第17話 好きと僅かな隙

「ええ、好きよ。思わず奪っちゃいたいくらい」


 吉田よしださんを除き、二人してテーブルを囲む、大晦日の深夜の女子会。

 私の質問に後藤ごとうさんが顎に手を添えて、お上品にクスクスと笑う。


 この人はいくら直球な問いかけをしても、笑顔を絶やさない。

 人に答えさせ、自分の境遇は語らず、何を考えてるのか分からない女性。

 ……正直、私の苦手なタイプだ。


「彼の誰とでも分け隔てなく接する人当たりの良いところ、何事にも一直線で真っ直ぐなところ……」


 酔った勢いでの本心という名目か。

 テーブルに広げたお菓子のわきに置いた水割りのグラスに口つけて、彼にお熱な後藤さん。


「こんな家事も目玉焼きも作れないズボラな女を恋愛対象として見てくれてるところも……」


 完璧主義に見えるようで実は料理が苦手。

 少量の水を入れ、蓋を被せて蒸し焼きにすると楽な目玉焼きでさえも作れないときたものだ。

 こんな私とは正反対の女性が吉田さんが好きで、その吉田さんも何も知らずにこの人が好きで。

 二人とも相思相愛なんだけど、考える度に頭の中がこんがらがってきたよ。


「一緒に暮らしてもろくでもない生活になって、彼の足を引っ張ってしまうのにね」


 好きでまっすぐ前が見えてない吉田さんに比べ、後藤さんは至って冷静だった。

 会話の初めはミステリアスで謎だった女性像。

 こうして話を交わすことにより、きちんと現実を見据えているところから、大人の気品がしかと読み取れる。

 正確に判別できるQRコードになったら、さらに便利になるかもね。


「私なんかのどこが良いんだろうと思いながら、一人晩酌をする時だってあるわ」

「大丈夫です。後藤さん」


 後藤さんがコップのふちに付いた口紅を細長い指で拭いながら、今度はチータラを口にくわえる。

 さっきから飲んで食べての繰り返しだけど、どうやってそのセクシーな体型を維持してるのだろう。


 しかも今は深夜帯。

 口にする全ての物自体が太る要因でもある。

 彼女は何もかもが不思議なヴェールに包まれていた。


「吉田さんは、そんな部分もひっくるめて好きだと思いますから」


 私はテーブルの前で体育座りのまま、思っていた本心を言葉に出す。


「気休めはよして。子供に大人の何が分かるって言うのよ」

「確かに私は子供な高校生です。でも吉田さんと過ごしてきて分かるんです」


 私はここに住み、様々な吉田さんの気持ちを見てきた。


「後藤さんの話をする時の吉田さんはとても楽しそうな顔をしますから」

「本当に心から好きじゃないと、あんな自然体な笑顔なんて出ません」


 年齢は大人をとうに過ぎても、思ってることがすぐに顔に出る吉田さん。

 子供のような純粋さに大人としての考えも持っていて……そんなところから彼の良さがにじみ出ていると感じていた。


「後藤さん、私、吉田さんとの恋を応援してます。だから……もがっ!?」


 私の告白の最中に口に強引に入ってくるもの。

 このとした生地の食感はお茶請けのどら焼きだ。


「はいはい。沙優さゆちゃん、少し落ち着きましょ」


 上品な黒餡の粒を噛み締めながら、後藤さんから話しかけるのを待つ。

 その途中、生地が喉に引っかかりそうになり、マグカップに入った冷めたコーヒーを流し込む。

 危ない、危うくお茶菓子であの世に旅立つところだった……って、おばあちゃんかよ。


「沙優ちゃんはそれでいいのかしら?」

「はい。私は吉田さんに幸せになってほしいですから」

「その好きな対象が私でいいの?」

「はい。二人とも好き通しですし、お似合いかと」


 ここは私が引くのは当然のように、二人の行く末を見届けることにした。

 それなのに、胸の奥がザワザワとした気持ちとなり、チクリと鈍い痛みがした。


「違うでしょ、沙優ちゃん」

