精界寓話
山田原一
第1話 目覚めと悪夢
ライトの下で【私】は目の前の相手に問答無用で回し蹴りを叩き込んでいた。
夜に眠っていた時。ふと、気配、いや、何かが自分の眠っている蒲団の上に降り立った。
そんな感触を感じて目を覚ましたからだ。
【ソイツ】は筋骨隆々な男を思わせるフォルム。
その肉体に張り付くような黒いレザーのような素材のタイツ?コート?を着用している。
目はギョロギョロとお世辞にも目つきがいいとは言えず。
口は皮肉そうに吊り上がり、人間の歯――というより鋸の刃を思わせる歯が並ぶ。
慎重派180。いや、190はあるだろうか?ソイツが人のベッドの上。
だが、不思議と背丈のわりに重さは感じないベッドの凹み具合。
口を開く、何か言葉を発しようというのだろう。
「ごっぶぉぉ!?」
そんな言葉を待つ必要もない。
【私】は膝を畳み、片手をベッドに立てて。
くるん、と背筋と、勢い。回転力を味方につけての回し蹴り。水平蹴りにも近いそれを叩き込むと、間抜けな声を【ソイツ】は出していた。が。
「ナンダよ。この世界で折角出会えたってのによ。
それとも、この世界じゃ愛の告白は暴力の強さで表すのか?」
【ソイツ】はまともに私の踵を胸板で受け止め、間抜けな声の後には平然と冗談を口にしていた。どうやら幽霊の類ではないらしい。
ならば容赦はいらない――私はベッドから降りて硬い床の上に。ここなら先ほどよりも強打を叩き込めるハズ。
「え、ちょ、マテ、待て?言葉通じない?おい!?」
問答無用。泥棒かストーカーかマスメディアか。
いずれにしても不法侵入した相手に容赦をする理由はない。
暴力で解決させるのは下の下だが――と。踏み出した足で床を強く踏み抜き。
同時に肘を打ち出すように体と平行に伸ばす一撃は。
【ソイツ】の体を通り抜けていた。たたらを踏むように【私】はバランスを崩した。
「え!?」
驚く声は今度は私が出す番だった。蹴りは当たり、けれど肘は通り抜ける。
お化けと実体が一緒になったようなそんな存在は学校で習った覚えがない。
体が伸び切り、勢いに負けて転倒する――まさにその瞬間。
ステージ上の演劇の様に男の腕が私の背中に回り、更に足の裏に回され。
御姫様抱っこ、のような姿勢で担ぎ上げられたのだ。
「あっぶねーな。おい、この世界じゃ初対面の挨拶は暴力でやんのか?」
「………。」
凝視する。ソイツの姿かたちは人間の様であり。
瞳が黒一色に塗りつぶされ、耳の先がやや尖り気味。
黒い全身タイツに黒い髪の毛は背中に届くまで延ばされ、前髪は眉の上で切りそろえられている。
私は一応、大学生だ。そして――かじった程度の格闘技と自衛のための護身術は身に着けている。
段々とソイツが賊の類ではなく。かといってメディアの人間でもない事が理解出来てきた。
はぁ、と腕の中でため息一つ。
すぅ、と今度は私が大きく息を吸い込み――
「レディの寝室に不法侵入するんじゃないわよ!!!!」
大音量。喉の痛みとともに、至近距離で悲鳴の代わりのまっとうとも言えるツッコミを入れることにした。
緊張の糸がふつっ、と切れると――意識が途切れていく。
眠りの続き?それとも今この瞬間が夢?どちらとも判断がつかない中、私の意識は徐々に黒く、目の前は暗く。
沼の底に落ちる様に意識を手放していくのだった。
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私は孤独だ。孤独ではあるが恵まれているらしい。
――父は早期に亡くなった。研究者で殆ど家に顔を見せなかった。
最後の記憶にあるのはメガネがずれた状態で、【私】の誕生日祝いに帰ってきた時。
23時59分。秒針まではみていないけど、誕生日おめでとう、と言いかけたときに大時計が私の誕生日を終わらせる刻限を知らせて、しょんぼりした痩身。
研究室にこもっていて、その研究は世界的にも類稀な効能を持つ薬を作り出す事に繋がっていた。
その父親は30歳も半ば。まだまだ働き盛りの時に突如蒸発した。
自殺や事故ではない。文字通りの蒸発。
