呪い

小狸

短編

 父が倒れたと聞いた時、私は家事をしていた。


 仕事から帰宅途中の夫に慌てて電話をし、子どもたちと共に車で病院へと駆け付けた。


 子どもたちは、まだ状況が飲み込めていないようだった。

 

 私は、焦燥が伝染しないように冷静さを保ちながら、真剣に話した。


 子どもは、子どもながらに状況を飲み込んでくれたようだった。


 もう助かる見込みがほとんどないという話を、母伝いで聞いた。


 私達が住む家から、父の家までは、車で1時間程である。


 豪放磊落で、多少粗野なところはありつつも、私の子どもたちに「じいじ」と呼ばれ慕われている父だった。


 母は、そんな父を包み込むような、優しい人であった。


 そんな父と母を見て育ったからか、私も母のように優しい人に、両親のような暖かい家族になりたいと思った。


 まあ。


 実際、なれているのかは分からない。


 夫にはいつも心配をかけてばかりで、力を借りてばかりである。


 子どもたちのことも一番に考えてくれる。


 私にはもったいないくらいの夫である。


 今週あたりがとうげでしょうと言われたのは、その3週間後のことである。


 週末の土曜日、夫に子どもたちを見てもらい、祖母と共に、病室に行った。


 大量の管に繋がれても尚、意識ははっきりしているのだろう、目は、こちらを向いていた。


 多分、これが最後の会話になる。


 何となく、そう直感した。


 私は「お父さん、ありがとうね」と言った。


 父は、涙を流していた。


 そして次に、母の番になった。


 母は私の前に出た。そこでもう少し私が離れていれば、それを聞くことはなかっただろう。


 母は、父の耳に口を近づけ、そして言った。


 私はそれを、聞かなければ良かったと、今でも後悔している。







「あなたのことがずっと嫌いでした」






 すっと。


 父の顔から、血の気が引くのか分かった。


 それから10日後、父は亡くなった。


 葬式は親族で小さく行われた。


 母が喪主を務めた。


 その時の母の表情は。


 私の持つ言葉では表現できなかった。


 母にも、きっと思うところがあったのだろう。


 豪放で、無鉄砲で不愛想な父、それを支える母親像。令和の今、そんな価値観はもう古いと切り捨てられる。


 そんな父に、ずっと耐えてきたのだ。


 それでも私は。


 最後の呪いの言葉を、時折思い出して、こう思ってしまうのだ。


 私は、呪われるような人間だろうか。


 最愛の人の最期の言葉は、呪いの言葉にしたくはないな、と。


 思ってしまう私は、贅沢だろうか。


 それから2年ほどして。


 母は、父と同じ脳の病で、亡くなった。


 あの時の言葉が、母に返ってきたのだ――と。


 そういう解釈をしてしまう自分が、嫌になった。




(「呪い」――了)

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呪い 小狸 @segen_gen

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