「そこは押し通してでも、好きだと意思表示しないと」

「吉田君のこと好きなんでしょ」


 後藤さんと出会って、まだ数時間。

 私の胸の内が後藤さんに知られて、本当、殻を被った性分が嫌になるね。


「いえ、今の私には分かりません。過去で好きなだけで、今はその平行線にいるだけですから……」

「はあ……、吉田君といい堅物よね。子は親に似るというか……」

「べ、別に親というわけじゃ……」


 知らない間に吉田さんに感化されてることを誤魔化すしか、言い訳が思い付かない。

 私たちが堅物と言うなら、その堅物に突っかかる後藤さんも同類だ。


「まあ良いわ。今日のことが起爆剤になったら私たちは恋のライバル同士になるわね」

「はい。私、負けませんから」


 私は両拳を胸に構え、後藤さんと火花を散らす。

 今はまだ先の見えない未来を想像して……。


****


「──ねえ、吉田センパイ、答えて下さいよっ!」


 真夜中に不格好に建った住宅街。

 冬の夜なのに霧はなく、清々しい空気がその周辺を舞う。


 俺はコンビニ帰りに胸に抱きついて泣き叫ぶ三島みしまと遭遇していた。


「今、後藤さんを家にあげてるんですよね? 何で好きな女をほっといて、一人だけで買い出しに行ってるんですか!」

「いや、沙優から朝食の買い物を頼まれて……」


 俺はウザい三島を引き剥がし、先ほど買ったレジ袋の中身を堂々と見せる。

 これで人のいない場所を想定させ、色気のある表紙のギャンブル雑誌を買ったという思惑から抜け出すためだ。


「はあ? その流れだと、沙優ちゃんも一緒にいるんですか!?」

「まあな。同居して五日くらいは経つな」


 三島が話の流れで急に冷めた状態となり、徐々に呆れた表情となる。


「はあ……。センパイは後藤さんが好きなんですよね。それなのに二人きりじゃなくて、沙優ちゃんも同じ家に居る。これって何の罰ゲームですかね?」


 二兎を追うものは一兎をも得ず……というのはリアルでもゲームの世界でも常識だ。


「それってもう後藤さんには愛想が尽きて、沙優ちゃんに恋してるみたいじゃないですか!」


 三島が俺の着てる服の裾をきつく握りながら、真相をついてくる。

 だが、生憎あいにく、俺は未成年の女子に恋愛感情は持ってない。


「いいや、この寒空に沙優を追い出すのも気が引けるだろ?」

「好きな女をさておき、赤の他人の女子高生を優先的にですか? 普通の考えなら追い出しますよね?」

「追い出すも何も俺が保護してるだけで……」


 今の三島には守るべき者は弱いものでもいいじゃないかという理論が通用しない。

 怒りに身を委ねてるせいか……。


「……あのですね、吉田センパイ、そんな誰にでも構わず、お人好しな性格だと、結果的には大切な女すらも守れませんよ」

「俺にとっては沙優も後藤さんも大事で」

「綺麗ごとを。裏を返せばいくつもの女をキープしてるみたいじゃないですか!」


 三島が持っている手提げバッグを俺に目掛けて投げつけようとするところを何とか食い止める。


「吉田センパイ、好きな人にだけ優しくすればいいんですよ。傍から見たらズルい男ですよ」

「ああ、悪い。気を付ける……」

「ええ、このご時世、八方美人なんて流行りじゃないですよ」

「ああ、すまん……」


 何が気に障ったのかは不明だが、相手が怒ってる以上、謝った方が得策だ。


「……あまり私を落胆らくたんさせないでくださいよ。これじゃあ、身を引いた方も馬鹿らしくなってくるじゃないですか!」

「お前、さっきから何でそんなにムキになってるんだ?」

「あー、この鈍感男はあああー!」


 俺の顔面に硬い布の感触がダイレクトに伝わる。

 次の瞬間、当たりどころが悪かったのか、痛みと共に俺の視界が真っ暗になった──。

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