母親のその時の顔が今でも頭にこびりついている。父親とは相思相愛。
研究の手伝いから私と弟の世話までこなし、細身のどこに、と思えるほど動き回るエネルギッシュな女性研究者。
父親よりは若く。そして30になる前に私と弟を産み、3日先まで食事と飲み物、衣類に書類。
おこづかいにおもちゃまで準備してくれていた。
その時の私はまだ小学校に上がりたて。弟は母親にべったりで、事の次第をわかっていなかった。私も、蒸発の意味を知らず。
「ねぇ、ママ。パパはどこへ行ったの?」
この無邪気な。けれど今思えば恐ろしく鋭い、刃物の切っ先のような言葉を母親に向けてしまった。
その問いかけに答えられなかった母親は――数日の後にありきたりなことを私と、弟に告げた。
『パパはね。お仕事で遠くに行ったから――』
その言葉が嘘だということに気が付くには私も、弟も幼すぎた。
だから毎日母親に甘え、時に泣いて困らせ――――。
1年もたたないうちに、母親の頬はすっかりとこけてしまっていた。
若々しかった母親が、まるで中年を一足飛びに熟年まで行ってしまったかのように。
母親のタイムスケジュールを今なら理解できる。
朝起きれば私と弟のお弁当と、研究の準備。
学校へ送り出してベビーシッターに弟を預け、夕刻に私が帰宅すると入れ替わりでベビーシッターは帰宅する。
私は弟の遊び相手になりつつ、朝に母親が作ってくれたご飯を温めて食べて――。
「…………。」
困ったときだけ使っていいと決められていた電話は、ついに1回も使わなかった。
何故だろう、弟の面倒を見ているのは楽しかった。
泣いていた弟の額をぽんぽん、と掌で優しくたたくと、ぐずる弟がちょっとだけ泣き止む。
そうしたら笑顔で腕を広げて、ちょっと離れた位置で弟に向いて座り込むのだ。
とて、とて。とこ。とこ。とと。とと。
最初はハイハイ。それが次第に、2本の足で。
その成長を見るのが楽しかった。言葉を教えるのは難しかったけれど――母親が絵本と一緒に世界の歴史書や、新聞といった紙媒体の情報資料を取り寄せていたので私も弟も、それなりに文字の読み書きは出来るようになった。
お金の管理はシッターさんが悪い人ではなかった事も幸いで、きちんと学費、生活費、お小遣いに分けて貯金してくれていた。
週に1度が月に1度。そして年に1度となるのはそう時間がかからず。
私が中学生に上がると同時に、母親はほとんど研究室で寝食を取っていた様だ。
自宅近くに専用の研究施設を作り、世界でも有数。いや、唯一無二の万能薬とまで呼ばれた薬の作成を父親の研究を引き継ぎ、完成させた。
当然、莫大な利益を会社にもたらす――には難しかった。
何せ作り出せる量がごくごく僅かなのだ。年に3粒程度が母親とその会社の限界。
それでも1粒飲めば不治の病とされるものでも完治させる夢のような薬。
世界は当然、その年に3粒の薬に途方もない高値を付けた。
1粒で人生を何度も遊んで暮らせる金額で売ったこともあるらしい。
オークションで、数年。いや、数十年先までの売却予定はびっしりと埋まり。
その薬を作成するノルマの為に母親は、もう――年に1度の帰宅が限界になるまで追い込まれていた。
『今年も一年、明けましてメリークリスマス。そしてお誕生日おめでとう。』
年々やつれ、手足はすっかりと枯れ木のように細く。
美貌――そういって差し障りのない顔立ちは、40歳にして老婆と言われても仕方がないほどやつれきっていた。
そして私が高校生に上がる時。弟が母親に会いたい一心から、自宅近くの研究施設に足を運んだ。
その日は部活動に明け暮れ、運悪く私の帰宅が遅かった。
そして帰宅した時。家の前――都内の二等地。近くに公園もあり、生活には不自由しない施設が点在しているその一角。
私の家の周りはたくさんの警察。マスメディア。そして――スーツを着た人の群れがいた。
私の帰宅を待っていたのか――その視線。その言動。意識が私に向けられる。
津波のような情報量と、人の意識に当時の私はすんなりと意識を手放したらしい。
次に目が覚めた時。其処は病院のベッドの上だった。
