異世界長屋暮らし
@namagusa_taro
1-1. 繋がれた男
土砂降りの中、地面に打たれた杭に両手両足を鎖で繋がれた男が雨に曝されている。
手足に枷が付けられ、泥濘の中に裸足で膝をつき、両手は吊るされて頭上に上がっている。髪は泥がべったりと貼り付き、髭は伸び放題で顔に刻まれた皺の深さから歳の頃は中年以上であることが窺い知れる。ぼろぼろの腰布だけを着け、痩せてはいるががっしりとした体躯であることがわかる。顔や体の至るところが泥や傷、アザで覆われていて、痛々しい見た目の一方で、表情はまるで寝ているように安らかに見える。
その男の周りを、軍服と軍帽を着用した数人の兵士らしき者が囲んでいる。取り分け、一人の上官らしき者が、憎々しげに杭に繋がれた男を睨みつけている。繋がれた男は目を閉じたまま微動だにしない。
上官らしき者が、ふいに杭に繋がれた男を警棒で殴りつけて言った。
「おはよう、ヨハン君」
取り囲む兵士のうち何人かは目を背け、何人かはニヤニヤと笑っている。
殴られた男は面倒そうに目を開け、まるでいつもの朝がきたかのようにため息を吐きながら言った。
「クルト大隊長殿。一週間振りですね」
平然とした物言いに軍服の上官は歯軋りをしながら部下に、ヨハンを引き起こすよう命令した。
部下二人が鎖を引いたがびくともしない。部下がもう一人加わり両手が引っ張られるがヨハンは意に介さず、欠伸をしながら片足ずつゆっくりと膝を上げた。
上官がその様子を苦々しげに見ながら言った。
「もういい、ヨハン。無駄なことはやめろ。今日は最後通告にきた。己の叛逆行為を認めろ」
「大隊長殿、叛逆とは何のことでしょうか」
クルトは舌打ちをして部下に答えろと手で合図した。
「はっ!ヨハン隊長には命令不服従、適性人物に対する逃亡幇助、そして上官に対する殺人の容疑がかかっております」
「命令不服従、逃亡幇助、上官の殺人、これだけ揃ったら叛逆だろう」
クルトが見下すように言ったがヨハンは表情を変えずに答えた。
「自分には、王国の恥晒しを懲らしめた覚えしかありません」
「我が国は現皇帝陛下が皇帝に御即位あそばされてより皇国である!貴様の勝手な言動で我々の作戦行動が明るみになり、結果当初の作戦継続にも問題が生じたんだ!」
「それではまるで初めから村の住人を丸ごと殺す作戦だったかのようですが、参謀本部はそれほど無能なのですか?」
言った途端、ヨハンの頭に警棒が振り下ろされた。だがヨハンは何でもないとばかりに話を続けた。
「栄えある我が国の一人の軍人として、」
再度警棒が振り下ろされる。
「軍属という名の王の赤子として、」
何度も頭部、顔面を殴られる。
「敵国であろうが無辜の民を徒に傷つけることはただの」
額を血が伝ってくる。
「恥です」
「黙れ!」
渾身の力で警棒が振り下ろされ、警棒が曲がる。だがヨハンは蚊に刺された程度とでも言わんばかりの涼しい顔をしている。
「この皇国新時代を汚す野蛮人が」
その言葉を聞いてヨハンは答えた。
「クソみたいな作戦に黙ってつき従うだけでなく、嬉々として役割を演じることこそが本物の野蛮です」
「あの作戦を立案したのはおれだ!」
上官が曲がった警棒を投げつけた。
「貴様は皇帝の赤子としてというが、これら作戦は全て皇帝の御意向に基づいて立案されていることをわかってるのか」
わなわなと震えながら上官はそう言った。
「わたしは皇帝の赤子であるとは言ってません」
「なんだと!認めたな!国家、皇帝に対する叛逆の意思ありとして処断する」
「現王は所詮軍部の、」
「王ではなく皇帝だ!もういい!営倉に入れろ!後日銃殺刑に処す」
部下らしき者が三人がかりで杭に縛っていた鎖を解き、ヨハンを引きずって営倉に向かおうとしたとき、大隊長が言った。
「そっちじゃない」
部下たちはそれぞれ一瞬目を合わせて止まった。
大隊長は杭に繋がれていた男のそばに寄り、首に下がった認証票を引きちぎって泥の中に捨てた。
「こいつはもはや皇国の兵士ではない」
そう言ってヨハンの顔に唾を吐こうとした。その瞬間、ヨハンは大隊長の顔面を頭突きした。ヨハンの額は正確に相手の鼻と前歯を折った。慌てて部下たちがヨハンを泥の中に押さえつける。銃床で殴りつけてくる部下もいる。大隊長は息を荒げて鼻を押さえた手に付着した血を見て狼狽し、腰の短銃に手をかけた。
「やってみろ」
ヨハンは両手を後ろ手に縛られた状態で三人の部下を押し除けて平然と立ち上がり、大隊長を睨め付けた。部下たちは慌てて持っていた銃をヨハンに向けて取り囲んだ。だが部下の誰も引き金を弾けず、大隊長もその気迫に圧倒されて腰から銃を抜けなかった。大隊長は尻餅をついたまま怒鳴った。
「早く連れて行け!」
部下が鎖を引き、銃口に囲まれたままヨハンは歩き出した。
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