えた雰囲気と意匠はレトロ電車にしかない。


 暖かな日差しの中、大型ショッピングモールのすぐ横を抜けて、レトロ電車がこちらに向かって来た。構内では電車到着を知らせるメロディが流れて、アナウンスで何かを言っている。お母さんに手を引かれている帽子をかぶった少年が、電車に向かって指を指した。待っていた乗客が乗り込もうとベンチから立ちあがる。誠実そうな運転手が真っすぐ正面を見ながら、安全運転をしているのが、車窓から見えた。電車はゆっくりと減速しながら、甲高いブレーキ音を立てた。そして私の脳内にある、架空のプラットホームに停車した。

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