シッターさん――ずっと献身的で私の世話も弟の世話もしてくれていたその人から話を聞いた。
母親の研究施設に弟が入り。
直後に重大な事故が発生したという事だった。
研究の内容にかかわるため、その事故が何かは聞かされることなく。
ただ、母親と。そして弟が――死んだという事だけを告げられた。
そう、蒸発、ではない。死んだと明白に告げられた。
後のことは、覚えていない。錯乱したような記憶もあるし、その記憶すら曖昧で、朧気なのだ。悲しんだのか、怒ったのか。
兎に角、そのシッターさんはすべての私の感情を引き受け、ともに泣きながら――私が弟に幼いころしていたように、額を優しくなで、腕で抱きしめてくれた。
素朴な香りだけははっきりと覚えている。その時の腕の温かさも。
やがて相続や特許。あるいは研究施設や自宅についてはシッターさんが主導して整理してくれた。
母親の遺書――生前に残されていたものがあり、それがすんなりと通った上でシッターさんは最後まで私の為に働き続けてくれた。
私の手元には莫大な遺産と、母親の研究資料が。
そして大学近くの一軒家1つと父親名義だった遺産も残された。
世間曰く
『何のしがらみもなく、大金を手にして自由に遊べるなんて羨ましい』らしい。
抜け殻の様になってもおかしくなかったのだが。
世間の目とともに、私の存在はマスメディアの格好のターゲットになっていた。
同時に、身の危険もあった。誘拐されかけた事も1度や2度じゃない。
あろうことか、私が母親や弟を謀殺したのだとまで言われる始末。
シッターさんには退職金と。マスメディアから逃れるために世界のどこでも土地を買えるだけのお金を渡そうとしたが、固辞された。
『私は、鞘夜【サヤ】お嬢様にお仕え出来て幸せでした。』
『そのお金はお嬢様の為に、ご両親が残してくれたもの。』
『お嬢様、お元気で――』
そう言って、母親と弟の葬儀やもろもろの整理が終わった後。
シッターさんはそれまでのお給料と同じ金額だけを受け取り、残りはそっと私の胸元に押し返してきた。
掃除や洗濯。料理までなんでもしてくれたシッターさんは私が大学生に上がると忽然と姿を消したのだった。
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「おい?オーイ?」
ぺしぺし、と頬に何かが触れている。
右頬だけでなく左頬も。やがてそれが、まるで往復びんたの様に私の頬をぺちぺちと弱くたたいている事に気が付いて――。
「……何よアンタ。流行りの死神?それとも宇宙人?妖精とか精霊…ってガラじゃないわよね。私を殺しに来てくれたの?」
私はジト目で相手をにらみつけた。少なくとも、害意はないらしい。
あればとっくに私は死ねていたし、なんなら煩わしい財産もなくなっていたはずだ。
「お、正解。俺ァ精霊!ハッハァ!聞いて驚け!黒の序列――」
「アンタみたいな精霊がいてたまるかあああああ!」
バゴン、と軽い音を立てて私の掌底が相手の顎に当たった。
え?当たった?さっきはすり抜けたのに?
いやいやそういえば抱きかかえられていた、ような?
いやまって。ちょっとまって。精霊って、こう。
美人だったり、金髪碧眼とかの麗人じゃないの?こんなのが精霊?
私の夢とかなんか、いろいろガラガラ崩れ落ちる音がする。
「落ち着けって。俺ァ正真正銘の精霊ってやつだ。
フェリシダって名前もある。それにお前はツいてるぜ!俺みてェな――」
「自慢話はいいから。わかった、色々納得いかないし、不満しかないけどアンタが精霊なのは信じる。
で、何?精霊って何なの?」
「嘘だろ、俺の挨拶すらロクに聞いてくれねぇのが相方とか……。
あー、いや。俺ァ精霊。この世界の言葉だとその範疇に収まるか怪しいが、まぁコッチの世界とは違う世界の住人だ。」
さて――ここからフェリシダの長い長い説明とともに。
さようなら、私の日常。早く戻ってきて、私の日常と言いたくなる日々が始まろうとしていた。
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