玉袋狂騒曲

Enju

コウガンあるいはキンタマモドキ

 それは令和の終わり頃。

 あろうことか、とあるペットが上流階級で大流行してしまった。

 その名もコウガン、キンタマモドキ、あるいはフグリムシ。その名を聞いた者の、そういう意味であってくれるなという祈りも空しく、それは弛んだ皮膚の中に大きな2つの内容物を持つ、すなわち男性の陰嚢に酷似した生き物だった。

 分類としては芋虫の一種なのだが、成長しても羽化などはしないアホロートルの性質を持ち、全長は1cmから10㎝程度まで成長する。何から何まで男性の股間にあるものと同じなのだ。学名からして"カティポ・マジモショウ"、すなわち「陰嚢のごときもの」で、人間の陰部に擬態しているという学説もある。そんなもんに擬態して一体どうしようというのか。

 ともあれその姿は世の中のレディーからマダムまでを魅了し、ハイソな社交場でのキンタマ比べが大きなムーブメントだった暗黒時代があった。

 しかし流行とは過ぎるもの、コウガンはそのうち見向きもされなくなった。人間が正気に返ったと言ってもいい、本当に良かった。

 そういうわけでくだん生物ナマモノは現在、一部の正気に返らなかった愛好家たちと、生体販売を取り扱う僕のような人間の間で細々と飼育されている。


 ◇


「佐藤くん!聞きましたかキンタマモドキの話!?」

 おおよそ若い女性に口にして欲しくない単語を叫びながら、我がペットショップに駆け込んできたのはインセクトブリーダーの堀田さんである。彼女もコウガンに魅せられた者の一人であり、日々キンタマを交尾させては悦に入っている変態だ。


 ……………


 なぜか殴られたので訂正します。堀田さんは僕の大学の先輩で、若くしてコウガン種の繁殖方法を確立し、希少な生物の個体数を維持して僕の店に卸してくれたり、研究機関とも連携している優秀な女性昆虫研究家です。

「そんなことよりもさあ、キンタマモドキの飼育が許可制になるって聞いたんですけど何か知らない?」

 堀田さんはそう言いながら既に店のコウガンをケージから出して撫で回している。堀田さん曰く、この何とも言えない感触が病みつきになるし、コウガン自身にとってもマッサージ効果があって、スキンシップはした方が良いとのこと。なお堀田さんは頑なにキンタマモドキの呼称を使うが、僕はその名を口にするのは御免なのでコウガンで統一している。分かり辛いかもしれないがご了承願いたい。

「ああ、なんか毒を出してるってことになったらしいですね、そいつ。」

「ええっ!?嘘だぁ~、世界で一番触ってるはずなのに何ともないよ私!?」

 毒と呼んで良いかは定かではないが、そう呼びたかったので呼ばせてもらう。どういうことかといえば、コウガンの出すフェロモンが人間の精神に影響するという研究結果が出ており、依存性や有害性が認められたとのこと、それを受けての規制であるらしい。堀田さんの言動を見ていると「何ともない」かどうかは怪しいと個人的には思う。


 ◇


 そんなこんなでしばらく後にお役所からの通達があり、僕や堀田さんはもちろん飼育許可が貰えたが、愛好家の一部は許可が下りずに大切なペットと引き離されることになった。今、僕の店でコウガンを愛でている杉林さんもその一人である。

 飼育許可が下りなかった人のコウガンは、殺処分されるところを堀田さんたちの提案により、飼育できる人たちが手分けして引き取ることで難を逃れた。僕の店から購入した杉林さんの愛玉あいたま(愛犬のようにコウガン愛好家内で使われている言葉)も、僕の店で引き取る形になったために会いに来るのは可能なのだ。

 とはいえ我が店はペットショップなので、あまり居座られても困る。杉林さんとは来店の時間や頻度を取り決めてもらうことにした。

「そうでもしないと本当に一日中モミモミしていましたからねコウガンを。」

「そうなんだ、杉林さんって主婦だったはずだけど家事とか大丈夫なのかな?」

 納品に来た堀田さんとそんな話をする。コウガンの飼育は許可制になったわけだが、それがニュースになったおかげで認知度が高まり、新たにお迎えする人も増えてきたので在庫の補充というわけだ。頼むから正気に戻ってほしい。

「それが杉林さんさ、店に来るときは落ち着きがなく挙動不審で、コウガンを撫で始めると落ち着くんですよ、完全に何か危ない薬とかやってる人の動きなんですよ。依存性があるってのも分かるっていうか。」

「マジですか、キンタマモドキを触れない期間はずっとそうなのかな、大変そう……夜は旦那さんのキンタマで満足してくれないかな~」

 あはは、と僕たちは笑いあったが、杉林さんに飼育許可が下りないのは過去に何度かコウガンを叩き潰してしまった経緯があったからだ。本人は事故だと主張していたが、イライラしている時にコウガンに癒しを求めた結果、勢い余って潰してしまったということらしい。

 コウガンの耐久度はもちろん本物の睾丸と同じである。僕たちは杉本さんの旦那さんの股間の無事を祈るしかできなかった。

 祈り空しく、その夜、街には救急車のサイレンが鳴り響いたのだった。

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