第4話 滝塚市角端埠頭事件―⑤

【時刻:午後一時半頃 視点:加納聖】


 シニョン・プレフォールズの港区側入り口は、第三、第四駐車場と隣接している。五つのチケット確認用レーンが設けられており、普段なら客がそこから出入りする。

 深きものどもは真っ先にそこを狙ったようだ。無惨な死体がいくつもレーンに転がっていた。そして、駐車場方面に警察を向かわせまいと築かれたバリケードがあった。もうすでに破壊された後だが。

 敵を殲滅し、負傷者に回復魔術をかけている南方昴の下に、加納聖と水戸瀬敏孝、応援の警官隊が駆けつける。


「昴―!」

「加納さん。それに水戸瀬さん」

「状況は……問題なさそうだな」

「はい。制圧完了しました。ですが……」


 昴は物言わぬ民間人たちに視線を向ける。水戸瀬は渋面で頭をかいた。その間に、警官隊は人員を整理していく。負傷者は延喜区方面入り口から撤退。残る精鋭は運んできた装備を続々と装着していく。


「僕がいながら、これだけ死なせてしまいました」


 加納は物言わぬ死体たちに視線を向けた。酷い有様だ。五体満足でいるのはいい方で、芋虫のように手足をちぎられてしまった者、見せしめのように槍に突き刺され、高々と掲げられたままの者などがいる。

 だが、加納たちの遥か後ろで避難している人々は、確実に昴が救ったのだ。その事実から目を背けてほしくないと、彼は昴に歩み寄る。


「……たくさん救ったじゃんか」

「でも」


 何か言いかけた昴を水戸瀬が制した。同時に加納も彼の方を見る。


「まだ終わっちゃいない、と言いたいところだが、昴。お前は一旦休め。ペース配分したほうがいいって、自分でも言ってたろ」

「ですが」

「後は掃討作戦になる。少し休んでもバチは当たらねぇよ」


 水戸瀬はH&K MP5A5をリロードする。そして昴が何事か言いかけたその時。駐車場の向こう側、角端埠頭と呼ばれるエリアで大爆発が起こった。


「なんだと!?」

「――行きます」

「おい、待てよ昴!」


 昴は閃光のように飛び出す。水戸瀬をはじめとする警官隊、そして加納聖はその後を追った。





 その先には、瓦礫と化した倉庫街があった。シニョン・プレフォールズからは歩いて三十分くらいの場所だ。破壊の中心部だったのだろうか、大規模なクレーターができている。

 加納はそこを全力疾走する。警官隊より装備品はないのに、全く追いつけない。それでも何とか追いすがろうとする。


「ぜえ、ぜえ……いた」


 加納がたどり着いたころには、警官隊があらかた救助者を確保した後だった。夏場に全力疾走。彼は汗だくになったシャツを絞る。熱々のコンクリートに滴った汗は、今にも湯気を立てそうだ。

 加納は倉庫街のさらに奥へ向かおうとする一団を見つけた。そこに水戸瀬もいる。そこに駆けて行こうとした瞬間。


 空が暗くなった。同時に、コンクリートでできているはずの地面が、時折泥土と沈殿物の混ざりあったものに変わり、また元に戻る。加納は狼狽している水戸瀬たちに急いで駆け寄った。


「ど、どうなってるんだよ!」

「クソ……昴の嫌な予感が大当たりだ! 逃げられる奴は全員シニョン・プレフォールズへ逃げろ! 命が惜しくない奴は、バルカン付き装甲車持ってこい、今すぐにだ!」

「バルカン付き装甲車!? 怪獣映画の世界じゃねぇか!」

「喜ぶな! 俺たちは今、生きるか死ぬかの瀬戸際にいるんだぞ!」

「え、そんなにヤバいの!?」


 巨大な建造物が、現れては消えた。それらは全て海草に覆われた石造りのものだ。そして段々と、それらの建造物が姿を現す時間が伸びていく。

 誰もが頭を押さえていた。加納聖もそうだ。先程から脳内に何者かが語りかけてくる。ある一節だ。聞いたこともない言葉。だけどなぜか発音できる言葉。加納は必死に、その言葉を口にするまいと頭を振り続ける。


「なんだ、これは!」

「“神象風景“だ」


 水戸瀬が呆然としていた。彼の目線の先には夜空と丸い月がある。今は昼間のはずなのに。そういえば気温も低い。深夜だったとしても、底冷えのするような寒さはしないはずだ。

 加納達が立っている場所は、海の底から浮上したばかりのような、潮水でぬかるんだ、海草や苔だらけの岩肌に変わってしまった。

 超古代の建物が天に向かって聳え立つ。そのどれもが、時間の流れを感じさせるように、海草に覆われてしまっている。

 これがかの邪神の神象風景。海底に潜みし深きものどものるつぼ。彼らの信仰における始発点であり終着点。


「……神象風景!? なんだそれ」

「邪神がこの世に顕現する際、自らの心象風景、つまり心の中に描いているもので世界を塗り替えることを指す! 神象風景の下で、邪神は最大限に能力を発揮する。文字通り、今世界は奴の心に塗りつぶされている!」

「ということは、この気持ち悪い地面や建物が、邪神の心の映像ってこと!?」

「ああ。しかも、神象風景こいつのヤバいところは“閉じ込める”のではなく“塗り替える”こと。つまり……」

「逃げ場がないってのか、世界中がこうなっちまっているから!」


 水戸瀬が頷く。事態が加納の理解を超えるレベルに達した。彼は水戸瀬の言葉が飲み込めず、辺りを不安そうに見回す。


「神象風景の中では、何が起こっても不思議じゃねぇ。何せ相手は邪神だ。俺たち人間に理解できるような心の構造しているわけがねぇ!」

「嘘だろ!?」

「……まあ、なお最悪なのが。この神象風景、俺でも聞いたことのあるくらい有名な奴なんだよ」

「え。つまり、どの邪神が展開しているか、わかるってこと?」

「その通り。だから最悪だ。この神象風景の特徴は二つだけ。展開された時点で、人間はどんどん深きものどもに近づいていく。そしてもう一つは、ただでさえふざけたタフネス誇ってるあの邪神が、フルパワーになるってことだ」


 加納の背筋を冷たいものが走る。そして自分の手を確認した。確かに、鱗のようなものが生え始めていた。彼は悲鳴を上げて手をかきむしる。それを水戸瀬は一瞥した。


「これは、大昔のホラー作家の作品にも登場するほど目撃例が多い神象風景。夢にまどろんでいるがゆえに、いつ展開されるかわからない狂気の地雷。その名も――」


 水戸瀬は海の方を見る。荒れた海には渦が巻き、何かがそこにいることは明白だ。加納はごくりとつばを飲み込んだ。


「――“古の都ルルイエ“」

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