愛のエッセイ集。
崔 梨遙(再)
第1話 人生のテーマ“愛”① 初回は文字数が多いです。
僕には、人生のテーマがあります。それは“愛の追求”と“愛の追究”です。このテーマは、亡き母から引き継いだものです。母が癌で亡くなる前に、自身がテーマとしていたことを僕に託したのです。
「私は、愛について悟るまでに至らなかった。頭ではわかっても、実行できないことが多かった。梨遙には、引き続き愛について探求してほしい」
ということでした。急に人生のテーマを与えられても困るのですが、母の最後の願いでしたので、愛の追究と追求について母の後を引き継ぐ決心をしました。
そういうこともあってか、何度か本気の恋愛をしました。何度も本気じゃない交際をしてきました。それで思ったことは、やっぱりまずは無償の愛と有償の愛に“愛”が分類されるということです。
勿論、真の愛というなら無償の愛のことを指すでしょう。ですが、それを実現しようとすると難しいのです。実際、僕は(別れましたが)嫁に浮気されました。許そうと努力しました。でも、許すことが出来ませんでした。ですが、無償の愛を貫くのであれば、そこは我慢できないといけなかったのでしょうか……?
結論から申しますと、僕もまだまだ未熟だということなのですが、愛について、少々語らせていただきたいことがあります。お付き合いいただけましたら幸いです。
愛という概念は、元々日本では薄いような気がします。恋と情の文化だったからです。ですから、愛をテーマとした先駆者として、“愛と死”や“友情”などを世に送り出した武者小路実篤さんは評価されたのだと思います。また、エロスという意味合いの小説は、泉鏡花さんの功績が目立つでしょう。
日本で愛という概念が明治時代になるまで育たなかった理由の1つは、お見合い結婚が多かったということもあるでしょう。今のように自由恋愛の出来る環境ではなかったので仕方がないことです。仕方ないのですが、愛というものに戸惑いがちになる日本人としては、もっと早くから自由恋愛を広めて愛というものをわかりやすいものにしてほしかったですね。
愛は、エロスやアガペーに分けられます。そしてスグに、有償の愛と無償の愛というところで議論が白熱します。
僕は、4回目の嫁の浮気で離婚しました。これは2回目の離婚のことです。2人目の嫁は、結婚してスグ借金が発覚して僕の信用を失いました。その上で4回の浮気をしました。たったの7ヶ月で4回です。3回目までは、バツ2になりたくなかったので我慢しました。でも、そこまでが当時(29歳)の僕の限界でした。嫁を許せませんでした。
という話の中で自分で疑問に思うのは、借金発覚と浮気で僕は耐えていたのですが、耐えなければならない時点で、無償の愛とは言えない気がするんです。本当に無償の愛であれば、耐えなければならないほど心身を痛めるのはおかしいのです。許せていない証拠です。実際、最終的には許せなかったから離婚しました。でも、許せなければ無償の愛ではないのですから、やっぱり僕の愛は愛ではなかったということですよね?
何も求めない、でも少しくらいはもとめたい。与え続ける、たまにはこちらも与えられたい。本当に難しいことですよね。求めずに与えて見守って……それが出来たら仙人なのでは?と言ってしまっては話が終わってしまいますので、話を続けます。
時々、与えてもらって当然、という考えの人達と知り合いになります。そういう人達は何をしても感謝が無いんです。そういう人を好きにならなかったらそれでいいんですが、好きになったら大変ですね。与えたときに感謝されたら心が満たされますが、感謝が無いと与えることが不快になるのではないでしょうか?
相手の態度や言動も大切ですね。要するに人間性の良い人は愛しやすいでしょう。何かを与える度に感謝し続けてもらえれば、愛しやすいでしょうね。世の中には、愛されやすい人間と愛されにくい人間とで分かれているのかもしれません。逆に言えば、愛しやすい人と愛しにくい人がいるということですね。愛は相手による! ということでしょうか。
そして、愛し方は、人それぞれですよね?
僕の場合は、愛している人とは1秒でも長く一緒にいたくて、出来るだけ会いに行きます。1時間会うために往復4時間かけるとかも、よくあります。会えるときに会えるだけ会う! それが僕のスタイルです。勿論、強引には押しかけませんが…。1分、1秒でも長く側にいたいので同棲することが多かったです。一緒に暮らすのが、1番長くそばにいられるからです。
ですが、愛し方やパターンは十人十色でしょう。
ふと思います。肉体を持たず、魂(意識体)として存在できるのなら、愛しやすいなぁと。魂だけの存在なら、借金も無いし肉体的な浮気も無いですからね。肉体を持って生きているから、愛に戸惑い、愛に悩むのだと思うのです。肉体という殻を破れば無償の愛を達成できるのではないかと。と、まあ、突拍子もないことを言ってすみません。
さて、嫁の浮気を許せなかった僕の愛は“本当の愛”ではなかったのか? と書きました。やはり、今でもそう思います。無償の愛を実現するなら、浮気をされても笑って与え続けなければならなかったと思います。なので、僕はまだ真の愛を貫けていないのでしょう。
元嫁以外のケースを1つ。
岡山で暮らしていたときに、トップセールスマンの女性と付き合ったことがありました。僕を選んで岡山で出世を諦めるか、仕事(出世)を選んで本社勤務(転勤)するかで、その女性は1ヶ月悩んでいました。その時は、僕の方から“本社へ行け、悩んでいる姿をこれ以上見ていたくない”と言いました。
それで、彼女は本社へ行ったんですが…。この選択は間違いなかったのか? 未だに疑問です。その時は、本社へ行った方が彼女にとって良いと思ったのです。僕は離れたくなかったのですが。ただ、彼女は“遠距離恋愛しよう”と提案してきたのですが、僕は“仕事に専念しないと何もかも中途半端になるよ”と言いました。遠距離恋愛を断ったのは僕の方です。彼女の思うまま与えるなら、遠距離恋愛を受け入れるべきだったのでしょうか? そもそも僕の方から本社行きをすすめてはいけなかったのでしょうか? 何が正解で何が不正解だったのか、未だに整理が出来ていない状態です。何が正解か不正解か?わかる人がいらっしゃったら教えてください。
話は変わりますが、僕は男前ではないです。身長も169で170に届きません。金持ちでもありまぜん。高い車を買うなら安い車を買って、浮いた分をデート代に使ってきました。僕は、何も持っていなかったのです。
なのに、女性に関しては数多くの経験をさせてもらいました。何故か? 自己分析をすると、“僕は女性の心の隙間に入り込むのが得意”のようです。誰にでも、気付いているか気付いていないかの違いだけで、心に隙間はあります。僕は女性の心の隙間を見つけて、そこに入り込むのが得意になったようです。なんとまあ、恰好悪い。自分でも恰好悪いと思います。ただ、満たされていない女性が多いことには驚きます。そういう女性達には、僕の愛し方が有効なようです。
僕の愛し方は、“オンリーワン”です。“ナンバーワン”ではありません。“ナンバーワン”でしたら、“ナンバーツー”や“ナンバースリー”もいるわけですが、“オンリーワン”はその人だけです。すると、女性陣から“こんなに愛されたの初めて”と好評をいただくのです。
僕は、その一点だけで、愛する女性を手に入れるべく頑張ってきました。苦戦しましたけど。
さて、今回も明確な結論は出ないままですが、続きは次回以降に書かせて頂きます。
肉体が無ければ愛しやすいのかどうか?の続きも次回以降に書かせていただきます。
では、また…。
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